ながい2週間
忙しかった。
沖縄での法事を2泊3日でこなし、ある日は講座、実家にも2泊3日で帰って来て、
しかもこれが2週間にわたるギボウシ保存協会の展示会の会期の中に納まって
いたのである。
まず、ギボウシ保存協会
そもそも、ギボウシと私の間にはろくな関係はない。しかし、何故か受付の
手伝いをすることになっていたのである。うちの隣が大船植物園ならよかったが、
あいにくそれほど近くではなかった。だから、梅雨の雨の中、久しぶりに「通勤」
みたいなことまでしてしまった。うふ。うふって、何だ。
ギボウシに興味がない私は、当然のことながら知識もなかった。しかし、一人では
なく、必ず相棒がいるし、そいつは私なんかよりずっと博識なはずだった。
しかし、そんな人でも、トイレにも行けば食事にも行く。私はその間の見張り番を
していればいいはずであった。
問題は、相棒がいないときでもお客さんはやって来るということであり、質問まで
されてしまうということである。しかし、なんてこたあなかった。よくしたもので、
質問というのは大体決まっているのである。私は3日目には、ギボウシ展示会にわか
受付け用マニュアルが書けるくらいになっていた。だからどーだというわけではないが。
ある日、怪しいじーさんが来て、ぶつぶつ言いながら展示物には触るなと
書いてあるのに葉を裏返し、ためすつがめつしてくれた。芳しくない気持ちで見て
いたら、その人はやがて、自分はこの植物園で昔、園長をしていて、ギボウシの著書
もある、このギボウシ展は中々質が良い、とホメてくれたのであった。つまりこの人、
ただの怪しいじーさんではなく、実績ある怪しいじーさんだったのである。
おみそれいたしましたものである。
21日には講演会もあって、その日は販売品も改めて増やされて、ものすごく
にぎわったらしい。というのは、その日が沖縄での法事だったからで、私は一番
良い日を逃したことになる。が、講演会なんてのは、来年もあるだろう、多分。
聞いた話だが、このギボウシ展示会の去年の講師の質疑応答が、どこぞのHPに
当人には何の挨拶もなく掲載されていたそうである。そんなんありかというのが講師
の周囲の人々の意見であったが、私は、そんなんありだと思う。ちゃんと講師の名前
が出ていて、しかも間違いがない限りは。
インターネット始めた作家が最初にやるのは、自分の名前を検索してみることだ
という。作家でなくても、何かやってる人なら同じことをやるだろう。というわけで
実は、私も真似してやってみた。いやあ、ありがたいことでございますと私は
書きます。別に誹謗中傷のたぐいもないし。これは余談。
そして、沖縄。
5時に起きて、9時の飛行機。何故か席は2階。以前も一度だけ
乗ったことがある。残念ながら、下界は雲がかかっていて見えなかったので、安心
して、眠る。到着後、飛行機から降りようという列の後方から、「ほら、
やっぱり2階があるでしょう?」という子供の声。思わず、「2階はね、畳敷きに
なっているのよ〜。」なぞと大嘘を言いたくなる。夫、「冬なら、コタツがあると
言ってもいいな。」そういうくだらない冗談って、うっとりしちゃう・・・。
沖縄は、ちょうど、梅雨明けだった。覚悟していたよりは涼しいが、
相変わらず湿気に富んでいる。どうも緑が目につきささるなあと思っていたら、
それは所謂デュランタのライムというやつで、葉色が薄い黄緑で、それがきれいだと
いうことになっている低木があちこちに植えられているのであった。沖縄の緑と
言えば、濃くて分厚くて重たいというイメージがあるから、なんかヘン。
タクシーでホテルに行く。モノレールが出来あがっていて、操業開始は8月だそう
である。那覇空港から首里までを結ぶ。これが、北部まで届けばいいのだが、なんか
中途半端な距離である。ただ、今まで沖縄には電車さえなかった。これで県民の意識
がどう変わるのかとそれが楽しみではある。(とりあえずは、関係ないという意見が
多かった)
ところが、ホテルでは、部屋が一杯で中庭に面した部屋しかない、翌日は部屋を
グレード・アップするし、ドリンクもサービスするので、今晩一晩我慢してくれない
かと言う。そのホテルは、海側なら泊港、山側なら那覇市内の夜景が眼下にひろがる
という作りになっているのだが、中庭側???吹きぬけの??
行ってみてわかった。つまり、窓をあけて開放感に浸ることが出来ない部屋なので
ある。中庭には結婚式も出来るチャペルが作ってあって、各階の客室に至る廊下は
それを見下ろすようにしてぐるりと取り囲んでいる。うちの窓はそこに面していて、
カーテン開けたらそちらから全て丸見え。しかし、今更夜景でも港の風景でもない。
というわけで、まず法事に行く。2時にはお坊さんが来るというので、それに
間に合わせる。玄関開けると皆がいて、うれしくなる。だってあの人達、物珍しいし、
面白いんだもん!!私が少しくらいヘンでも、「本土の人間は、きっとこんなもん
なのだろう」と思ってくれるし。ほほほほほ、やり放題よっ!←ほんまかいな
彼らを物珍しいと感じる理由の一つに、夫の一族が男ばかり、というのがある。
それで皆、割と理数系である。新鮮新鮮。例えばその昔、まだTVが珍しい頃でも、
兄弟姉妹全員の家にTVがあった。何故か。義兄が組み立てて遊んでいたからである。
父方、母方、いずれにせようちの一族には、こんなヤツは一人としていない。
イガグリ頭のひょろりと伸びた男の子がやって来る。父親は、こないだまで太って
いたのに、いやにスマートになっている。聞けば、野球部に入った息子の練習に、
ムキになってつきあっているうちにやせたのだそうである。10kgはやせてたが、
もちろんそれが出来るのは当人が男兄弟の中で育っているからで、素地はあるわけだ。
姉妹だけなら、こうはいかない。
大学に入った男の子が、親類の子供の家庭教師を頼まれる。それはいいのだが、
なんせ昨日まで遊んでいた間柄ゆえ、権威と距離感がいまいちなのである。
「わからない」といえばゲンコツくらうし、お終いには反撃とばかりに噛みつかれたり
するそうで、結局はとっくみあいのじゃれあいになるとのこと。
(こういう話が、なんかひょうきんでおかしいんだよなあ。)
2時になる。お坊さんが来てお経を読む。声は悪くないが、下手クソ。
昔、一度だけ真言宗のお経を聞いたことがあって、それ以来私はお経を楽しみにする
ようになったのだが、残念ながら、あれに勝る読経を見たことがない。真言宗の
信徒の友達が欲しいくらいである。それもなるたけ・・・あわわわわ。(^^;)
お経のあとは食事が出る。中味の汁が出て、これが絶品である。
豚のモツを使うのだが、つまようじを使った汚れとりやらゆでこぼしやらで、
下ごしらえがものすごく大変なシロモノ。どれだけ作ったのかと聞けば、「6kg」。
一通りの食事を終えたあと、「うちかび」を燃やすことになる。「うちかび」とは何かと
言えば、黄色い紙にいくつもの丸い型を打ち付けたもので、あの世のお金である。
中国あたりから伝わっている習慣らしい。特筆すべきは、これが家の中で燃やされる
ということで、たらいに近い大きめの金物の容器に水を入れてアルミホイルを載せて
カバーにし、その上であの世のお金を燃やして、つまりお小遣いを仏様に渡すのである。
夫、役目をかって出る。あまり豪華に火をつけると本当に家が燃えてしまうので、
ちまちまと、それでいて火が絶えないように燃やしていく。くすぶらせてしまうと、
親族一同より苦情が出る。これは別に宗教やら習慣上の意味があるのではなく、
たんに、「おいこら、煙たいぞ、下手くそ!」ということなのである。(^^;)
その日は適宜引揚げて、今年沖縄に赴任した夫の同僚と共に地ビールを飲むことに
なっていた。ところが、これがまたちょうど、部下達が沖縄に来ていて、そんじゃ、
皆一緒にということにもなるわけですな。1階ではなく、2階にある沖縄料理を出す
ところで飲む。なんにせよ同じで、地ビールがうまい。
翌日は、墓参りに行く。例の、亀甲墓とやらである。同じ墓地内には一億だか二億
だかかけたという墓があって、門も作ってあれば、敷地内で車が周回できるようにも
なっていた。残念ながら、夫の家の墓は普通の規模だが、それでも本土に比べれば
大きい。ヘンなところにブロックが置いてあるなあと見ていれば、台風で花たてやら
茶碗やら飛ばされるので、それを防ぐためにそれで覆いにしてるのだった。
沖縄にしかいなというアオスジアゲハがひらひらと飛んでいた。これはゴマダラ
チョウと違って飛ぶのがうまく、捕獲が難しいと夫が教えてくれた。金沢の鶴来には
たくさんのチョウを飛ばせて見せてくれる施設があって、温室内でよく目につくのは
そのゴマダラチョウなのであった。繁殖が簡単なのかもしれないし、低いところを
とろとろ飛ぶから目につきやすいのかもしれない。
墓で記念写真を撮れば、何人か、いないはずの人も写りそうな気がした。しかし
沖縄においてこういうシチュエーションで何か問題があるとすれば、それは写った
ところではっきり写らないだろうということである。撮影者当人は、親類中から
「これじゃ誰だかわからないさねえ。あれは写真が下手さ。」と言われることであろう。
墓参りの後は、何故か皆で沖縄ソバを食べに行く。連れて行かれたのは、与那原そば
なる店であった。店は中途半端な民芸風の作りになっていて、スープはさっぱり味と
こってり味に別れている。が、いずれも500円で大きな肉の塊が3つも乗っかって
いて、麺はたぐってもたぐっても魔法のように中から現れ出ることになる。うまい。
そして私は結局、消化不良で動けなくなるのである。
夫が行きたいというので、首里城まで送ってもらい、そこでの出来事だった。
休んだり無理に動いたりして、なんとか見物を終えたが、苦しいのなんのって。
途中、城内放送が入る。至極マジメな声で、「拾い物のお届けがありました。
カメラのケースがひろわれております。おこころあたりの方は事務所まで来てください」
たまらず、夫と二人で噴出すが、周囲の人々は笑ってもいない。何故??だって、
そういう場合は、「拾い物」じゃなくて、「落し物」でしょうが!!
城を出て、胃が重たいのに首里をうろつく。胃だけ取り出して夫に持たせたい。
首里はいわゆる府内町、丸ノ内ってな場所で、関係者は皆このへんに住んでいたのである。
そうなれば由緒ありげな昔の家並みが続きそうだが、残念ながらそれほどではない。
沖縄では誰も彼も、家を建てるからには3世帯住宅で、どどんと大きいのを建てて、しかもそれは
対台風用に鉄筋コンクリート(当然、ローンで建てるので 「借金コンクリート」とも言うらしい)、
というのが常識である。首里も戦災で焼けたことに違いはなく、首里も普通の住宅街も、
スタートは同じだった。
そんなわけなので、首里と他の住宅街の間で、家の風合いや庭木の大きさで風格に
違いが出ることはない。ただ、首里城には「石畳の道」というのがあって、その、
今はいない「王」の乗る輿や馬程度の乗り物しか通れない、車社会から取り残された
道だけが由緒を物語っているように見える。
ようよう、ホテルにたどりつき、グレード・アップされた部屋で横になって胃を
休める。その晩は一族で集まって中華を食べることになっていて、その後は夫の
友人夫妻と会食の予定が入っていた。ぬかってしまったということになるが、
私は件の沖縄そばは一応麺くらいは残したのである。やはり、「さっぱり味」を選択する
べきだったのだろうか。ちなみに「こってり」は豚骨、「さっぱり」はカツヲブシと昆布か
なんかのダシである。
中華料理は、新都心とやらで食べることになっていた。新都心とはどこかといえば、
昔米軍基地があったがこのほど返還されたという天久(あめく)である。8月に開通
するというモノレールもここに停車し、新しく出来る中部、北部行きのバス・ターミナルに
連絡することになるらしい。
今まで那覇から中部、北部に行くといえば開南のバス停からであり、殆ど上野
みたいなものだった。開南のバス停は、近くにある公設市場から漂ってくるカツヲブシ
の匂いがするような人間くさい場所だったが、新都心とやらはまだ、だだっぴろい
のみで、オシャレな店は多少あれども、暑いのになんだか薄ら寒い。
なーんて、こんな文句をたれても中華料理は美味しいのである。とにかく食べない
ように食べないように気を使い、でも全品、一応は食べることが出来る自分がコワイ。
ちなみにその日の食事会に集まったのは30人ほどだったが、なんでこういうことになった
かと言えば、新しく嫁さんが二人、加わわることになったので、紹介を兼ねてたのであった。
途中退席して、夫の友人夫妻&長女と会う。
長女は既に父親の仕事を手伝っていて、こちらに住んでいる。昼間はサバニ(沖縄
の漁船)のレースがあって、皆で父親が乗っている舟を応援したのだそうである。
だが凪で、帆があるにも関わらず役に立たず、全部手でこぐという、最低最悪の
レースだったらしい。ここでも飲んで食う。ここの地ビールはいくらでも入る。
翌日は、もう帰らねばならない。市場でお弁当を買ってタクシーに乗る。
沖縄のお弁当は、安くてボリュームがあっておいしい。きちんとした幕の内弁当
などは存在せず、全てのお惣菜はお惣菜のあるべき場所を超えて、ご飯にはみだして
のっかっている。そしてオリオン・ビールと共に空港で食べる。飛行機の中で
見せびらかして食べてもいいのだが・・。
翌日は、またギボウシ展示会の受付に行く。梅雨が戻ってきたことになる?
大船植物園の展示室の裏は池になっていて、蓮の花が咲いている。梅雨だから、時に
雨が降ってきて、ウシガエルらしきのが「ぼっ、ぼっ、」と鳴く。その日の相棒は、雨の
合間にカサを持たずに食事に出て、見事本降りの中を帰って来た。
ギボウシの講演会は盛況だったそうだが、もっと盛況だったのはその後の即売会と
飲み会だったそうである。私が持って来ておいたプリムラの苗もなくなっていた。
標高4000m級の苗もあるのだが、大丈夫かいな。つうか、そんなのを蒔いてしまった
のは、私やがな。うう。
あとは最終日に、葉を展示しているフラスコを洗いに行けばいいなと思っていた。
すると何故か夫が半年ぶりに都合がつくと言い出し、今度は私の実家に帰ることに
なるのである。最終日には実のところ御大に品種を見つくろってもらおうかなどと
考えていたのに、なんだかなー。
金曜の夕方から東京を出て、実家に到着したのは夜だった。
何をしに帰ったのかと言えば、私どもの法事へのお志ありがとうございましたという
お礼と、あとは電気工事である。(私はつきそいでおさんどん・・・。)
前回夫が来たのは、トイレの竣工検査がらみだったような気がするが、いつも工事だ。
夫は翌日10時に起き、その後買い物して、切れかかったお風呂の電灯を替え、切れた
座敷の電灯のヒモを付け替え、納戸に灯りをつけ、除湿機を設置し、その後母の運転
で温泉に連れて行ってもらってお風呂に入り、それで丸1日を終えたのであった。
で、翌日にはもう帰ることになる。
近くには海もあれば、遊ぶ施設もそれなりにあるというのに、夫も義弟も興味がない。
夫の担当は電気工事だが、義弟は家の内装、外装、土木工事もこなす。
こういうことは、やる人はなんでもやるが、やらない人は全くやらないらしい。
父は結構こなす方だが、最近は年であまり動かず、母はと言えば一族の中に誰一人
理数系がいないということがあって、娘達に向って「おまえ達は運がいい。」と言う。
私は、夫がなんでも直してしまうので、新製品が買えないと嘆く奥様の話を聞いた
ことがある。よくしたもので、母は「直る」という魔法しか見えていないのだ。
日曜11時、めでたく夫は最後のコンセントをつけ終わり、「帰ろう。」と言った。
ギボウシ展の搬出開始時刻には、ちょうど大船あたりを走る電車の中にいた。
そのまんま横浜まで行って、大船には戻らなかった。
そして、普段通りの生活に戻った私を迎えたのは、2週間ぶんの草むしりであった。