花がらみ14 現在進行形の想い出
水遣りやら何やらで頼みにしていた階下の奥様が転勤で行ってしまい、しばらくの
間、ドキドキしていた自分であった。人でなしといわれるかもしれないが、なるべく
なら単身赴任の人で、まかり間違えても人並み以上にお元気なお坊ちゃまなど
連れた一家は来ないで欲しい、と。だって植物が心配なんだも〜ん。
結局、人並み以上に元気なお嬢様2人を連れたご一家が来た。どうなることやら。
幼少のみぎりの尊敬し奉る知人の一人のように、鉢にオシッコかけるようなこと
だけはないと思うけど。
笑い事ではなく、共有の場所に植物を植えるのはやめましょう、という
ことになった社宅がある。お子様達をのびのびと遊ばせてあげたいから、だと。
言いたいことは色々あるが、それは割愛して、とりあえずこれだけ書こう。
「私だって、のびのびと環境の美化にせいを出したいんですけど〜。」駄目?
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「子供に道端のタンポポなんかは採ってもいいって教えてたんだけど、道端の
パンジーはどう教えたらいいのか・・」と私に言った人がいた。
それは違う。どこにあろうともパンジーはパンジー。パンジーでなくとも、
きれいな花だと思ったら、それは誰かが手間やお金をかけて植えたものと思って
間違いない。
そして、出来れば、採っていい花といけない花とに分類することも、
やめて欲しい。世の中にタダのものなんか一つもない。
タンポポ一つだって、欲しければ自分で育ててみたらいい。何故道端で咲いてる
タンポポならむしってしまってもいいのか?
・・・ここまで来ると、私、どう見てもアブナイ人だよなあ!?
しかし、この一見マジメな人に、何をどれだけどのように話したらいいのか。
非常に悩む。こういう人って、たくさん、いる。
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以前の社宅で、チューリップとパンジーを混植してみたら、チューリップの
花首をのきなみ折られたことがあった。いっそ、自分の手で手応えを感じつつ
1つ1つゆっくりと折ってくれたら良かったのにと思ったが、それは残念ながら、
棒でやられたのである。なんとつまんないやられ方だ。
花はなくとも球根は育つ。と言うより、花がない方が球根は育つ。
この事実をして、同じような目に会った人に、「残った球根を肥培して、来年は別の
ところに植えたらいいね。」と、現実的にして前向きすぎるアドバイスをしては、
無神経な人として嫌われたりするのだが、まあそんなことはどうでもよい。
問題は、花を無駄にやられて球根が残るより、掘って持って行かれた方が気持ちと
してはずっとマシですと言っても、うなずいてくれる人が滅多にいない、という
ことなのであった。
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今は、金沢の土地柄か、あぜ道という解放状態のところに植えたチューリップも
パンジーもたま〜にしか、やられない。それどころか、こないだご近所の
おばあさんが悪さをしてた子供たちを叱ってくれたくらいである。
来年はうまいこといけば、300くらいのチューリップ(かなり増えた!)に200以上
のパンジー(何もなければ)に、1年草ミックスの草花(毎年中身が違う)が混ざる
ことになるだろう。去年のあぜ道はほめられたが、今年のあぜ道は喜ばれた。
来年は感動してくれるだろう。この数のパンジーにチューリップだもんなあ。トホホ。
パンジーは確かにキレイで、長々と咲いてくれるから重宝する。それが、哀しい。
そーゆー、一般受けねらいで花を選ぶのは、趣味家としてやってらんねえ気がする。
だが、やめたくてもあぜ道と言う場所がそれを許さない。
そして、アタシって何て不幸なのよーおお!とわめいているうちに、ふと、
「考えてみれば、こんな数のパンジーやチューリップを扱う事などもう一生ナイかも
しれないんだし・・」などという、問題を明後日の方向にすっとばかした言葉が
浮かんできて、なぜか、ま、いっか〜?(;^0^)/ということになるのであった。
こと植え付けや種蒔きに関しては、やめるよりはやる方が易い。
おかげで、悩みはいつでも現在進行形なんである。こんちくしょう。
誰が悪いんだ、誰が。あたしか。