東横線って、オカマが多くないでしょうか?
写真が増えた。
姪の大福のせいである。親馬鹿の妹夫婦は、御多分にもれず娘の写真を撮りまくって
いる。つまり、私の増えた写真は、全て大福を抱いてる。彼らが撮影しているのは
私ではなく、私に抱かれている大福、なのである。
私は写真を撮られるのがあまり好きではない。
写真の殆どはつきあいで撮ったものだし、大福との写真さえもその範囲を出ない。
必然的に写真の数は少ないし、その写真も大抵はイヤそーな顔で写っている。
普通は写真の数が幸せの数らしいのだが。
ところが、こんな私だというのに、よしゃーいいのに葬式だというのに適当な
写真がなくて遺族一同、探しまくる話を読んでしまったのである。その話では、
お終いには似ているイトコの写真に眼鏡を書き加えるという案まで出てくるのだ。
死ぬ予定はなくても、その程度の写真は所持しておくべきではないのかと
私はココロひそかに反省した。いやホントに。
そこで改めて大福と一緒の写真を見ると、見たことがないような顔で笑っている。
下手すると自分の子供でもこうはいかないかもしれないってくらい、楽しそうに
している。よっしゃ、しばらくはこれで遺影問題は解決!と思ったのだが。
なんせ主役は大福なので、抱いている私は大抵頭が上半分切れている。
髪は大福の目に入ったり、口に入れられたり掴まれたりしないようにと後ろで
ひっつめていて、大福のお肌によかれと思い、よだれやミルク吐きのために、
いつも同じ洗いざらしのシャツ。当然、口紅は落としている。
しばらくは懸案が続くのだろうか。やあねえ。
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美容師にこだわる人は、けっこーいるらしい。
気に入りの美容師を追いかけて、どこまでも通ったりする。例えば大分時代の
知り合いは広島へ遊びに行った帰り、ふと美容院に行きたくなり、九州を縦断、
ひいきの鹿児島の美容院に駆けつけてから大分に帰っていた。本当の話である。
女の人の場合、上手に切ってくれるとかなんとかいうよりも、「髪を触らせるなら」
この人と決めたから通っている、という言い方になるのかもしれない。病院で
なければ知らない人の前で服を脱がないのと一緒で、美容院という空間がなければ
赤の他人に髪を触らせることはない。(そう考えると、髪ってヘンなものだな)
残念ながら、私はまだひいきの美容師と出会っていない。
それで、あちこちの美容院に入る。結果的に様々な美容師に出会う。
最高、には出会ってないが、最低最悪には出会っている。
その人は、もより駅近くの美容院にいた。担当としてついた彼は、化粧していた。
いわゆるオカマである。もちろん、オカマだから最低という話ではない。話が
面白くて清潔感があって仕事が上手と三拍子そろっているなら、私はかまわない。
というより通ってだろうと思う。
しかし、事実は違った。受け答えは暗いし、清潔感に乏しく、仕事もぞんざい。
人間一人何時間も拘束したには随分安い料金だったが、それなら多少お金を支払って
も、ちゃんとしたサービスがごく当たり前に行われている美容院に行こう!
と決心させるに十分な美容師であった。
男でも女でも、灰色のぼろっちいセーターを着てることに関して私は何とも思わ
ないが、それにおしろいはたいて口紅つけて美容師の仕事をしてもいいと思ったら
大間違いだ。彼は技術職というには中途半端で、接客業というには性格的に
向いてない美容師で、それでいてオカマという自己主張だけは忘れなかった。
彼も、大抵の美容師も、技術を売っているつもりでいる。
が。大抵のお客さんは、その技術が誤差の範囲内に納まっていて、しかも
人間としてのクセが鼻につかず、地理的にも金額的にも問題なく、様々な安心感
があるから通っているのである。
オカマでもいい。条件をクリアして欲しかった・・・。
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「日暮」という苗字の人がいて、良い名前だなと思っていた。
ところが先日、日暮は「ひぐれ」ではなく、「ひぐらし」と読むのだと知ってしまった。
ひぐれは美しい。しかし、ヒグラシなら・・・それはセミだ。
なんかもう、すっごくがっかりして、思わずその背中に向って
「どうです、一声鳴いてみませんか。」とか言いそうになるを我慢。
しかし、ふとわが身を翻ってみれば、自分のウェブ・サイトのタイトルは
「そのヒグラシ」ではないか。
自分がセミの仲間だったとは知らなかった。どれ、ひとつ鳴いてみるか。
ヘンなことを発見しちゃったなあ。