最初の一歩
初日は、手を束ねて見てるだけで終わった。
二日目は、仕方なく抱き上げた。三日目はミルク作って飲ませてお風呂に入れる
アシスタントして、四日目は・・・まだ、おむつの世話だけはしていない。
五日目は、赤ん坊をフトンに戻す時、丸太ん棒のように転がしてしまって
妹に「ザツ!」と叱られた。
しかし、新生児なんてそんじょそこらに転がってるもんではなく、
ましてコドモのいない私が扱いなれているはずもない。人間のビギナーであるところ
の赤ん坊を見ているのは、母親のビギナーと叔母のビギナーで、つまりは全員が
初心者で。最初っからうまくいくはずもないじゃ〜ん。←いいのか、納得してて?
大体がとこ妹の仕事は「授乳」と「オムツ替え」に代表される育児、のはずだった。
私の仕事は、それ以外の雑事を引きうけて妹に休養させることだった。
しかし、妹の一日は授乳とオムツ替えだけで過ぎて行き、何故か「休養」の時間が
とれない。
新生児の授乳は三時間ごとに行われるとは言うが、人間なら腰に手をあてて
三口で終わる程度のミルクを、赤ん坊は小一時間もかけて飲む。その後げっぷさせ、
内容によっては二種類のオムツを替えると、次の三時間後などはすぐに来てしまう。
結局、妹に「あんたは寝ておきなさい。」と言うためには、自分も育児に参入
せざるを得ないのであったが、ヘンなもので大人が二人いて同じような仕事を
してるにも関わらず、時間の余裕が出来ない。結局は赤ん坊のペースだから
だろうか?
そのうえ姪はげっぷが出にくくて、すぐミルクを吐く。げっぷをさせるにも
時間がかかるが、そのうえ出なかった場合には、寝ている姪を見ていることになる。
むずかり始めたとたんに身を縦にして、げっぷをさせるためである。
おやっさんのようなげっぷを出してくれたらどんなにうれしいか・・・。
いずれにせよ、「げっぷ」は出た方が良い。そして、ひゃっくりはない方が良い。
そう、姪はげっぷは出ないくせに、ひゃっくりは良く出るのである。
私の子供時代、「ひゃっくりを100回やったら死ぬ」とまことしやかに囁かれていた。
いくらなんでも今でも本気で信じているわけはないが、ただ、あれっぽちの身体で
一生懸命ひゃっくりしてるのを見ると、笑いつつも気の毒にもなる。
で、またインターネットで調べてみたら、やけにヒットが少ない。
そこで改めて知ったのは、「ひゃっくり」ではなく「しゃっくり」なのだということ
だった。いやー、驚いた。
姪は12月6日で生後一ヶ月を迎える。
今もげっぷは出にくいし、たまに「しゃっくり」もしている。
変わったのは、そのことを育児の中に平然と折り込むことになった、ということ
である。私と、妹が。
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姪が産まれたという報せをうけた私は、病院に花を抱えて行った。
だが、病院に通う道すがら、もっと大事なことを忘れているような気がしていた。
生後3日目になったところで気がついた。忘れていたのは、「写真」であった。
今にして思えば、「花」なぞはムコ殿に言いつけておけば良かったのであった。
彼なりに、そういうのもやっておきたかったに違いない。だが、今となってはもう
遅い。というわけで、それと気がついてから私は「写真」撮りまくり担当、となった。
これは中々良い考えであった。なんとなれば、ムコ殿がいるからである。
ムコ殿の母親が来たときには、四人で撮ってやったが、出来あがった写真を見て
笑ってしまった。妹も姑様もカメラに向いているのに、ムコ殿だけは赤ん坊の方を
向いているのである。
産まれて最初に抱かせてあげたら、そのまんま産湯やら何やらに行ってしまい、
帰って来なかったムコ殿、退院したら「父親っこ」にするべくはりきっていたムコ殿、
だというのに社宅の改装工事のせいで、たまにしか娘に会えないのである。
せめて一緒にいるときくらい、顔を見ていたかったのだろう。
シャッターを押すのが父親なら、その姿は写真に残らない。
彼の親バカ写真を残してあげられたのは、良かったと思っている。
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昔、「コドモを映した無編集のビデオを見せられることほど苦痛なことはない」と
TVでやっていた。その時は、そうだろーなーと思った。そして現在、自分も
身内も、そのへんは力いっぱい気をつけなければ!!と考えている。
やりかねないからである。
同じように寝ている姪の写真が、既に10枚以上はある。
他人が見たら、実につまらないはずである。道具だては一緒で、中身の状態だけが
違うからである。ヘンな顔をしていたり、バンザイしながら寝ていたり。
しかし、身内にはそれだけで十分なのである。
妹なぞは、目の前に本物が寝てるのに、寝ている我が子の写真を見て微笑んでいる。
夫は昨日、姪のお風呂から眠りにつくまでの一部始終をビデオで撮影した。
この次は、ビデオ一本丸ごと、寝ている姪の撮影に費やすつもりである。
事件は、姪の手や顔の表情の動き、となる予定である。
田舎の両親は、最初から最後まで、飽かず眺めることになる。編集など、とんでも
ない。3分後の、ちょっとした音でビクっとする様子、12分後の寝言の一声、それを
楽しむために、余白の時間がある。
ビデオテープを同じ時間を使って見ることで、自分達の孫と同じ時間を
過そうとしているのである。
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「コドモというものは、いてもいなくても苦労する。」
そう聞いたときには、けだし名言だと思ってきた。いないゆえに、いる人から
それゆえの苦労ばかり聞かされたりすると、返事に困ってもきた。
そして現在、姪を得て思えるのは、「コドモというものは、いてもいなくても
楽しい。」ということである。何も物事否定的に考えることはないのに、私ときたら
何を大ボケぶっこいていたのだろーか。
コドモがいようがいまいが関係ない。それゆえに持てる楽しさを人は見つけて
謳歌すべきであり、それこそが知恵というものなのだった。わははのは〜。