法事

 11/29に1本アップしおえたたとき。
「今は思いつかないけど、法事があるから絶対ネタが出来るよね!」
そう言った私であったが、夫には当然、「バカタレ、つつがなく終わらせなければ
ならないのに、ネタが出来てどうする!!」と叱られることとなった。だが、その
時点でネタなんてとっくに出来ていたのである。

11月29日−買出し
11月30日−ベランダ手すり、ドア塗装工事
12月 1日−法事

 余計なのはこの社宅の「塗装工事」であった。本来の日程で言えば12月1日、法事当日に
どんぴしゃりとなるはずだったのである。お坊さんの読経をよそにペンキの匂いが
漂い、居並ぶ親族をよけて通る職人さん達・・・わあすごい。
1日ズラしてもらえたのは幸いであった。(当日お客様を最初に出迎えたのは
「ペンキ塗りたて(11/30)」と書かれた紙キレであったが)

 本来の命日はもう少し後なのだが、これまた親族の中に既に何ヶ月にも及ぶ重篤な
状態にいる人がいて、なんせ12月なので、何かあったら初七日から49日まで済ませて
しまわなければならないことまで考えれば、身分が確定してる姑が譲って前倒しに
日程を決めるのは当然なことでもあった。

 それにしても、沖縄のつきあいは濃い。今や慣れたということもあり、元々良い
人々なのでなんら苦痛ではないのだが、元々人数が多いうえにいちいちつきあいが
濃いのである。沖縄の人々を見ていると、人生はつきあいと冠婚葬祭をこなしている
うちにあっという間に終わるのではないかと思えるが、夫にそう言えば夫は「生きる
ことが冠婚葬祭以外にどんな意味があるんだ?」と言うのである。

 てなわけで、29日はさすがに宅配やレンタル関係の手配は終わり、買出しの日。
当日の手はずとしては、お昼を皆でいただいて、その後お茶菓子と果物をいただきながら
お坊さん待って、読経の後、皆でタクシーに乗ってお墓参り。それなりの数が必要になる。

 すると汁椀と湯のみを買い足し、お茶菓子、果物を整え、お土産のお菓子は人数分
を選び、お布施と心付けと、仏壇用花とお供えの他にお墓用の花とお供えを用意しな
ければならない。汁の中身は沖縄風が良かろう。すると買い物に干し椎茸と豚肉と
こんにゃくが追加されることになる。

 夫、忙しくて買い物には行けない。最初はぶつくさ言っててもさすがにこれくらい
の日になると覚悟は決まるし、人数だってたかだか総勢12人。ゴハン炊かなくていい
ぶん、料理しなくていいぶん、沖縄の正月支度を思い出せば楽なものであった。

 二子玉川で買い物をする。うちまで来てくれた人々へのお土産のお菓子を決め、
お茶の上等なのを買い、湯のみ汁椀を買い足して普通の転勤族の家にはありえない
数を確保してしまう。ついでに伊東屋で封筒を用意。さすがにこれだけ買うと
両手が一杯なので、一度帰宅する。

 そして花やらお供えやら汁の実を買うため今度は近所のスーパーに。仏様用お供え
は姑が好きだったメロンなどなど。つきあってよく食べた。私の祖母は、おはぎが
大好きだった。当然こちらもつきあわされた。「おはぎの時代」も「メロンの時代」も
過ぎて、今それらを見るとげんなりするが、お供えとは本来もう一度つきあうという
意味だ・・・よなあ?

 手が2本しかないし、脚といえば本当の2本の足なのでモノを運ぶのにも限りが
あるが、近場のスーパーと花屋を2往復すれば残りの買い物は終わりで、干し椎茸を
もどしたりお肉を茹でたり、その日の夕食を作れば29日は終わり。

 翌日は。朝からベランダとドアの塗装工事なんである。
しかし、汁をつくり、器を段取りと人数に合わせ確実に用意しているうちに工事は
終わり、掃除してそれなりの形にしているうちに塗装したドアを完全に閉めてもいい
時間となり、お花やお菓子などの用意でその日は終わり。

 あとは翌日を待つばかりと思っていれば、やっと帰宅した夫が食事し終えた
とたんに会社から緊急呼び出しが入り、私一人で家の中の最終準備をすることに。
夫はそのまま帰らず、翌朝になって、「お昼頃帰れるかもしれない」と電話あり。
ということは、お昼頃帰れないかもしれないということで、いよいよ覚悟を決める。

 覚悟を決めたが、お昼前に帰ってきた。
しかし、その頃にはもう座卓も座布団も用意してあり、仏壇やらお布施やら来客車用
張り紙など準備万端整い、あとはお客様を待つだけだった。わあ、すごい。

 最初に立派なお供え物とともに私の両親と妹到着。お供えの中にはなんと筍。
父が朝掘りしてくれたのだが、冬の筍と言えば一般庶民の目には触れることも
ないレア物。しかし竹の子とは時間が経てば経つほど味が落ちるもので、あまりの
もったいなさに思わず、「お供えなんかしないで茹でたい」と口走り、大顰蹙をかう。

 空港まで迎えにやったジャンボ・タクシーの運転手から連絡入り、夫、駅まで
迎えに行く。別口でくるはずだった2人の甥とも偶然出会ったそうで、恙無くお昼。
タクシーの運転手にも食事を持って行くが、あっという間に食べて器を持って来た。

 上握りの、甘海老だけが残してあるのが面白くて義姉達に報告すると、彼はとても
大人しくて一言もしゃべらないのだということだった。そりゃきっと自分が話すより
話を聞いてる方が面白かっただろう。そんな話をしてるうちに食事が終わり、今度は
お坊さんから連絡入り、夫再び走る。

 このお坊さん、いきなり山盛りにしてあったお供えのサーターアンダンギに注目。
変な縁だがこのお坊さんには沖縄の友達が多く、その昔にはパスポート持って沖縄に
遊びに行ってたそうなのである。だからなのかなんなのか、一通りの読経の他に講話
までつけてくれた。時間は押したが、お得感はあった??お坊さんに渡すお布施には
くだんのお菓子がプラスされたのは言うまでもない。

 うちからお墓まで車で2時間。沖縄にはない紅葉を見ながら走る。ないのは柿や
みかんも同様で、「あれって本物?」という言葉まで出る。当然のことながら、見た
のがパパイヤやパイナップル、バナナだったらな〜んとも思わなかっただろう。

 途中、皇太子妃殿下のお産の話でも盛り上がる。男か女か、男という話が濃厚だ
と口々に盛り上がっていたら無口なはずの運転手さんがぽそっと「産まれたようです」
と言ってニュースをつけてくれた。今度は今度で、「経済効果を言うなれば、男なぞ
産まれたってたいして意味がないわよねえ。」と無茶な話で盛り上がる。
運転手さん、また無口に戻る。

 お墓にたどりついた頃には既に薄暗かった。義姉や義兄達にとっては、姑との本当
のお別れかもしれず、しばししんみりする。だが、やがて車に乗り込むと、お墓が
近くにコンビにもあるような、そこで線香も花もそろう非常に便利なところにあるという話になり、
「うちの墓なんてド田舎だから水から何から、ぜーんぶ持って行かないと駄目なのよっ!」
ってな話にもなる。私はこの義姉達の、割とミもフタもないおしゃべりが好きだったりもする・・。

 それから同じ車でホテルまで行くのである。
ホテルは高輪なので、新宿を通り、赤坂を通っていく。街路樹は銀杏で、乳母車を
押しているお母さんと、隣を歩くその夫らしき人は外国人で。赤坂って感じだなあと
思っていれば、街路に積もった銀杏の葉をその人がふとすくいとって、おどけて
赤ちゃんの上にぱらぱらとかけた。

 なんだかうれしくなって、「ロマンチックな人ねえ。義姉さん達、あれ見た?」
と後ろをふりかえれば、「子供にゴミをふりかけてる変な人のこと?」と末の義姉が。
私はこの義姉達のおしゃべりが好きなのだが、さすがにこの時はそう来るとは
思わなかった。

 そう言えば10年以上も前、一緒に図書館に行く道すがら、道端に積もった桜の
花びらをすくいとって前を行く夫にふりかけたことがある。実に残念なことに花びら
が花びらだけではなかった為、夫に力いっぱい叱られることとなった。あの外国人も
後で奥さんに汚いだなんだとこっぴどく叱られたのかもしれない。

 ホテル到着。食事に行く。中華が満杯なので、イタリア料理にする。
ゴハンはないかの?と聞くので、「リゾットって書いてあるのが、じゅーしーよ。」
と答える。じゅーしーとは「おじや」のことである。

 さすがは沖縄の人で、パルメザンとバジルが入るおじやで大丈夫かと思ったが、
びくともしないで食べている。パスタはイカスミを注文したが、これも沖縄料理に
あるイカスミ汁の応用で、何の不思議もなく、当然、肉類も軽くクリア。
飲んで食べてしゃべりまくって、その夜は終わった。

 翌朝、日曜だというのに夫は出勤していった。
ゆっくりと片付けをしていたら電話が鳴り、かの重篤な人が亡くなったという報せだった。
法事が終わったら今度は葬式の話となり、誠に人生は冠婚葬祭で出来ているような
気持ちになった。