超立体マスク

 中島義道。彼の本で買ったのは、「うるさい日本の中の私」だけである。
あれは結局、世の中は理屈で出来てはいないという事実を無視し、現実に果敢に
挑みまくったオッサンの話である。

 思考回路が合うのか、それとも文章がうまいのか、彼の本はすらすら読める。
それはいいのだが、はっきり言って、彼はうっとおしい。何時間もあの世界に浸る
根性は私にはない。最初の一冊以来、彼の本は目次で拾った立ち読みで済ませている。

 中島は、「他人を変えるより自分が変わる方が早いのだから、そのへんはさっさと
流してしまう」 ということをしない。だから衝突ばかりしている。彼の理屈は
理解するが、つきあうのは辛いのである。

 ところが、「私の嫌いな10の言葉」によれば、そんな彼に向かって、
「冗談で書いているんでしょう?本気ではないのでしょう?いやあ、アナタの書いて
いるものは面白い!」てなことを言う人がいるらしい。なんと命知らずな奴。

 こんなにも時間をかけてモノを書いて、それでもわかってもらえないのかと思えば、
そりゃー中島、辛かろう。しかし中島、表現というものをやっていれば、誤解する
奴がいないわけがないのであって、そんなものは行きがけの税金である。

 「本を買ってもらった以上は、納めとけ。」と、こんなところに書いておく・・・
・・・・。

 青木るえかの、「主婦でスミマセン」。
この人は本の雑誌に書評を書いていて、それが面白い。だから本屋でこの人の
文庫を見つけたときには、いそいそと買ってさっさと帰った。

 中身はタイトル通りで、自分は書評を書いてる人です、なんてことは一言も触れ
られていない。ただひたすら自分はヘンな主婦である、ということがつづられている。
白眉は、彼女が自分の鼻血を使って実験するところである。

 彼女は病気でもなんでもなく、ただたんに血の気が多いという理由で、鼻血ばかり
出している。これじゃ仕方がないので、大事なことがある日などは、先に鼻血を
出しておくやり方を覚えたという。←前向きな解決と言っていいのかどうか??

 で、プリンの容器に溜めこんだそれを見てるうちに、何か有効利用できないものか
と考えたんだか、もったいないような気がしたんだか忘れたが、とにかくそれで
様々な実験を行うのである。例えば茹でたり、味噌に漬けてみたり。

 さすがにそれを食べはしなかったらしい。
豚の血のソーセージなどは有名だし、沖縄の豚の血を炒めた料理(チーイリチーと
言うらしい)は、一度食べてみたいと思っていたのに、頼みの綱の義姉に
「あれは新鮮な血がないと・・」とやんわり断られた身の上としてはちょっと不満。

 それを思い出してみればこそ、「食べてみれば良かったのに。」と考えるのだが、
もちろんそれで私がおもてなしされるのは死んでもイヤ、である。←卑怯者?
鼻血の何がいけないのかといえば、それが他人の鼻の中を通ってきたからで・・・
って、何をマジメに良い訳してるんだか、私ってば。

 それはともかく実はこれ、夫にも朗読してやったが、妹にも朗読してやった。
妹は散々笑いころげた挙句、「その人とは友達になれない気がする。」と言った。
友達?青木るえかと?それは考えつかなかった。

 なるほど、世界が滅んで私の他に「中島義道」と「青木るえか」しか残らなかったら。
一体全体、どんな付き合い方をしたらいいのか、それは中々悩ましい問題ではある。
イヤなせ界になりそうで、とりあえずそんな事態にならないことを、切望する。

 実は先日、新書の棚で中島の「ぐれる!」を見つけ1時間以上も立ち読みし、結局
私は、その中で見事にぐれていると評価された三島を久しぶりに買ってしまった。
そして中島の方はといえば・・・棚に返したに決まっている。ははははは。

 「ぐれる!」を読んで思ったのは、ここまでくれば中島は中島を演っているなあ、
ということであり、中島節も極まれり、ということであった。
もはや感動を通り越して、定番の趣となったのである。

                 xxxxxxxx

 何故この医者はこんなにも私にマスクをさせたいのか?
というのが心ひそかな、ヒマラヤ医者への疑問であった。いやあ、あたしゃ
知りませんでしたね。今年入った花粉の数だけ来年はひどくなるなんて。

 そんなの誰も知らないとまで言っていいのか悪いのか。ともかくそのへんの
花粉症患者の9割の対応は対症療法的でしかないと私は見ている。(つまり、
薬で症状がなくなればマスクはしない。)しかし問題は、自分の花粉症である。

 春ともなれば、外に出ることも多い。というか、今こそ外にいたい。
で、医者が言うので、致し方なくユニチャームの「超立体マスク」というのを買って
きたのである。で、つけてみた。その姿はといえば考えた通り。自分のことながら、
情けないを通り越して「笑えた」のであった。

 一応、世間に期待して外に出てみる。最初の1ブロックで60代のオバサンに
好奇の視線で見られ、次の1ブロックで小学生に笑われた。世間に期待などしては
いけないことがわかった。花粉症のマスクは、人間の尊厳に関わる。
私は、速やかにマスクを外すことにした。

 で、次の病院通いの日。
暖かくはなっても、相変わらず薬で症状が抑えられていることを確かめた後、
医者は恒例の一言を言った。「で、マスクは着用してますか?」
ここぞとばかりに言い返す。
「してみましたが、あまりに笑われるので、いっそひきこもることにしました。」

 医者、答えに笑いつつ、「笑わないでしょう?」と言う。
「いえ、笑います。ユニチャームの超立体マスクは最悪です。」
「ボクはそれ、見たことないけど・・・。」それは事実であり、正確な言葉かも
しれないが、この場合は何の意味もない。にしても本当にこの医者、花粉症マスクが
ヘンだと感じたことがないのか?

 さすがに馬鹿馬鹿しいので医者には言ってないが、困るのは、庭にもいられない
ということなのだ。何故かと言えば、様々な花を外に向けて飾っているし、門から
玄関までの、外から見えるアプローチ部分にミニ・ボーダー花壇まで作って
いるからである。

 それが、どう「いられない」ことになるのか。花を見ると、通行人は、まず喜ぶ。
喜んでそのまんま行ってしまえばいいが、他にもあるかもしれないとか、どんな人が
育てているのかなどと余計なことを考え、よしゃーいいのに、生垣の隙間から
覗き込んだりするのである。で、そこにいるのが、マスクの私なのだ。

 香港では、SARS、例のわけのわからん肺炎のために、日本製の花粉症用
マスクが大量に発注されることになったそうである。なるほど、命に関わると
なれば、もはやマスクの形くらいどうってことはない、というのを通り越し、
ヘンな形が頼もしくさえ見えるかもしれない。つまり、深刻さという点において、
花粉症はいまいち「ゆるい」。

 「何故、松葉杖は笑われないのに、花粉症のマスクは笑われるのでしょう?」
そう言ってやったら、医者はまともな返事が出来なかった。で、どうしたかと言えば、
仕方ないので、「自分の身は、自分の身で守るしかないのだから、気にしないで
マスクをしたらどうでしょうか?」と、論点をずらしてきやがったのである。

 クソ真面目と陳腐と的外れとが入り混じってる相手に、返す言葉がない。
つい、「身はともかくとして、ココロはどうなるんです?」とつっこみそうになるのを
危うく踏みとどまることになる。

 そりゃ、これ以上ひどくしないためには、マスクは有効かもしれない。
しかしこの医者、世間というものを見ていないのか。首都圏における花粉症罹患率と
マスク着用率の比較を行ったことがないのか。移動がいつも車だとしても、それでも
・・・気がつかなかったというのか、マスクが避けられる本当の理由を。

 思わず、馬とか鹿とか、そんな文字を思い浮かべてしまうのだが、人道上考える
べきは別の言葉、せめて「この人、開業より研究室が似合ってる・・」という程度の
ものであろう。で、とりあえずこの日はうやむやに出て来たが、さて、次回は
どうしたらいいのか。

 相手は殆ど、中島義道だ。対する私は、一介の若く美しいオバサンだ。←?
というわけで致し方ない、例の、大人のリセット・ボタンを押すことにした。
つまり、嘘をつくのである。

 次に聞かれたら、マスクを着用していることにする。それで話は終わりである。
なんせ私もモトが誠実なので、嘘を言うのはとっても辛い。だが、仕方ないだろう。
ここまで引っ張り出してしまったのだし、これこそは自分が蒔いた種だ。

 にしても、誰もこの医者に「マスクは格好悪いからイヤ!」とは言わなかったのか。
開業して何年経っていて、しかも花粉症患者がどれくらい来たかは知らないが、
何人の患者がこの医者にカラ返事をしてきたのだろう?そしてこの医者は、それを
全て信じてきたのだろうか?

 って、そんなことを考えたところで、何度も書くが「致し方ない」。
さー、練習練習!