1月中旬里帰り

 コンピューター・ウィルス騒ぎがあったのは、1月も中旬に入ろうという頃だった。
うちでは、夫のおかげで事無きを得た。なんせこの人ときたら、電気とか工作とかの
同好の士に、「マニアックですよねえ〜」と、身をくねらせてなつかれてしまう人
なんである。

 その何日か後にその仲間内が集まる機会があったので、ウィルス・メールをくれた
人、もらった人々による情報交換が行われたが、理数系の夫がなんとかしてくれる
私は、当然蚊帳の外となる。なかなか贅沢な不幸であった。

 ところがその数日後、いきなりパソコン、ぶち壊れ。「何か思いついても書けない」
どころかメール・チェックも出来ないという、贅沢どころか絶対的な不幸に
見舞われることとなった。

 「この感じでは、くだんのウィルスとは関係ない!」と夫は言う。
てことは、この不幸はオリジナルな不幸でもあるわけだ。幸せな部分を数えると
したら、例のごとく「あなたお願いね〜〜」で済むということだ。

 思い起こせば独身時代、理数系の人間は周囲にいなかった。そのうえこいつは
沖縄の人間でもあった。正月にやってきた若いもんたちには、「いやあ、物珍しくて
つい、結婚までしちゃって〜。」と言ってウケたものだが、あながち嘘でもない。

・・・うちにはCRTだけで4つはある。キーボードは6つくらいかあ?現在私が
使うキーボードはIBMのもので、そりゃ私はブラインド・タッチでローマ字入力では
あるのだが、キーボードにアルファベットしか書いてない。な?物珍しかろう?

 「どこをどうしようか。今回けっこ〜難物だよなあ。」
と、涼しい顔で言っている人間がいれば、私に手を出す隙はこれっぽちもありゃ
しない。「贅沢な不幸」とは、こういうことである。

 半日やそこらでは治らないので、「ウィルス」も「オーリキュラ」もアップ出来ず、
おまけに翌日からは実家に行くことになっていたので、やれるだけやって、パソコン
は実家から帰って改めて治すことになった。

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 翌日昼過ぎ、実家へ行くために夫と渋谷で落ち合うと、夫はお土産とお弁当を
手に持っていた。山手線に隣同士に座ると、そのお弁当から、なんだか香ばしい
ような香りがしてくる。「お弁当、何?」と聞くと夫、「うふふふ、内緒。」とくる。
おのれ、妻に隠しごとかい。←?

 なんだかんだとしゃべり、2駅過ぎたあたりで、「・・肉まん?」とひっかけて
みるが、「特急に乗ってから。」と応じない。それでまた色々しゃべって、もう
3駅過ぎたところで、「・・・カツ・サンドでしょう?」
夫、こらえきれず笑い、それでも教えない。くそうっ!!

 指定席にふんぞり返り、取り出したそれがカシャカシャと変な音をたてたのは
アルミ・ホイルで包まれていたせいだった。渋谷サムラートのカレーとナンが出現。
当人の話によると、持ち帰りを作ってくれるサムラートの支店が出来たのを幸い、
買ってきたというのである。特急電車の中で、私達はさながらインド人であった。

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 実家につくと、マメなことでは舌をまく義弟が妹と一緒に年末に来て、文句たれる
妹!を励まして畳をあげ、たんすを動かし、障子貼りどころか襖の張り替えまでした
そうで、古い家がなん〜となく明るくなっている。

 うちの夫はと言えば、電化担当娘婿ってやつである。
古くなったガス湯沸し機を付け替え、ファクシミリセットアップ、センサー・ライトの
取り付け。また離れの2階からTVを持って来て台所で見えるようにする。私の仕事は何か。
「電話回線が一つしかないファクシミリの、間違えようがない使い方」をわかりやすく
母に教える(わかるでしょ、なんとなく)というもの。あとは、おさんどん。

 また、イノシシが捕れたのだそうで、カレーを作るのだが、ありあわせのカレー粉
が良くない。シーフード・カレーならそれなりに調和がとれたものになるのだが、
イノシシを使うとスパイスがイノシシに負けてしまうのである。私は夫がそう頼む
のを幸い、カレーを家で作ることがないので、見当がつかない。

 そしてもはや国民食とも言えるカレーであり、「カレー自慢」の奥さんやダンナさん
は日本国中、山のようにいると思うのだが。しかし、そう自己申告されたところで
調子に乗って聞ける話だろうか、「イノシシ入れてカレーを作る場合のスパイスの
調合」なんての。いきなり不機嫌になられるのが関の山だ。トホホ・・・

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 それでも食べられないほどではないという程度にカレーを仕上げ、それは放って
おいて、温泉と食事に行くのである。問題はこの食事をどこでするかということ。
モメる。絶対確実な店はあるのだが、飽きている。他にも店はあるのだが、不景気
もあって経営者が変わりまくっている始末。大体のところ「海の幸」をうたってあれば
それは海があるのを幸い芸がないという意味であり、うたってなくても芸がない。

 「エスニック」の店があるのを見た私が、両親に食べさせてみるかと言えば、
「田舎」という市場に矯正されてわけがわからなくなっているに違いないものは嫌だと
夫がわめく。で、温泉への道端に「イタリアン」発見、母は見るたびに入ってみたい
ものだと思っていたとのことで、それにしよう!ということになったのだが。
お風呂から上がってきたら、店が閉まっていた。おいこら。土曜の夜だぞ?

 しょーがないので、経営者が変わったある店に行く。
ここもまたなん〜とも言えないところで、昔は鍋なんか出してて、和食の店だった。
今は・・・まあ、何でもありだ。偏食なご家族が来ても、誰も食いっぱぐれがないと
いう意味だ。店の2階は地元の陶芸家の作品を展示するギャラリーになっている。

 4人で、店が前面に押し出しているらしいところの、鄙にはまれなはずの名前の
一品料理を、端から食べてみる。エスカルゴを真似たサザエは固くて食べられず、
金目鯛と菜の花のクリームチーズ・ソースのパスタはまあ食べられたが、何が
すごいと言ってこの「金目鯛」が切り身で唐突にパスタの上にどすんと乗ってきたの
には驚いた。菜の花だけではお金がとれないのはわかるが、ここまではっきりと
「言い訳」されても。

 主だったメニューを4人で食べるだけ食べ、「もう少し暇になったら、また東京に
行くわ。」という結論に至るのがなんとも言えない。いや、生ビールは大量に管理の
良い奴が来たし、中華系の料理はそこそこだったんだけどね。

 帰宅してから、正月用に買ったはものの食べきれなかったカニを片付けつつ、
まともな料理はどこにあるのかという話になる。観光地はどこでもそうだろうが、
良い素材は、市場からそのまんま旅館に行くはずである。今度は、風呂と食事だけで
旅館と交渉してみるかという話になった。こりない人々、かもしれない。

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 その翌日の夕方、イノシシ肉をもらって、二泊三日工事の旅から帰宅した。
夫は翌朝の2002年1月下旬に入る日の出社直前までに「松風」を生還させてくれた。
ネスケを使えるようにしてくれたのは、そのまた翌日だった。メールが10通も届いて
いて、最初の仕事は余計なのの削除、その後が返事書きというものだった。
やれやれ。