神は細部に宿りたもうらしい
今年も花粉症で医者に通っている。
今年のスギ花粉の飛散量は去年の30倍だとかなんだとか、だからか症状がキツい。
去年まではぴしゃりと効いた薬も大して役に立たない。目の周囲はアレルギー性の
肌荒れで赤くなり、目をこするのでシワが増えた。うう。
不幸中の幸いは、早くからマスコミがインフルエンザの流行と共に杉花粉の飛散を
伝えてくれたもので、世間のマスク着用率がぐんと上がっていることである。
去年は笑われた超立体マスクも、今年は仲間だらけだ。(ああ、もっと増えてほしい。)
問題は、マスクがポピュラーになったところで坂道は平坦にならないということで。
マスクを着けて坂道を登るのは辛い〜。
昨日はバスに乗ったら、隣に立った明らかに花粉症であるとわかる青年がくしゃみを
したり盛大に鼻水をすすりあげたりしながらしきりに私の顔をのぞきこんでくれた。
彼が言いたいことは非常によくわかったが、こんなところでマスクの効用を宣伝する
のも如何なものか。というわけで、私は静かに存在するだけで彼に花粉症対応策の
一つを提示することになった。(ほったらかしておいた、とも言う。)
それはともかくとして、何故杉は今年に限って大量の花粉を撒き散らすことに
なったのかが未だにわからない。ニュースでは、「昨年の夏が暑かったため」と説明
していたが、その夏が杉に対しどのような影響を及ぼし、その結果花粉を大量散布
することになったのかの説明に未だありついていないのだ。
「暑かったから花粉が増えた」って、「昨日は寒かったから今日は寝ている」みたいな
話で、カゼひいたから寝込んでいるのか、凍った道で転んで動けなくて寝ているのか、
それとも今日も寒いだろうと思って寝太郎をきめこんだという話なのか、
真中の部分がわからないのである。
相手は植物なので、花粉を飛ばす理由は一つしかない。
子孫を作るためである。しかし、それを例年より気張っている理由は何なのか。
暑さが何かを保証した結果、調子良く安心して花粉を飛ばしているのか、それとも
逆に身の危険を感じたたからなのか。
超伝導の話をはしょられても気にはならないが、杉花粉が飛ぶ仕組みくらいは
ちゃんと教えてくれてもいいような気がするのである。
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隣家の犬があまりにも吠えるので、エサで手なづけることにした。
自分の庭にいるだけで吠えられるのは我慢できない。飼い主夫妻は犬を可愛がっては
いるが、躾の方はいまいち熱心ではないらしい。
「うるさいわよ、バカ犬〜。ええかげんに隣の人くらい覚えなさいよ〜。」
てな言葉を思いがけず聞かされるに至っても、一見上品な飼い主はもごもごと
聞き取れない言い訳をするだけである。(なんでそう言う時に限ってそこに
いるのかなあ?)
隣家との仲は悪いわけではない。というわけである日、「吠えられるだけなのも
シャクなので、なついてもらうことにしました〜。」と告げることにもなった。
相手は笑っていたが、そらもう他にどうしようもなかったことであろう。
それからは、犬には頻繁に猪肉の脂身や骨をやることとなった。
(時にはその現場を通いのネコに見つかり、「私というものがありながら!」という
わけでしばらく無視されたりもした。)「猪の骨」をやる聞いた飼い主は一瞬びびった
が、犬はうれしそうにくわえていそいそと隠しに行ったものだ。
で?餌付けの効能はどうだったかと言えば、先日は吠えながらやってきて
舌なめずりをして私の顔を見ていた。これでは致し方ない。どこかで
無駄吠えをとめるための見つけて来なければ。出来れば最終的にはお預けとか
教えてみたいとまで思っていたりもするのだが。これって、野望?
通いのネコはと言えば相変わらずこの犬を嫌っていて、犬が帰って来る土日は
我が家にやってきてくつろぐ。エサももらう。(とうとう常備してしまった・・)
たまには、夫が食べ終わったアイスのカップをもらってうれしそうになめたりする。
それはいいのだが、もしかして飼い主夫妻にはこんな話は出来ないのかもしれない。
猪の骨、まではともかく、脂身については言えないし、まして、おぢさんが食べた
アイスのカップをなめさせただなんて。
相手の感覚では、犬ネコと人間とが少しく近すぎるのである。だから躾が甘い。
だから私が堂々と隣家の犬ネコにちょっかい出して遊べる。
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香典返しが届いた。
今回は、海苔とお茶だあ。昔はタオルが多かった。会社関係の香典は年齢に
比例してお金を出すことになるので、若い頃はタオルのサイズもそれなりだったが、
年をとるにつれてタオルは大きくなり、枚数も増えた。
子供が小さかったりすると、タオルの消費もものすごいらしい。しかし残念ながら
うちはそんな時代はなく、タオルくらい自分の好きな柄を使いたいよなあと思いつつ
もらったタオルを使ってきた。先日それが足りなくなった、だからこの年齢になって、
初めて自分好みのタオルを買うことになった。
きょうび香典返しのタオルだってしょぼいのは来ない。だが、それでも
きちんとした人は、おもてなし用のタオルを買うらしい。昔、同じ社宅の奥様が
そうしていた。が。あるとき来客があるというのに、トイレのタオルを替えるのを
忘れていたらしい。「せっかく用意してあったのにー」と奥方はがっかりしていた。
何かに似た話だと思ったら、ユーミンの歌である。
ふられた男を見返そうといつもきれいにしていたのに、偶然に会ったとき、ことも
あろうにそういう時に限って自分は安いサンダルを履いてた・・・というのである。
随分しょぼい話で、私は聞く度にやめてくれよと思っているのに、ライブなんか
見てると同様にカンベンしてくれと思うはずの男の観客達もうれしそうにノって
いる。歌詞をちゃんと聞いてたら、あれのどこがうれしいかと思ってはいたのだが。
今ならわかる。やつらは本当に、真剣にうれしいのである。
多分この人達は本気でふられた相手を見返そうとオシャレをする。男がモテようとして
仕事を頑張るのと一緒で、一種前向きな態度とも言える。瑣末なようでいて、
ないがしろにしていない。
それはいいとして、いくら上等なタオルだとて色や柄が気に入らない時はある。
もらったタオルが気に入らない場合はどうしてきたか。使って来たに決まっている。
もちろん。つうか、気にならなかったんですね。だってタオルはタオルだし。
私は「世間をなめている」と言われもし、その逆も言われる。
が、いずれもそれは同じ意味で、「浮世離れしている」ということだったんである。
それをタオルに教えてもらうというのも如何なものかとは思うんですが。