身の内というもの
お盆を避けて帰省した。
齢95の外祖父のところに挨拶に行くと、おまえ達の顔を見るのも久しぶりだ、
とそこまではいいのだが、最近ではすっかり忘れ去られてしまって・・・と続く。
涙まで流す祖父のことは、しかし本当にすっかり忘れ去っていた。
このところ実家ではムコ殿であるところの夫が間にたつ、業者を入れた改築工事
のほかにも、自分でやる家庭内電気工事が続き、たまに帰れば外出先はホーム
センターと温泉くらい。外祖父の家で酒なんか飲んでるどころじゃなかったのである。
そして祖父にはムコ殿がやるD.I.Yというのが想像がつかないらしい。
自分でするのではなく、馴染みの業者を雇って任せる家なのである。実際、叔父は
田舎にひっこむに当たって祖父の家を増築して同居したが、施工は叔父の友達だった。
見せてもらったら、床材は花梨で、畳は琉球畳、天井も何天井というのだか、
梁にはサクラの樹皮が張られていて、実に凝った造りだったが当の叔父が知っている
のは格安でやってくれたらしい、ということだけだった。任せるにも程がある。
それで世の中うまくいく世界に住んでいる外祖父達に、「業者との打ち合わせ」
なんて言葉、想像がつくわけがない。それで、実家までは来ているらしいのに、
自分のところには挨拶に来ないというのでひがんでいたのである。
にしても。建具の内容を誉めれば叔父は非常に喜び酒を勧めてくれるのだが、
その価値がわかってないのでは、がんばってくれた友達の立場は一体どうなる?
しかしこんなツッコミ、考えるだけ無駄である。
なんでも勝ちたい叔父は、私が立派な家を買ったと思い込んでいて、自分の家を
誉めてくれたお返しにと見てもいないこちらの家を誉め、次の瞬間にはあっちを
向いてタメイキなんかついていやがる。
「住めるというだけのボロ家で、畳なんか下から2番目を選んだのよ。」
そこまで言っても信用していない。「この人が散々日曜大工をしなきゃならなかった
んだから〜」って、何故私はここまで言わなければならないのだろう。
自分で自分の肩をもみながら、私の家は、叔父にも祖父にも見せない方がいいと
思うことにもなる。がっかりされても喜ばれても馬鹿馬鹿しいだけだからである。
これに本当にあんな金額支払ったのかと不思議がられてもたまらない。
ところで、何故叔父やら外祖父やらが私の家について詳しいのか。
母がなんでもかんでもしゃべったからである。そう言えば私が結婚するときに
しゃべりまくってくれたのは亡き祖母だった。オマエの孫は誰一人として
結婚していないと言われて悔しくなって言い返したのだと聞いた。やれやれ。
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外祖父は会に属して川柳を作っている。
それはいいのだが、句会(というのか?)で、亭主を勤めるオバサマ達は30年の
長きに渡って川柳を作っているとのことで、祖父はそれに対して自分はたかだか
8年でしかないとクサっている。
問題が違うのではないかとつっこみたいが、祖父は耳が遠くなっていて、いかな
大声の私でもその祖父と議論するのは辛い。それで私は余計なことを言わずに済み、
「おじいちゃんもあと30年生きたらいいわよ〜」と言ってシメることになる。
だが、8年やってるという祖父の作った川柳を聞いて、また驚く。
季語を使わず五・七・五になっているだけで、中身は全部身内の自慢話なのである。
これが他人なら思いっきりバカにするところだが、相手は自分の祖父である。
背中に冷や汗をかくのが私なら、祖父はといえば孫に作を披露して大得意。
一言で言えば、向いてない。祖父の年頃の人々は大方そうなのだろうが、考えて
みれば、祖父の人生はいつだってプロジェクト・Xなのであった。冗談の入る隙が
ない。一生懸命の結果がボケとなることがあっても、ツッコミが存在しないのだ。
それで、それでどうして川柳なんてやろうと思ったのか〜〜。(^^;)
今度、酒飲みながら聞いてみよう。
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父方の叔母の一人は「犬、ネコなんてものは、飼い殺すものだ。」と言ったらしい。
聞いた母は驚いたらしいが、今の私は叔母の方が正しいと思っている。母はと言えば、
死んでしまうペットが可哀想だから飼いたくないという。
「可哀想だから」とは、他人が言ったなら間違いなくバカにしているところだが、
その母に私は自分が拾ってきたネコを世話させ、死んだときには泣かせたのだから
申し開きのしようもない。私は泣いただけで他に何もしなかった。
で、叔母は現在施設に入っていて、母が見舞いに行ったら「家に帰りたい」と言った。
「何言ってんの。こんな涼しいところで呑気にしていられて、出来れば私が代わって
やりたいくらいのもんだ。」と母が返すと、叔母はにたりと笑ったそうである。
かの田中真紀子は、「世の中には家族と敵と使用人しかいない。」と言ったそうだ。
誰かが言いそうな言葉だなーと周囲を思い巡らせたら、何人か思いついて、この
叔母もその一人だった。
父方の人々もちゃんとあっぱらぱーで俗なのだが、同じあっぱらぱーでも
どうも母方とは階級が違う。これをして優れているとかいう評価に至るかといえば
全然そうではないのだが。
まー、いずれにせよこんなのはどこにでもあるありがちな話、
だろうと理解している。そんだけ〜。(^^;)