自生地事情
植物の栽培にあたっては、自生地を知ることが大事であるとは良く聞く。
その植物が自然の中で好んで生えてる環境を知ってそれを再現すれば、植物は
うれしく勝手に育ってくれるんだよ〜ん、ということらしい。
金沢にいた頃の私には、自生地を知るなんていう言葉とは無縁であった。
それもそのはず、車でぶんぶん林道を走っては、見たことのない植物を見つけて
楽しんでいたのだから、知るもなにも、そのま〜んま。ええ。
どちらかと言うと自生地よりは「同定」の方が問題だったかもしんない。
未だに不思議だ。一体全体、専門教育を受けてない人々はどのようにして「同定」に
及ぶのか。マジにあの事典のような言いぐさを続け、最終的に「ゆえにこれはアレ。」
とやっておるのだろうか。
結局私は疑問をほったらかし、正しく、いくら概ね車とはいえ、「一人で野山を
さまよう怪しい女の人」という身の上になったわけだが。(「自然観察おばさん」?
それもあまりよろしくないな。)
怪しい私は結局、多くの植物・・・でもないか、非常に限られた数の植物の
自生地を知ることとなった、つもりである。こんなところにはあれがあるはずなんだ
けど・・・と思ってふりかえったらそこに生えてたこともある。
それは別にいいのだが。うろうろする方が楽しくて、同じ植物を鉢の中に再現
しようと思えないのは問題かもしれなかった。もっとも、たんに「まだ」思えない
だけなのかもしれないが。
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もし誰かに「自生地を見に行く。」と言われたとしたら。
相変わらず私は「どうやって?誰に聞いたの?どこにあるの?大体の条件を知って
うろうろすれば見つかるもんでもないんでしょ?」と不思議でたまらない。
こんな私が見た自生地、ということで自慢出来る植物ったら、ミスミソウ
くらいだろうか。なんでそんなところを知ることが出来たのかと言えば、
なーんのことはない、ある朝ローカルTVのニュースが教えてくれたのである。
地図で調べてたどりついた自生地の登り口には、キクザキイチゲが群生していた。
そして当のミスミソウは。寒かった。いやその、海を見下ろす断崖絶壁の、
ちょいとこちらがわ、なんであるミスミソウの自生地は。だから寒かった。
ミスミソウ・マニアに聞かれたら、さぞ怒られることだろう。
結局私は、北陸の四季を知るだけで終わった気がする。
随分優雅な回り道をしたもんだ。
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山菜を食べると野菜の美味しさが良くわかる、とはうちのダンナのセリフである。
しかし単純に野菜になれなかったのが山菜、と言っていいのかどうか。
改良されて営利栽培されるに至らなかったことは確かなのだが。
某O倉さんによれば、山菜を食べるなぞと言うと、田舎の人がスーパーもない
もんだから山からとってきたものを食べている、というように言われることもある
らしい。これはある意味当たっていて、その実全然外れている。
だって、山菜というのはスーパーがないようなところに生えてるもんだし。
その一方で、スーパーがないような田舎では大概の野菜は自分のところで栽培
してるもんだし。そして、食べるほどの山菜を山で収穫出来るというのはもう、
一種の特技のようなものだし。山菜採りで、時間に対して採算がとれることって、
あるのだろうか。そう考えてみれば、あれこそは「道楽」である。
てなわけで、金沢でひいきにしていた寿司屋の主人もその山菜採りの名人であり、
道楽者でもあった。山菜の話は最終的には料理方法に至る。しかし一番の自慢は、
それがあるところを知っている、つまりは山菜の自生地を知っている、ということ
なのであった。
山菜採りもそうだが、茸採りも似たようなもんである。
どちらも自生地(?)を探して山の中を右往左往するわけなのだが。
時々道楽が過ぎて熊に出会ったり遭難したりして、ローカルニュースのネタに
なるのは残念なことであった。