舞台裏で

 田舎では「菜の花・桜祭り」の真っ最中であった。
川べりに桜を植えて遊歩道を作り、その横の休耕田には菜の花を一面に、それこそ
誰かの詩のように咲かせている。

 菜の花の中に入っていくのは自由だが、近くに行くだけで菜の花の香りが
してくる。高いところに上がってみると、一面の菜の花の色の中を背景に、人間が
異様に浮き上がってみえて、何かを象徴する映画の一場面のように見えた。

 で。何故そんなのを見ることになったのかといえば。
この、「菜の花、桜祭り」に際して、菜の花畑だけでは愛想がないので、その場に
小さな売店も作ることになり、さてうちの実家もつきあいで何やら出さねば
ならなくなったのである。

 最初は、考えるだけ、指図するだけだった。都内に住む妹と電話で相談。
「Mサイズは、駄目だよね。」「コンテナじゃなくて、竹籠のイメージ。」
「いわゆる泥つきね。」「飾っちゃ駄目なの。飾るのは、田舎の正直者感覚ね。」
なんてまあいい調子だったことか。

 田舎に来て温泉に入ってお魚食べてのんびりして、きれいな菜の花の中をお散歩
する人々の気持ちになるのは、簡単だった。小さな小さな、規格外のみかんや
ポンカン、レモンに蕗のとう。筍も大量には出ていないが、こんな場合にはいっそ
ちょうど良い。朝ドラの「ほんまもん」でも思い出してもらおう。

 売るのもあげるのも面倒で放ったらかしてある極小みかんやポンカンを、本当に
少しずつビニール袋に詰めて、100円。母は、面倒くさいので文句たらたらだったが
妹と一緒になって説得。「小売りってのはそういうもんなのよ!ちょっと手間を
かけるだけで在庫が一掃出来るんだったら、やればいいじゃないの!」

 そして、これがおばさま方にウケにウケた。あまりに小さくてカワイイみかんが
詰まったそれをちょいとつまみあげ、「見て見て、これ!」とやっては、100円玉1枚
出してバッグに入れる。大きなポンカンは、3つで200円だったか??これだって
そのまま入る。少しも荷物じゃないし、帰りの車やバスの中で食べてしまえる。

 今年はみかんも、1kgあたり100円だったりするらしいが、このビニール袋は
500gも入らない。だが、誰がこんなところでそんな細かい計算して損だなんだと
言い出すものだろうか。

 実際、売れに売れた。祭りが半分にもならないうちに小さなみかんは倉庫から
なくなった。観光協会を通して注文が続々と舞い込みもした。規格外から先に
なくなり、母は結局、途中から面白くもないMサイズを袋詰めすることになった。
ただ、Mサイズのみかんはそこそこ売れても、注文という形にはならない。

 フキノトウも、1袋200円だったか。
モノがモノゆえ、売れるのは土日とは限らない、というのが笑えた。
これが、一番のお得かもしれない。原価が限りなくゼロに近いからである。

 問題は、指図だけで済まなくなったことだった。
一見小さいようで、結果的には馬鹿にならない金額が毎日入って来るようになった
のはいいが、商品の補充に追われることになったのである。売るのは専任の
人がいるので面倒がないのだが、商品がなくては話にならない。

 てなわけで、おさんどん兼、手伝いに呼ばれたのである。
しかし頭はすっかりお祭りモ〜ドに入っている。猪肉で角煮や猪汁を作りながら、
母が調理師免許を持ってるのをいいことに、思わずこれを「売っぱらう」ことを考えて
しまう始末。母は全くやる気がなかったが、うまくすれば来年は肉の注文が
来ることだって大有りだったのに・・・!くそうっ!!

 そのおり、九州では電車が猪をはね、そこに後続の急行列車が追突して騒ぎに
なっていた。友達によれば、猪は九州では100g500円とかなんとか・・・
下手な牛よりずっと高価なのだが。一体その猪はどうしたのだろう?

 父によれば、かなり以前小さな小さな猪がとれて、あまりに小さいので解体
するのもかったるく、ではどうしたのかと言えば皮をはいでお腹を出して、脚を
つけたままクール宅急便で知人のところに送ったのだそうである。それもまた
コワいかなと一瞬だけ思ったが・・・そこで思い出したのは子豚の丸焼きであり、
スペアリブだった。

 いわゆるアバラ骨の部分を、うちでは今までどうしていたのか?
猪というだけで舞い上がって(びびって?)その意味あいをいまいち買かぶって
しまいすぎていたと今頃気がついた。骨つき子羊食べてるんなら、骨つきの猪くらい
なんてことないじゃん!?実際、送った知人からのお返しは見たこともないような
鮭だったそうだし。次からは、骨つきを前提にした料理も考えなければ。

 おさんどんばかりしていたが、明日は帰るという日、ふと2時間ほどの待ち時間
が出来た。何かしないともったいない、というわけでカゴ持って蕗のとうを採りに
行った。スーパーに並んでいるのなんか比べ物にならないほど立派なのを、さっさと
カゴ一杯に探し当てちゃう私。やはりこれが一番ボロいと実感した。

 母は大喜びしていたが、帰宅してから、改めて電話があった。
問題の蕗のとうが、飛ぶように売れてしまったということ。補充しなければならない
から、採取場所を知りたいというのだが。同じところにはもはや残っているわけも
ないので、指導に及ぶ。

 「一日中日があたる場所の蕗には既に花が咲いているから、行っても無駄。
谷底のような場所で、日照時間こそ少ないものの青天井、昔からの畑のような、
土が肥えている場所なら上等なのが採れる。うちの場合具体的には・・」って、
なんかどっかで聞いたことがあるような言いぐさであったが。

 祭りも、あと10日を残すほどとなった。
観光協会もやってくれるもので、植えられている桜は早咲きである。桜といえば
ぱっと散るイメージがあるが、寒くて雨も降らないとくれば、花が長持ちすること
長持ちすること。菜の花の方?これも長い。現物を見れば、わかる。

 今月最初は、妹夫婦が手伝いに行くそうである。
来年も祭りに出店するとしたら、何を売ろうか。来年は真似しようとてぐすね
ひいてる人々もいるに違いない。袋には農園の名前とファクシミリの番号を
書いた紙切れを入れよう。思った以上に、注文が来るもんなのだ。
季節さえ違えば、売っぱらってしまいたいものは山ほどあるのだ。

 なによりも、そういうことを考えるのは嫌いではないのだった。