春が始まって

 その店には、花壇に使う肥料を買うつもりで入った。
外から見たときには小さな普通の店に見えた。中に入ったとたん、あまりの古風に
驚いた。駄菓子屋のようなケースが並んでいて、その中に種子が詰められていた。
農薬を入れてある棚はと言えば、理科室の棚のようだった。

 これは面白そうだと思い、肥料を差し出しつつ、「茶豆、あります?」と聞いて
みる。すると大きな袋を2種類見せてくれて、「どっちがいいですか?」と聞くので、
「そりゃま、美味しい方が。」って、こんな言い方する方もする方だが、彼は
迷いもなく片方の袋をとり、袋にざくっと鋏を入れたのである。

 小さな枡を出して「どれくらい?」と聞かれる。ほう、量り売りと来るか!
答えは、「5合。」
今度は向こうが驚く方だが、ははははは、「そこまで自信を持って出してくれる
種子なら、それだけあっても足りないかもしれない。」って、これ本心。
それから後は、話がはずむはずむ。

 茶豆は大手も色々出してるけど、毎年コロコロ変わるわりにはたいしたことない。
自分で栽培してみて、結局これに勝るものはないから、これを売っているのだと
彼は言った。すると「美味しい方」とは、実にわかりやすい基準だったわけだ。

 「早生で豊産性で輸送と病害虫に耐えて、市場の評価が高いやつね!」
な〜んて普通のオバサンが言うわけもない。だから、一合枡が出て来る。
逆に、五合くれと言われて驚く。

 ところで、「自分で試験栽培してるなんて、すごい。」そう言った私への返事は、
「うちは変わりモノですから。」というものだった。

 そりゃまあ経済性から考えれば変わりモノかもしれない。
しかし、どっちを見ているのだ。自分を変わりモノと認めたら、お客さんの方を
見てる方がおかしいことになるではないか。彼は、限りなくノーマルだ。
この人が変わりモノであるとするならば、世間の方が間違っているのである。

                 xxxxxxxxxxxx

 「ストレリチア:1本300円」 だそうだった。
ここは温泉もある観光地の駅にある売店である。アレの切花が1本300円という値段、
安いのか高いのか、私にはわからない。私にわかるのは、「ストレリチア」といった
表示では良くないのではないか、ということである。

 やはりこの場合は和名だろう。つまり、「極楽鳥花」と書くべきだろう。
温泉入ってのんびりして、お土産をみつくろって、さてこれから帰ろうかという
ときには、ストレリチアよりは、「極楽鳥花」の方が相応しいに決まっている。

 しかし場所は、土産物屋である。名前は極楽鳥花である。
ついつい、「冥土の土産にどうぞ!」な〜んてイケズを言ってしまいたくなるのは
困るかもしんない。お客さんによっては、シャレにはならないし。

                 xxxxxxxxxx

 「SUNFLOWERS Named Varieties Mixed」、なんてのを取り寄せてしまった。
これを蒔けば、何もかもばらっばらな、つまり花色も草姿も草丈も、個性だけは
あるひまわりが咲くはずである。(関係ないけどアレでも「草丈」とか「草姿」と呼ぶ
わけね。)そして何品種入ってるかはわからないが、とりあえずの粒数、70。

 ひまわりにおけるバラエティとはどんなものか。
花色で言えば暑苦しく赤いのもあるし、白っぽいのもあれば、レモン・イエローのも
ある。草丈で言えば、ミニと呼ばれる4〜50cmくらいのから3階の屋根にも届くやつ
があり、草姿で言えば、おなじみの茎がすーっとのびてどかんと花がつくやつの
ほかに、分枝していくつも花が着くやつがある。

 どれもこれも全てがひまわりであると驚きたい。
多分それは、ドーベルマンもダックスフントもプードルも全てが犬であるというのに
似ているのではないか。でなくば、シャム猫とペルシャ猫とアメショが同じ猫で
あるというのに似ているということなのか。いいのか別に、どっちでも。

 それにしても、品種名つきのミックスなのである。
そんじょそこらの庭から採ってきたというのとは、わけが違う。
モノがあのひまわりである割には、話は厳密であり、厳密である割りには
モノがひまわりであるがゆえに、ひょうきんである。

 ひまわりの交配って、どんなふうにしてやるのだろうか。
ひまわり専門ナーセリーなんてのがあるのだろうな。そこでは例えば、今度は
ピンクやサーモン・オレンジのひまわりを目指して日夜努力してたりするの
だろうか。是非、現場を見たい。

                 xxxxxxxxxxx

 定住生活、までにはまだ間があるが、とりあえずのところは自分の地面を持つ
ことが確実になってきた。するとどうなるか。例えば、タキイから「寄せ植え」の
通販のお知らせなんか来ると、いいかもしんない、と思ってしまう。

 問題の通販は、テラコッタのポットと、寄せ植えに使う植物と土がセットに
なって毎月届くというものなのだが、以前なら、「テラコッタのポット」という
だけで、重い、大きい、であって明日引越しかもしれない、狭いベランダしか
ない身の上には不向き、要らん!という結論に至っていた。

 だが、地面を持つとなったら、私の頭は、「こんな重たいものを持ち帰らなくて
いいぶんお得かも?」と考えていたのである。飽きるんではないかとか、テラコッタ
のポットだったら例のアレの中から選ぶという手もあるな、とも考えつつ、
要らなくなったら誰かにやるか、ゴミに出すか、さもなくば割って鉢底石(昔は
そうしたらしいな)とか、オブジェに使ってみるとか、なん〜とでもなるはずだと
いう、無茶苦茶のんきな方向に進んでしまうのである。

 気が大きくなるというのは、こういうことであった。
大体、今更そう思うくらいなら、前任地でも、そのまた前でもそうしていれば良かっ
たのだが。大体趣味なんてそもそも、お金と時間を使って遊ぶものではないか。

 だというのに、今まで何故それをしてこなかったか。
元々、寄せ植えにたいして興味がないのである。だからスペースのなさを言い訳に
して、しなかっただけの話なのである。その証拠に、狭かろうがなんだろうが、
種蒔きだけは続けてきたではないか。なんとかかんとか自分に言い訳をつけ、今や
自分だけでは足りず、こうやって世間様にまで言いふらしているではないか。

 ・・・嫌なこと、同時にうれしいことに気がついた気がする。