2008年初夏の記録

 テッポウユリ30球、追加して植えたのは昨年秋のことである。
元々20球くらいあったのだがそこそこきれいで丈夫なので、
どうせならばーんとやってみっかあ!と思ってしまったのである。

 しかし春になり、めきめきと大きくなるにつれて後悔の念も大きく育っていく
こととなった。植えた場所というのが門から玄関までの通路で、しかもその幅が
狭かったからである。育つにつれ、ユリは倒れこそしないが通路の両脇から
しなだれかかり、ユリに触れずに歩けるのはネコだけというありさまとなった。

 開花が始まったら、またまたおしべ取りである。
採取の方ではなくて、取り去る方だ。事情がわからないままこのユリの間を通る人
(宅急便の配達とか)だっている。彼らを花粉まみれにするわけにはいかない。
自分達だけならともかく。

 この作業は一昨年もやった。ユリを華道展に使うため、花びらを真っ白に保つ
必要があったからである。作業が苦にならないのは、このときの結果を覚えて
いるからだ。おしべを取れば花粉めあての小さな虫はどこやらに行ってしまい、
ユリは全き白い細長い形となる。

 真っ白いテッポウユリは夜でも存在が浮かび上がる。50球もあればなおのこと。
テッポウユリを見つけた人々が路上で騒ぐ。
わあわあきゃあきゃあ、挙句に「こっちの方がよく見えるわよう!」ときた。

 だが、それもおしべ取りが終わる前に花がら摘みが始まってしまう。
見頃は大体半月以下、と聞くと誰しも一様にがっかりしていた。
彼女らにしてみれば、真似しようにも、花期が短すぎるらしい。

過剰なあの状況は、1週間で十分と思えるのは私だけか。

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 ギボウシの展示会をやるというので、今年も手伝いに行った。
やってきたお客に端から声をかけては、聞いたまんまの説明をする。
「通風さえあれば大概丈夫に育ちます。」「アメリカ、ヨーロッパで改良が施され、
現在では3000品種を超えています。」「お宅の斑入りギボウシの中に斑入りでない
葉が出たらすぐに抜いてください。」

 この程度の説明で済むのは奥にギボウシ協会の人が詰めているからである。
「じゃあ、全部青になっちゃったギボウシの葉は、2度と斑が出ないの?」
なーんていう話になれば、「Y野さ〜ん、青になったギボウシについてなんです
けどー!」と、こんな調子だ。

 大抵のお客は質問以前である。話をしているうちに思い出すことがあり、質問に
至り、ギボウシの展示会場らしき雰囲気になっていく。特におばさま達は、男の人に
話しかけるのに遠慮がある。そのくせ、採用する意見は男のものでないといけない。
そしたらきっかけ役は、下手にギボウシにプライドがない方がいいような気がする。

 と、そこまで考えたっちゅーのに、当のプライドあるべき人に、「いやー、オレも
あの程度の説明でいいんだなーと、ここまで言う必要ないんだと気がついたよー。」
と言われるに至っては、返事に困った。これって成功なの?それとも失敗?

 おおむね忙しくも仲良く日を過ごしたメンバーであるが、意見の相違はあった。
「ギボウシを栽培するのには日向がいいのか日陰がいいのか」という問題である。
協会員2人の主張は、「ギボウシは日陰に耐える日向モノで、日焼けでボロボロに
なろうがなんだろうが日向の方が健康に育つ!」というものである。

 さすがに協会員で、ギボウシの観賞価値よりもギボウシが健康に育つ方が
大事なのである。だが、私はそれをどうしてもそのまま客に言えない。ギボウシには
日陰に育っていつまでも美人でいて欲しい。自分がそうしたいのだ。
ボロボロになっちゃイヤだー!←このへんが「お手伝い」の限界?

 ギボウシが 「3000品種ある(数え方によれば、その倍にもなる)」と言っては
2日間お客を驚かせて遊んだのだが、実のところ私も驚くことがあった。
「700品種、2000鉢」をコレクションしている趣味家の存在を知ったのである。

 なんだそれを早く言えよ、よし、来年はこのネタで客をびびらしちゃろう!
って、それもヘンな反応かもしれない。が、この数字なら客に十分にギボウシを
再発見してもらえるではないか。そのための展示会なんだし。

 にしても、立派な好事家ではないかと思った。
何故なら、2000鉢をいちいち誇るようなことをしていないからだ。誇ることが目的
ではないというところが立派なところで、彼にとっては2000鉢も700品種も、まだ
まだ途中でしかないのである。

 客の前では 「こうなっちゃったら人間お終いですからねー」と言いつつ、
選んだのか選ばれたのかわからないなりに、とにかく、「かくあるべし」だ。
こういうことがあるから、手伝いも悪くないのであった。