体温より暑い日

 青木るえかを読んでいたら、村上春樹が「当たり猫とスカ猫」と書いていた、
とあった。(孫引きで申し訳ない。)当たりの反対語は外れのはずなのだが、
「スカ」と来るか!と私はいたく感心したのである。

 思い起こせば、実家で飼う猫の殆どはスカの方だった。
ペルシャ猫は長毛種のくせに外出ばかりしていて、最後には行方不明となった。
思い出はケンカに弱かったこと(あんなに大きく見えるのにねえ)と、父がおかずを
くれないとお終いには父の箸から叩き落して食べ物をゲットしていたこと・・。
キャット・フードはちゃんと置いてあったのに。(思えば父の躾もスカだった )

 その前のネコは、下駄箱で生まれた小ネズミの巣を見て猛スピードで逃げた。
家庭訪問のときなどは、先生という他人がいることに驚いて必死で逃げようとしたは
いいが、通りぬけるべき障子の穴は成長しすぎていたがゆえに狭すぎて、
もがきまくれども中々出られず、先生と母を戸惑わせたこともある。

 沖縄で拾ったネコは当たりだったが、実家で子を産んだらその子がスカになった。
こいつは母ネコが木の枝の交叉部分にちんまり座っている横で、たった1本の幹に
座ろうとしてぐらぐらしてるようなネコだった。父と母にしかなつかず、私が帰ると
家出した。そう言えば、私はアレにエサをやったことがない。ねだられたことが
そもそもなかったような気もする。

 この家に移ってきてから手なづけた通いのネコは、当たりだった。
通るネコはもう1匹いて、私はどちらを手なづけようかと迷ったが、こちらは
夫の評価によれば 「いかにも頭の悪そうな」(余所様のネコに失礼な!)
スカっぽい猫だった。

 通いのネコがいなくなったときはそっちに鞍替えしようとしたが、夫が猛反対。
「そんじゃ、あんたが私にネコを飼ってくれるっての!?」と聞いたら
「そのうち飼う!・・となりが。」だって。(うちの夫も時々スカな返事をするが、
このときは最高にスカだった。)

 幸い通いのネコは病院から帰ってきて、また通いのネコとして復活した。
その後、となりでは犬も飼ったがこいつがスカで・・というのは別の話か。

 どういうのが当たりで、どういうのがスカか。
自慢話にならない性質をたくさん持つほど、スカということになるのだろう。
もちろん、かわいいと感じるかどうかは別の話である。

 青木るえかはどこの家でもネコというものを最低限1匹飼うべきだと考えていて、
私はそれに賛成である。あえてスカにつきあう余裕こそが、人間である
醍醐味ではないのか。

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 「食生活の歴史」瀬川清子著:講談社学術文庫

 一体人が言うほど日本には最初っからコメがあり、コメばかり食べてきたのか
ということ、大豆の加工食品がここまで日本人に馴染み深くなったのは何故なのか
ということ、あとは海のものであるカツヲブシはいつから山の中でまで普通に使わ
れるようになったかなどを、ふと考えてしまった。

 私もそれなりの年齢であるが、それでも頭の中からまず車をなくし、電車も汽車も
電気もモーターも、とにかく便利なもの全てを除外して流通や生活を考えていくことは
かなり大変なことである。当然、あっという間に煮詰まるので本屋に行く。そこで
見つけたのがこの本である。

 この本を読むと、稗や粟はコメより格が下、といった漠然とした認識が、コメは
お金に替えられるからエライのではなく、何故お金に替えられるくらいエライのか、
という肉付けを持った、立体的な知識に変わっていく。

 稗、粟の類は知識として知っていても、現代では現実に食べることは少ない。
文明の力によって究極の食べ物であるコメを得させられた我々は、逆にそれ以外の
食べ物を選択できなくなったことになる。・・と思っていたら、料理書に
「雑穀ダイエット」というのが載っていた。

 私達は省エネという言葉を知ってはいても、ちゃんと無意識のうちに文明を
浪費していて、ついでに文化を省略しようとしている、と思ってきたのだが。コメ
よりずっと手間がかかるはずの「雑穀」という文化は文明によって蘇ったのであった。
いやー、めでたい。

 それにしても、この本の話は古いなと思い、文中の、「昭和32年当時」という記載に
驚き、著者略歴を見たら1895年生まれだった。なんとすごいことに、この本は1895年
生まれの著者が1957年に上梓したものを2002年に再版したものだったのである。

 今、いくつかと聞きたくもなるが、さすがに著者は、1984年没、だそうだ。
なんだか、聞けば何でも答えてもらえるはずの身内のおばあちゃんがいつの間にか
亡くなってた気分である。「惜しむ」とはこういうことか。

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 それは、私が所有するなかでも一番くどい洋服である。
絵柄は首に赤いちりめん巻いたクロネコが糸の鞠にじゃれているもので、地色は紫。
女ばかりの集まりでは、異常に人気がある。とはいえ、くどい。

 「どこで買ったの?」と何人もの人に聞かれたが、「那覇の三越」という答えもくどい。
沖縄ソバによる胃のもたれを抱えながら首里城で琉球舞踊を見た後、何故か夫と
別行動した隙にバーゲンで見つけてしまったというストーリーも本当にくどい。
(知人は、そんな状態で試着にまでこぎつけるアナタもくどいと言ってくれた・・)

 同じ店には、これまた写実的なニワトリが描かれている洋服も売られていて、
どちらにしようか迷ったが、ネコと違ってニワトリでは言い訳がつかない。
「カワイイと思って〜。」と言ったら、「白色レグホンがか。」とつっこまれそうで。

 「だから、踏みとどまってこちらのネコの方にしたのよ。」という余談がつき、
「よくぞ踏みとどまった。」とホメてくれた人もいたし、「でも、そのニワトリも見て
みたかった気がします。」と言ってくれた人もいて、それくらいくどい。
薄まったのは、新宿の京王にも同じ店が入っている、という事実である。
(しかし今年は、そこまでくどいプリントは売られていなかった・・・。)

 オトコものでくどい服と言えば、かつてはカール・ヘルムのアロハだった。
ここのアロハは和風の染物のような柄で、写実的な金魚とか、もう絶対に普通じゃ
ないと思われてもいい人々が着るとしか思えないほど、派手。

 いつか着たいけど、着る日が来るのかしらと思っていたある日、それを着た人と
出会った。その人が着ていたのは、確か金魚が風鈴だか朝顔だかの間を泳いでいる
という絵柄で、やはり、やはりカワイイ。一方で、やはり着るには勇気がいる。

 そして私はと言えば何よりもあれを本当に着ている人に初めて出会ったのが
うれしくて、しばらくにこにこじろじろと見ていたので、何か別の用件があるように
見えたかもしれない。

 で。その後私はどんなあっぱらぱーに見えてもいい、あのアロハを着たい!!
というわけで、カール・ヘルムに走った。だが、不況は物好きの再生産を
許さないようになっていた。つまり、くだんのパターンのアロハは生産中止となって
しまっていたのである。ううー。