活け活けどんどん
山茶花を剪定した。
本来、常緑樹の冬の剪定は良くないらしい。だからなんだというのか、うちの山茶花
には、アレがつくのだ、あの、チャドクガが。被害を受けない時期に剪定したい
ではないか。そして、花が着いていさえすれば、ゴミにはならない。
今年は既に3回、山茶花を活けている。
お稽古で一度、家の山茶花で一度、自分の花材と組み合わせてもう一度。何度でも
山茶花を使って様々に活ければ上達するのかもしれない。が、活花にすると自然条件下
より要素が濃くなるからか、それとも「宿題」と一緒だからか、とにかく飽きる。
というわけなので、例の如くお向かいに持って行くことになる。
ぼけっと立ってるだけの山茶花も、切ってみるとあきれるほどの量になる。
枝の形もさりながら、バケツで水揚げしようとすれば、バケツからころがり出る。
それでもようよう一つにまとめ、生協の配達日を選んでお向かいに持って行く。
誰も彼も品物をとりにくるから、そのついでに押しつけてしまえ。
お向かいさんが。その知り合いに。
お向かいの方にはとっくに差し上げてある。とても喜んでくれた。
お向かいにだって山茶花はある。だが、植木屋が入っているので、切るところがない。
「わび助もあるのですよ。」と言って見せてくれたが、切花にしたそれは、長さ10cm。
お向かいの奥様は山から切ってきたような大きな枝を、どーんと活けたいらしい。
農家の人がビワを切っているところに通りかかって、枝をもらったこともあるという。
「あなた、ビワの花の香りを知ってますか。あれをゴミにしようだなんてもったいない。
百姓は活けることを知らない!」と勢い余って、くれた相手をくさしていた。
そういうわけで、枯れ枝をのぞいただけで、後はお向かいに運びこむのだ。
なんとでもなるだろう、活けるを知る人々とのおつきあいは沢山あるのだろうし。
もう少し時間があれば、風呂桶一杯分でも切ってやれたのだが。
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セッカン杉、というのだそうである。
雪冠杉というのが正しい字で、学名は Cryptmeria japonica 'Aurea'。
うおー、きれいじゃん!というのが活花素材として見た、コレに対する感想だった。
お稽古で使った花材は普通は家で活け替えて、次のお稽古が来たら処分する。
しかし、あまりにきれいだった。というわけで、丁度リース材料のつるをいただいた
ので改めて切って、同様に活花に使った着色松ぼっくり(金色の一つは、姪の大福に
オモチャにあげた〜)を使い、ワイヤーでまとめたら、出来た。
元々飾ることに興味は薄い。クリスマス・リースなんて、どこが楽しいのかと
思っていたくらいである。しかし、この杉があまりに気に入り、その上、材料が
揃っていたので、作るしかなくなってしまったのである。
もっと丈を短くすればボリュームが稼げてなお、美しくなっただろう。
が、作ったというだけで満足しちゃって、このうえどうこうしようなんて思えない。
挙句に思うのは、どっかの植物園にコレの大木がないかなーということである。
農家が栽培してるところでもいい。生きているところを見たい。
活花でも、師範どころか先生の後継ぎにと望まれた友達が言っていた。
「園芸やる人ってねえ、活花となると、どーもダメみたいよ。いい例が私の母で、
切りたくないって言って大騒ぎしてた。」
いくら私でも、とっくに切花農家に切られているものを、そのうえ切りたくない
とは言わない。ただ、関心の方向がそれてしまうことは、良くある。例えば
花材としてユーカリの大枝が来ると、「このユーカリって、年間何mくらい伸びるん
だろう?」と考えてしまう。
そして、「ナルコラン」といわれると、それは「ナルコユリ」だろうと思ってしまう。
「アンセ」は「アンスリウム」だと内心訂正し、「xx梅とは言うけど、これは梅では
ないと思うのよ。」と先生が言えば、和名は必ずしも分類に沿っていないから、
梅が梅でないことは良くあることで、花屋にも先生にも罪はないんですー、と言いたく
なってしまう。これじゃあたし、何しに行ってんだか。
それでも、活けるという行為は自分で考え、再構成することなのである。
そのことが多少習慣化し、素材が気に入ったこともあって、今まで関心がなかった
「リース作り」さえも、ほんの少し苦にならなくなったのが、なんだか不思議な気分。
そんだけ〜。