弱み
怒声が聞こえた。
裏の駐車場からか?と思ってそちらに面した窓を開けてみたが
どうやら違うらしい。結局声はお隣から聞こえてくることがわかった。
それにしても。最初に聞こえた「ふざけるな!」から始まって、
「過ぎたことだって?」などなど、聞こえてくるのは片方の声ばかり。
怒ってるから声が大きくなるのは仕方ないにせよ、それは異様に通る声なのだ。
新劇俳優ばりの、それも二の線の声。
言葉がクリアに聞こえるのはアナウンサーも同じで、訓練すると部屋の片隅で
ひそひそ話してももう片方の隅まで聞こえるらしい。で、その怒声の持ち主こそは
まさにそういった発声で怒っていたのである。
窓を閉めたらいいのにと思いつつ、本当にアレはケンカなのかと、
声が声なので、まるで芝居の稽古のように思えてくる。
そして。なんせ片方の声はクリアに聞こえてくるが、もう片方の声はぼそぼそ
してるので、事情として、わかったようで全然わからない。
まさか、事情を説明してくれとは言えないし、なんかこう、もやもやしただけで
終わってしまった。くやしー。
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隣のネコは、毎日通ってくるようになった。
顔を見ればなでてやるせいで、今ではひっくり返ってノドまでなでろと催促する。
遊び足りないと、とびついて来るほどのギャングぶり、おかげで面倒くさいとき
には、居留守まで使うようになってしまった。
で、先日のこと、ネコは例のごとく遊び飽きて門柱の上に置物よろしく座っていた。
こちらも遊び飽きて、外から見えないところで植え替えをしていた。やがて通りの
方から、通行人の声が聞こえてきた。
「あら、これは西洋朝顔よ。よく咲いているわねえ。」
「まあ、本当だ。これくらい咲けば・・・あら、ネコ?」
西洋朝顔は門の隣に植えてフェンスにからませてある。彼女達は、坂を上りながら
花を見ていて、その先にある門の上の灰色のネコに気がついたらしい。
声はその後、「これ、食べる?」と続いた。
通行人はネコのために門柱の上に食べ物をのっけてやったらしい。
その後は、「あら、なでさせてくれないの?」と続き、立ち去る気配がした。
それで私は、門まで見に行った。
ネコは食べ物を門柱からうちの庭に運び、安心して食事に及んでいるところで
あった。食べ物はもらうが、わけのわからん奴にさわらせるつもりはないらしい。
芝の上で、なにやらこりこりと音をさせて口を動かしていたのである。
食べ終えたあと、ネコがまた門柱に上ったのは言うまでもない。
そしてその日は、暗くなるまでその上にいたのである。なんだかなー。
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夫の会社で、ぎっくり腰になった人がいたそうである。
なんでも当人が前屈15cmはイケルと自慢した直後、くしゃみ一つで動けなくなった
とのことで、夫が食事から帰ったら、わーわーと大騒ぎだったらしい。
それにしても、ぎっくり腰というのはなんなのか、名前が名前だからか、命に
関わらないからか、どうも喜劇になってしまうという傾向がある。
例えばあるとき、知り合いと共通の知人の噂話をしていた。
「あの方、確か一度ご病気なさったのよねえ・・・」それで私は晴れ晴れと、
「ああ、ぎっくり腰のことでしょう?」と応じてしまったのである。
悪いことをしたと、今でも少し悔やんでいる。
「ご病気」という言い方なら悲劇だったのに、それを「ぎっくり腰」と特定したせいで、
私はいきなりその人を喜劇の方向につきとばしてしまったのではないか。
(おまけに今思い出すと、ヘルニアだったような気もするし??同じか?)
だが、「痔疾」よりはマシではないか?
あれもややこしい病気で、あだやおろそかにも「そのつらさ、わかりますわ。」
などと言うわけにもいかないし、だからと言って晴れ晴れと笑うわけにもいかず、
病む方も、対応する方も大変なのではないか。
その人が「ぎっくり腰」と誰に聞いたのかは、忘れた。
当人はいつものようにしかつめらしい顔をして、「治し方のコツがわかってきた」と、
しかつめらしい言い方をしていた。それでこっちも大マジメに
「そうですか、良かったですね。」なんて。まあ、他に言いようがないよなあ。
いっそ、嫌いな奴らに限って、痔とかぎっくり腰だったら。
そう思う私こそが、ぎっくり腰経験者なのだが、そう聞いて、何人の人が喜ぶかしら。
「なにさ、自分だって痔のくせに。」ああ、そう言ってやりたい。
・・・そう言えば、自分は痔ではないという証明はどうやってするのか?
深く考えるのはやめといた方がよさそうだな。