檸檬物語
実家より電話があった。
うちでつくっているレモンが大好評なのだそうである。
値段は1kgではなく、一個単位で決まり、市場に持って行けば買いつける人が
わらわらと寄ってきて父の周囲(正しくはレモンの周囲)は黒山の人だかりと
なるそうなのだ。
何故私にそんな話が来るのかといえば、他でもない、レモンを導入することに
なったきっかけが私だからである。しかし、こうなることを予想していたわけでは
全然なくて、最初はたんなる子供らしいミーハー気分であった。
初めてレモンの木を見た時、私は小学生だった。当時近在で一番の農園の娘が
同級生であり、その日は彼女のお誕生会であった。彼女の家の庭にはレモンの
大木があり、食後には母親の言いつけにしたがって友達が庭からもいできた
レモンを使って紅茶が淹れられたのである。
それを「格好いいこと」と子供が認識出来たのは、従姉妹から払い下げられた
少女マンガのおかげであった。子供は帰宅してすぐ、うちにもレモンの木を
植えようよ〜!と父親にねだった。が、なんせ子供の言うことで、笑われて
終わり。しかし、事あるごとに「レモン植えよう」とは言ってた記憶がある。
何年かしたところで改めて、「あれは雨の少ないところで作るもので、ここは
雨が多すぎる。ここで作ったところで皮ばかり厚いレモンが出来あがり、商品価値
のあるものは出来ないはずだ。」と父親に教えられた。
かのお庭ではレモンティーに使える程度のレモンが実っていたのだが、「日本産
のレモンは皮が厚くて使えない」というのが当時の市場の常識であるというのはは、
作っても売れないよという意味であった。子供であった私は商売なんか関係なくて、
ただたんに一本のレモンの木が欲しいだけであったのだが。なんだかなー。
しかし子供もいつまでも子供ではいないもので(当たり前だ!)、大きくなって
自分で働くようになり、いっちょまえに結婚もして、何の因果か園芸なぞするように
なったのである。ご多分にもれず私もサカタやタキイのカタログから始め、あれは
総合カタログなので花だけではなく果樹も載っていて、そこで見つけたのが
お久しぶりのレモンの苗。その頃なら、レモンの苗くらい自分で買えた。
その昔の父は、子供の言うことを聞いて珍しいレモンの苗木なぞ探すのは
面倒くさくてイヤだったのであろう。しかし、子供は大きくなって家庭内実力者に
育ってしまった。あまつさえ、自分で苗まで見つけてきてしまった。というわけで、
父は3本のレモンの苗の養育係を嫌々ながらも申し付けられることとなった。
届いた苗は高さ50cmかそんなものではなかったか。最初は鉢植えにして庭の
隅に置かれ、それでもなんとか枯れもせずいくつかの冬を乗り越えた。
時代は無農薬やら生協やらが流行り始めた頃で、防カビ剤の発ガン性だって
そのへんのオバサン達の間で話題になっていたが、だからと言って代わりになる程の
量の国産レモンがあるわけでもなかった。あるところにはあっても、流通に情報が
行き渡っていなかったのだろう。
やがて鉢植えのレモンは地に下ろされたが、それを植えたのは、竹やぶに囲まれた
あまり日当たりが良くないところだった。しかし、例えば寒さにも色々あるもので、
その地形ゆえにレモンには直接寒風が当たることがなかった。やがて、「どうせなら
もっと植えてみようか」と両親が言い出したのは、周辺にイノシシが出始めた頃で、
他に作物のアテがなかった、ということもあった。
金沢にいた頃、農業高校の先生から聞いたことがある。
「プロとしてやって行くなら、1/3は絶対にモトがとれるものを、1/3は、面白そうな
ものを、自分独自のものを植えなさい、と教えています。」と。問題は残り1/3が
何だったかを私が忘れていることだが、確かコメではなかったかと思う。
しかし、そうそううまくいくもんでもない。昔と違って、今は何よりも現金が
必要な時代でもある。同様にしてうちの両親がレモンみたいなヤクザなシロモノ
でも、ま、別にいっか〜?という気持ちになれたのは、子供たちが大きくなって
余裕が出来たという面もあるのだ。この場合は、同じ1/3でも、人生を三分割した、
残り1/3という意味になるのだが。(^^;)
たかだか10本ほどのレモン、実家においては博打どころかちょっとした遊びでしか
なかった。しかし、木だからか何なのか大きくなるばかりでろくに実らない年だって
ある。大きくなってお金や土地の意味を知ったかつての子供はズラリと並ぶ葉ばかり
の木を見てドキドキしたものである。
ノーテンキにレモンを送りつけた頃は、東京にいた。それから大分、大分から
また東京、それから金沢ときてまた東京と転勤しているうちに、レモンはそれなりの
大きさになってそれなりの数の実をつけるようになり、お金らしい金額に化ける
ようになったわけだが、その間、10年を費やしている。
もう少し具体的に書けば、木が小さい頃は数が取れないので国道沿いの地区の
無人売店(!)に出していた。それが口コミでも広がり、売れてはいるものの単位を
思えば「しゃらくせえ」としか言えないような規模の時代が過ぎ、やっと市場に出せる
単位で収穫できるようになったわけだが、もう一度書く。最初はたった50cmだった。
最近、レモンはよさそうだというわけで、ご近所に200本、レモンを入れた農家が
あるらしい。私の実家と違って、そこの家では労働力が若い。当然の事ながら、子供
も小さい。将来というものを考えればそこまで投資してもいい、というかせざるを
得ないわけだろうが、他人ごとながら非常にコワイ。一体それは「確実な1/3」なのか、
「面白い1/3」なのか?
200本もあれば、それなりの金額を稼ぎ出すのに10年はいらない。ただ、レモンが
モノになると近在に知れたからには、100本単位で植えたのはその家だけではないの
ではないか。事情を知るご近所のよしみとして、何年かだけでも「稼がせて」あげたい
ものである。
ところで、問題のレモンの皮は、どれくらい厚かったのか。
出来てみると、やはり問題にするほどではなかった。もっとも、アメリカのレモン
よりは厚いだろうし、知識が世間に浸透してない頃なら、もっと厚く「見え」、市場
でも笑われるだけで、相手にもされなかったかもしれない。
うまいことに、イノシシもレモンには興味を示さないのだそうである。
本当は人間だってレモンなんぞに興味を示さなくていいのだが、酸味や香りの魅力
を知ることもさりながら、レモンが放逐されてスダチやカボス、夏みかんがそれに
なりかわることにもならなかった。
様々な要素が重なりあって現在のうちのレモンの状況があるが、この偶然の中の
何が一番笑えるかと言って、父が子供時代の私にレモンの苗をたった一本与えて
いたら、「現在」も多分なかった、ということである。
養育係夫妻は喜んでくれるようになったが、子供の思いつきやミーハー気分だけで
なく、偶然でないものがあるとしたら、それは養育係がする仕事そのもの、である。
しかし、養育係夫妻にしてみればそんなのは当たり前すぎて、気がついていない。
それなら私が代わりに書いておこうと思った。