床の間の飾り
掛け軸の話などしたものだから、夫はフル・スペックを探すべく、本棚から
「故事成語」の本など持ち出した。「人間万事、塞翁が馬」は掲載されていて、
「同じような言葉として 禍福は糾える縄の如し というのがあるが、日本では
あまりおなじみではない」ともあった。
以前もどこかだったか誰かだったかに書いたが、
ローレンス・サンダースの小説の登場人物のセリフに
「人がなにかをするための動機がたった一つだなんて、それはロシアの小説の中
だけのことですよ。」というのがあった。これを別の言葉で言おうとしたら、
「糾える縄の如し」の方になるわけだ。
でも、それだけで済ませようとすると「覆水盆に帰らず」みたいで、だから一生懸命
気を抜かずやらなくちゃ!と思うなら悪くないにしても、一度間違えたら取り返しが
つかないとまでいわれては、緊張してとんでもないことになりそうである。
しかし、「人間万事、塞翁が馬」ということなら、救いはあるし緊張感の質まで
違ってくるような気がする。←それでいいのかどうかはともかく。
・・・ところで、目次の最後の方に「酒池肉林」というのを見つけてしまった。
元々の目的は「掛け軸に使う言葉」であったが、酒池肉林とくれば、これこそは
「こんな掛け軸もらいたくないコンテスト」というのがあったら、1,2位を
争うことになるのではないか。
誰か使ってるところを見せてくれないかしら。
是非、拝見したい。書家にも聞きたい。どんな字で書くのか?と。
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友達の手紙に、「人はそうそうほめられることはないよ。」と言われた話が書いて
あった。だからたまにほめられるとうれしいらしいが、友達は「歯が浮くような
セリフでも、うれしいもんなのかしらねえ。」と贅沢なことを言っていた。
が、大体人というものがほめられるようなことを普段からしているものなのか、
たまにやるからほめられたくて仕方がないのか、でなくばほめられようとして
するものなのか、私にゃどーもよくわからない。
けなされるよりはほめられる方が断然良いことになっている。
しかし、他人をけなして自分を保とうとするような人の言葉は気にしなくても
いいと考えるなら、ほめる人のこともまた同じなのではないか。
ただ、普段人をほめない人が一世一代の覚悟でほめるときがある。
そうなると驚いた挙句にお互いにしどろもどろになったりして、中々の惨事である。
もちろん、かなり幸せな「惨事」である。
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掛け軸や床の間の意味、ってのは何なのか。
床の間がお家の「宝物」を飾るところであり、その人達を表現するものならば、うち
ではそこにあるべきは掛け軸ではないし、改めて買いに走るようなものでもなかった。
この家を見るために初めて入ったとき、写真館で撮った家族の写真が飾られていた。
床の間は荷物で一杯だったが、その写真があるところが、本当の床の間だった。
私個人の床の間は本棚かもしれないし、鉢置き場かもしれない。
それはいいが、「家族の写真」にあたるものはどこにあって何を置くことになるのか。
置くものは、もう決まっている。
砂漠の砂コレクション、である。コレクションったって自分が行ったわけではない。
きっかけは、夫の後輩だった。彼が石油のパイプラインの仕事でアラビアに行くと
聞き、多分私達は一生行かないだろうから、代わりに砂を採って来てくれと頼んだ。
敵はなんせ砂漠の砂なんて見飽きているので、すぐには本気にしなかった。
本気にしないあまり、他にも色々買って来てくれたのだが、そんなものは
ほったらかしで、こちとらは砂を持って踊った。
中国の砂漠の砂は、これは別の人に頼んだ。彼の場合も仕事だったが、こちらは
一生で一度と思ったのだろう、それはとても良い考えであると喜び、自分の分と
一緒に快く採取してきてくれた。500CCのペットボトルに、2/3ほども・・・。
砂ではないが、「一見ただの軽石」というのもある。
これが死海のほとりから拾ってきてくれたという軽石で、まさにただの一見、軽石。
失礼ながらに疑い深く困った顔をしてる私に、敵さんはにたっと笑って、
「なめてごらん。」と言った。これが、しょっぱかったのである。
モノによって自分達を表現しようとしたら、こういう選択になるのだが。
それにしてもこんなヘンなものどもを、どうやって床の間に飾ればいいのか。
こんなのを美しい容器に入れ替えたら、ただのバカではないのか。
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お詫び:ワタクシの指定が不充分なため、「園芸」に入るべきものが「暮し」の方に
まぎれています。夫によれば、「おんなじじゃん」とのことなのですが、
片方だけ読んでいる人もいるはずであり、一方こちらで「何これ一体?」と
思った方、申し訳ありません。そんだけで〜す。