2ヵ月経過

 ここに来てから2ヵ月が経過した。
来るなり蒔いたルッコラは何度も食卓に上がっているし、エダマメは豆を着けて
いる。ミックスひまわりは終わったものもあれば、まだまだ咲くのもあり、芝生はと
言えば努力のかいあって、丸くハゲてた部分の跡形もなくなった。

 車置きには物置と、似たような色の花台も2つ増やした。物置は、昔昔の
小学校の掃除用具置き場をイメージして塗ったのがうまくいきすぎ、さながら
この家が建ったときからあるように見える。一体これは成功か、それとも失敗か?

 北向きひな壇の家なので、南側と西側に高い塀がある。
この南側の殺風景な塀には、切ったキウイの枝をてきと〜にもたれかけさせて
組んで、足元から朝顔を登らせる予定。殺風景ではなくなるかもしれないが、
とりあえず夫には不評である。枝組みが不気味なんだと。失礼な。

 色々やったつもりでいても、庭の骨組みはたいして変わっていなように見える。
しかし、庭なんてのは、その気でいればゆるやかに、その気でいなければあっという
間に変化するものだ。そしたら、私の庭が変わりばえしないように見えるのは、
当然のことだった。だって、庭しか見てないから。懸案部分しか見えてないから。

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 知人が、RHSJの会報に出した書評の感想を述べてくれた。
問題の本は、MARY A・ ROBINSON 著 「AURICULAS FOR EVERYONE」
(ISBN:9 781861 081490)である。

 これだけオーリキュラの写真が豊富な本を私は他に知らない。私には幸いなことに
パソコンという武器があったから転勤族でも「オーリキュラ、オーリキュラ」と騒ぎ
まくって、結果的に様々な情報を得ることが出来た。しかし普通の人はそうではない。

 それで私はこれを広めるべく勤めてきたのだが、まあそんなことはわかる人にしか
わからないのでどうでもよく、事務局からの書評の依頼は、むしろ「渡りに舟」だった
とだけ書いておこう。で、そういうつもりで書いた書評への、知人の批評はといえば。

 「ほんっとに面白そうな本だと思った。モノがオーリキュラでなければ買ってた。」

 ・・・というものだった。(^^;)そして困ったことにこの人は正しい。
 この人、オーリキュラのコレクションこそしていないが、オーリキュラの
「種蒔き」なら、日常的にしている。実は、コレクションするのでなければこの本は
たいして意味がない。きれいだし、オーリキュラの理想形はチェック出来るが
種蒔く人にとっては目の前に咲いた花が、自分のオーリキュラだからである。

 一体私は勝ったのか、負けたのか。
知人の理性をぶっとばすことは出来なかったが、概ね勝ったことにしようと思う。
「面白そう」と思わせることが出来たからである。なんだかんだ言って、この人の
取り組み方を好きだと思えたからである。

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 生垣のツツジと替えるべく、低木となる Eucalyptus を何種類か蒔いた。
(成長の早い Eucalyptus viminaris も蒔いた。)蒔いたのは、6月26日
だったが、梅雨寒だったりいきなり暑くなったりした中でも、それなりに発芽した。

 「それなり」という言いかたなのには理由がある。
Chiltern Seeds 由来のユーカリの種子ったら、どれもこれも、どれが種子だか
ゴミだかという状態で、何粒蒔いたのかわからないのである。何粒蒔いたのか
わからなければ、発芽率だってわからない。あるのは結果のみ。

 Eucalyptus tetraptera (高さ4フィートほどになり、花は大きなピンクから
赤、葉っぱもまた良し、らしい)は20ほど発芽したので、生垣は自動的にこれに
決まった。そこまでは良かったが、ある尊敬し奉る知人の一人にそう書いたら、
ユーカリは生垣には向かないのではないかという。

 枝ぶりが雑で葉がざんばらで病害虫にやられやすい・・・生垣に向かない樹木
って、こんな感じだろうか?実のところ、ユーカリを生垣にしたいというよりは、
生垣をツツジ以外のものでやってみたい、もちろん、種蒔きから始めるのでないと
嫌だべ?ってなわけで考えついたのがユーカリなのである。←ひどい?

 穏当な結果を得たくてやるわけではないというのはこの人もは知っていて、
「どうせ君にはあと40年あるし。」ってなフォローまでついてくるのであった。多謝。
たんに、フェンスのこっちがわに植える植物を探しているというだけのこと。

 あれを生垣にする人がいるかどうかは知らないが、Peralgonium も思いだした。
5年ほど前に蒔いて、発芽もすれば開花もした。しかしそこは2年で転勤になって
しまったし、なんせ社宅だったので往来に植えているようなもので、じっくり育て
られなかったのである。ふと思い出すと、また蒔きたくなり、居場所としてフェンス
こちら側部分はどうだ?ということになるのである。ほんと、ちょうど1mくらいに
なって、枝葉が密で、種子から育てられるペラルゴってないものなのかしら。

 これからの栽培結果を構成する要素は、自然、そしてそれをコントロールする
自分だけとなる。いやはや、なんと当たり前の状態であろうか。でも、こと植物で
ある限り、どんなへんちくりんなことをしでかそうが私の勝手であるということ、
これはやっと得た、ものすごい権利なわけで。

 とりあえずは飽きるまで、考えつく限りのばかばかしいことをしてみたい。
きれいな庭や眺めそのものは、当分やってこない。
いや、下手すると永遠に来ないかも・・・。(^^;)