ねえやの日々

 育児にインターネットが重宝している。
妹も、頼るにようになった。赤ん坊のしゃっくりもさりながら、ミルクを吐いた
ときにも引用させていただいた。で?その次の妹のセリフはこれだった。
「おねーちゃん、お願いだから、乳 と 痛い で検索して!」

 ・・・妹よ、その2つのキーワードでヒットするサイトは多分・・・。
で、「わかった。授乳 と 痛み で検索してみるから。」と答え、結果として
山ほどあるヒットの中から、最初の2つ3つを読んでみるだけで事足りた。

 役に立ったのは、哺乳瓶とか、そっち系のメーカーのピジョンのHPと、あと、
誰やらのエッセイである。ピジョンの方では具体的にどうしたらいいかを知ることが
出来、エッセイの方では悩んでいるのは自分だけではないと納得した。妹が。

 にしても、キーワードってば面白いものだ。
姪は結局、「赤ん坊」なのか「赤ちゃん」なのか「新生児」なのか、それとも「乳児」なのか。
自分んちの子供を「赤ちゃん」と呼ぶ人はいないと、今頃になって発見したりする。
キーワード一つで、情報源が変わってしまう。

 そして、赤ん坊一人いると、ものすごく忙しいから、「おねーちゃーん!」
と呼ぶだけで済むうちの妹と違って、孤独な母親達はどうしているのだろうかと
思ったりする。世の中、たった一人で産み育てている人もいるはずなのだが。

                  xxxxx

 今現在、この世で一番可愛い厄介モノ、が姪である。
こいつはほんの少し前まで、自分のオナラの音に驚いていた。
今では平然とオナラのためにミルクを飲むのを中断して、しかる後にミルクを
再開している。(あまりに平然としてるため、オナラが私のせいになったりする。)

 新生児真っ盛りの頃は、げっぷが出来なくて、しばしばミルクを吐いていた。
散々心配したが、こいつときたら一ヶ月検診に出てみたら誰よりも大きかった。
あの心配は一体全体なんだったのか。

 産まれたのが3200gで、生後一ヶ月にして4000g。この増え方を成人に換算したら
とんでもないことになるが、新生児の体重は減ってないかどうかが問題になるので
あって、多少増えすぎても這い始めた時点で調節されていくことになるらしい。

 ものすごい速さで成長してるからか、赤ん坊は酸っぱい・・・いえ、
新陳代謝が激しい。看護婦さんは、「赤ちゃんは、油断するとすぐ発酵しますから。」
と言ったらしいが、まことにその通りである。←感心してどうする

 両親が赤ん坊を見に来るというときには、何よりも姪のお風呂を優先した。
私と赤ん坊の母親がどれだけ汚くなっていようが両親は何とも思わないだろうが、
赤ん坊が汚くなっていたら二人して叱られると考えたからである。

 しかし、やがて到着した私達の父はまず、草だらけになった庭を見て呆然とした
らしい。そして家に入った後は、こともあろうに床の間に荷物が山と置かれている
のを発見。だが小言を言おうとして息を吸い込んだ次の瞬間、その荷物がオムツや
ミルクの類であると発見し、改めて感謝の念が湧いて出た、とのことであった。

・・・そう来るとは思わなかった。

                  xxxxxx

 母親より電話あり、この忙しいのにイノシシが3頭も獲れたと言った。
言われてみれば、イノシシとは仕事を増やすものである。まず、獲れたら鉄砲を
持ってる知人を呼ぶ。来ると、その人が友達と犬を連れて野山を何日も駆け巡っても
獲れなかったのにあんたのところは・・・!てな愚痴に延々とつきあう。

 愚痴は長いが、銃を持っている人が上手に解体、料理まで出来るかと言えば
そんなこともなく、一番仕事が丁寧なのがうちの父で、丁寧なだけに時間がかかり、
結局父はうちの仕事が出来ないのである。そしてその父は料理が出来ないから、
母も自分の時間をとられることになる。

 やがて知人は愚痴と分け前と共に去るが、残るこちらは冷凍庫に入れたり、
おすそわけしたりで忙しい。おすそわけも相手が近場ならとりに来てもらえるが、
相手が遠い場合は、パッキングして宅急便屋を呼ばねばならない。

 忙しくて忙しくて死にそうだという母は、私がお腹出し丸1頭をひきとると
言ったらそれで目的は達成したらしく、さっさと電話を切った。孫のまの字も言わ
なかったところを見ると、多分、慣れていないこともあって赤ん坊の存在を忘れて
いるのだろう。まだ孫よりもイノシシの方が「現実」なのである。

 実際私もしばしば妹が一人で遊びに来たような錯覚に陥った。赤ん坊が寝ていると
妹のムコ殿も自分の夫のことも忘れて幾度も時間を過した。妹は出て行く支度をしな
がら、「あたしたち、こんなに一緒だったことって今までなかったよね。」と言った。

 24時間、買い物以外殆ど外出せず40日間つきあったわけである。
いくら姉妹とはいえ、片方がある程度の年齢になれば遊びにも行けば保育園にも
行くから、その通りだったかもしれない。

 にしても、こんなところで「子はかすがい」を感じることになろうとは・・・!
なんか違うと思うのだが、あえて深くは考えまい。