ファセリアと個人輸入、そしてごほうび

 ファセリア・カンパニュラリアの種子は、園芸ニュースレターの会で入手した。
種蒔きは10月6日、1〜2cm四方の連結プラグ・ポットにバーミキュライト単用。
発芽率は高かった。しかし、鉢に移そうと、ふと植物の方を掴んだら
地際のところで簡単にちぎれた。

 残った部分を確かめてみたら、簡単にちぎれた割にはポットの底の方に、
強情そうな根がまわっていた。以後は、プラグポットの下の方からぐいと植物全体を
押し上げる方式に。しかし、それでも随分切れたに違いない。あとで聞いた話に
よれば、移植を嫌うとのことだった。

 同じファセリアでも、この種はやせた砂質土が良いと知ったのは、これまた
パンジーに使っている草花用培養土に植えこんだ後だった。移植を嫌う割には順調
で、肥料たんまりの培養土でも順調に育ち、苗は余った。余った苗を別の交換会に
出したら、その場で、ファセリアはいきなりぱたっとイってしまうことも多く、
消毒してる人までいる由、聞いてしまった。のんきな一年草だと思ってたのに。

 しかし、パンジーと同じ土で、同じビニールポットで、水遣りだって、例の
「土の表面が乾いたら」という杜撰な方法(って言うほどのもんか?)でも
ファセリアはぐんぐん育って行った。一株とて駄目にはならなかった。

 育苗は朝9時から午後2時まで日にあたるアスファルトの中庭で行われた。
中庭で庇がないので雨にもあたるが、風は少ない場所である。
現在ファセリアは5号ポットや、雨のあたらない軒下で、どかどか花を咲かせている。

 ところで、これは全然自慢話ではないことをわかってもらわねばならない。
何が良くてこんなに順調なのかわからないから、とても困っているという話なので
ある。人生だろうが種蒔きだろうが結果オーライであると納得していいのか?

 それにしても、この花はもっと小さいと思っていたのに思いの外大きく、そして
青い花なのに、良く目立つ。草姿の良いのから、種子を採ることにしようか。

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 オーリキュラの入手について upして後、久しぶりに種蒔きしようと思って
ブレンダ・ハイアットに手紙を出した。返事はすぐさま来た。しかしそれはブレンダ
からではなく、別のナーセリーからだった。彼女は亡くなっていて、「あなたの
手紙はうちに回されてきました」と記されていた。オーリキュラといえばブレンダ・
ハイアットというつもりでいたので、ひとつの時代が終わったような気がした。

 それはともかく、種子が欲しければ、ショウ、アルパイン、ボーダー、いずれも
一袋が2ポンドだと言うのである。ショウはともかく、アルパインとボーダーの区別
があるのが良い。てなわけで、カードの番号も書いたが、カードを使えない場合は、
送料を教えてくれれば代金と共に送金すると書いて、3/26、注文を出した。
返事は、4/8に来た。大体2週間。

 返事どころか、注文した種子も、全て同封されていた。
そしてやはり、カードは使えないらしい。日本で小切手作るとどれくらいかかるん
だか私は忘れた。海外送金で一番安くて確実と言えば、やはり郵政省だろう。
種子の金額はともかく、送料が書いてないのに一瞬パニクったが、送料とは結局、
封筒に貼られた切手の金額のことではないか。我ながら、トホホである。

 にしても、何が大変かと言って、郵便局が遠いということである。宮前区の
中央郵便局に行くくらいなら、いっそ渋谷まで出る方が早い。大体この手の
ことは、扱い慣れているところでやるのが一番だし、。

 ところで、このナーセリーには一言伝えねばならないことになった。
なんとなれば、エア・キャップなどのクッション入れてないから、種子が3割方
ばかり、ダメージを受けていたのである。全くもう、もったいないったら
ありゃしない、のである。

 W & S Lockyer
39, Mitchley Avenue, Riddlesdown, Purley, Surrey
CR8 1BZ U.K.

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 ラナンキュラスが咲いている。
吸水させてから、球根のからまった奴はそれぞれ引きはがして植えた。
少々遅くなったが、矮化剤処理だってした。そして現在、ラナンキュラスは、
もりもりと咲いている。ラナンキュラスはもりもりとだが、他にもちまちま咲いて
いて、これからどかどか咲くはずのものもあり、私は機嫌がよろしい。

 機嫌がよろしいのにはもうひとつ訳が在る。
ある日、ベランダからそれをぼけっと眺めていた私の上に、「ああ、きれいだなあ」
という声が降ってきたのである。思わず見上げたら、1階上の、植物なんか興味が
ないはずのダンナ殿だった。どうして彼とわかったのかと言えば、彼が身を
乗り出していたからである。

 人間だろうが花だろうが、本当はその美になど、気がつかなくとも生きていける。
そうやって生きてきたはずの彼が、花に気がついた。心に花が、ぽかっと咲いた。
かのダンナ殿の無防備にして素直な声こそは、花壇を作った私へのごほうびだった。
で、花は花として、ごほうびまでもらって、ますます機嫌がよろしいのである。