幸せな人々

 西原理恵子の「鳥頭紀行」が着いたと友達から電話が来た。
感想はこういうものだった。「あんたの送ってくれる本ときたら、面白いのは
いいんだけど、下品で下品で。私はあんたのくれた本を夫から隠すのが大変なのよ!」

 って、別にそんな下品な本「ばかり」彼女にあげてるわけではない。
その前は建築関係本、「中野本町の家」だった。(送ってしまったので、出版社名
不明)B6かなんかの小さな本で、昔から意味もなく存在だけは知っていて、夫が
買って来たときには「あちゃー、とうとうこれを読むのか」と思ったという本である。

 当の家は、巨大な新興宗教の墓のような家で、ちょっと見は馬蹄型と言ったら
いいだろうか。真中に中庭があって、施主一家の生活場所はその馬蹄のチューブの中
である。施主は30代で夫を亡くし、直後娘達と暮していく家を建てるにあたって、
建築家である弟に設計を依頼し、こういう家を建ててしまう。で、この本は、その
家に関わった当事者達のインタビューをとりまとめたものなのである。

 それにしても、絵や音楽程度にしておけばいいのに、何故この施主は家なんかに
その思いを反映させようなんぞと思ったのか。家というからには、生活の場所である
はずで、例えば「ただいまー」と言って帰るはずだがこの家に限っては、「私よ」と
言って、家に戸を開けてもらうことになりそうなのである。

 白く細長く続くチューブの内部で、サンマも焼けば味噌汁も飲んだはずなのだが、
生きるとか生活するとかいう言葉がこれほど似合わない家もない。あくまでも主人公
は家であり、その中に込められた思想であり、住む人はそれへの殉教者なのだ。

 実際私が読んで驚いたのも、こんな変わった家を作るというのに、建築家が住む
人間に対する影響を何も考えてなかったということであり、それはどうやら珍しく
ないことらしい、ということだった。家を取り壊すにあたっての家族インタビューを
見て、「家にこんなに人間が左右されることになるなら、自分達はあだやおろそかに
家を作れないなあ」、というとんでもない意見が建築家の間で平気で出る。

 夫は電車の中で「飛ぶように」読んだと言っていた。
私も同じようにして、読んだ。と、そこで最初の話に戻るのである。
 「こんなコワイ家で育てられたのに、この娘達がまともに育ったというのが不思議
です。これならアフガンの洞窟の方がなんぼかマシではないでしょうか。」
と、ここまで手紙に書いて送ったというのに彼女ときたら、お下品(?)な本ばかり
喜んで、こういう辛気臭く高尚にしてなお、結果的に大ボケであったという記録には
ちいとも反応してくれないのであった。まったく。シワが出来ると思ったかなあ。

 ところで、何故今頃になって「鳥頭紀行」なのか。
他の紀行も一緒に入った文庫が出てるのにとお思いの方もいらっしゃるかもしれない。
簡単な話である。彼女ったら、「細かい字のは、送っても読まないからね」
と言ってきたのである。だからわざわざ大きい本なのよ。なんだかなあ。

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 母は、お世辞が嫌いである。
その日も、心にもないお世辞を言われたと言って、怒っていた。
娘である私が同じようなことを思ったことがあったのか、記憶にない。
が、お世辞を言われて怒るなど、贅沢な話だということくらい、わかる。

 それで娘は面白半分に母親に言うのである。
「お世辞は、理由があるから言ってもらえるのよ。必要のない相手なら、そんな
無駄なこと誰もしないの。だからこそ、どうでもいいようなお世辞を後生大事に
抱え込んでいる人達がそこらにうろうろしてるんじゃないの。」

 「言われてみれば、本当にどうでもいいことをだらだらと自慢する人は多いけど。」
「そんな話しか通用しない人々しか知らないんだから気の毒だし、つきあうのは
苦痛だけど、わからなきゃしょーがないよね。そう思えばさ、お世辞なんぞは、
言ってるな、くらいに思って内心添削しておくくらいで丁度いいんだよね〜。」

 「なるほど、そう言われれば腹も立たないけど・・・。」
って、おかーさん!アナタという人は、今までお世辞言われて一々腹を立てて
いたんかい!?娘は、心ひそかに驚きつつ、しかし自分の発言の傲慢さには
全く気がついていなかった。

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 ある御大が、30以上も年下の女の人とおしゃべりしたと言って喜んでいた。
あきれるよりなにより、かわいいなーと思った。そしたら、誰かが書いていたことを
思い出した。人間は、いくつになってもそういったことを忘れてはいけないし、
それを忘れるのは、生きていることに対して失礼なのだ、ってやつ。

 最近、「ナビィの恋」という映画を見た。
ナビィと聞けば外国の映画かしらと思うが、これは沖縄映画で、「ナビィ」という
のは方言で「鍋」のこと。その昔の沖縄の女と言えば、ナベとかカマドとかいう名前
だった。で。これは今や「オバア」と呼ばれるようになったおナベさんの、娘時代
からの恋の物語、という意味になる。なんせ沖縄方言とて、映画には字幕まで
使われている。

 で、映画の最初の方に出て来る「十九の春」という歌の前口上に、
「今夜は十三夜、月の美しい夜です。こんな夜は木も草も花も心を飾りて・・」という
くだりがあるのなのだが、その「心を飾りて」には、「恋をする」という訳がつく。

 恋とまで言わなくてもいいかもしれない。
「ちょっと華やいだ特別の感情」、という程度でもいいかもしれない。そしたら、
そういった感情が「心を飾る」ものだというのは、いかにも沖縄の言い方らしい。
(沖縄には「飾り」という言葉に悪い意味は何ひとつない。)

 そういった感情を感じることが出来る、それは悪いことではないどころか、逆に、
年をとっているぶん、なおめでたいことなのだ。ジーサンもバーサンも、それは
自分が生きていることに対してまだまだ誠実に対応出来ているということなのである。
後は、相手に嫌われない程度に、ぐっどらっく!(;^0^)/なのである。

 私も、何かにすっごくうれしく驚いたり、誰かや何かを好きになったりして、
色んな飾りを集めたい。誰かが飾りを集める助け(って、それは大体植物方面での
ことなのだが)にもなれれば、それはそれでまたとても楽しいことだと思っているし、
いつまでもそんな風に考えてもいたい。

 最近、こんな風に考えられるのは、幸せ、というよりも、ものすごく
贅沢なことなのだとわかってきた。ああ、だから「飾り」なのかな。