微妙な問題
最近、小泉「チョンゲー」にヤバい。
小泉はあの小泉で、「チョンゲー」とはなにかと言えばハングル語で総理か首相と
いう意味らしい。衛星放送の韓国のニュースで「コイズミ チョンゲー・・」と
ニュースで言ってたのを聞いてそういう意味なんだろーなと考えるに至ったわけだが。
平常心では聞けない語感だよね、「チョンゲー」ってのは?
そう夫に言ったら、「まあ、チョンガーには違いない。」と答えた。おかげで夫は
座布団3枚敷いて夕飯を食べたわけだがそんなことはどうでも良い。
問題は、ここ最近、あのコイズミを見るとな〜んかうれしくなっちゃう、
ということである。あの顔は割とどこにでもあって、例えば自民党の捨て看板に
使われてたりする。道でそんなの見ちゃったら私、たちどころに「うふふっ」と笑って
しまうのである。
それだけじゃーない。声まで覚えてしまった。
隣の部屋のTVの声で、ああコイズミがしゃべってるなあとわかるのである。
現物も見たことないのに、聞こうと思って聞いたことなんかないのに。
げげっ、もしかして、これって。これって一種の恋ーーー!?
「まあ、そうかもな。」って、平常心の夫であった。
そう言われてもねえ。そうなのかしらねえ。でも別に写真集、欲しくないけどねえ。
たんに、顔見るとうれしくなって笑っちゃうだけなんだけどねえ。・・・十分か。
で、何がすごいってあちこちから様々に情報は入ってくる(当たり前だ!)
ものの、なーんの関係もないのである。当人の声はわかれども、しゃべってること
なんて聞いてるわけではない(それもなんだかなあ・・)。で、相変わらず
あの顔に出くわしてはうふふっと笑みをこぼしているのである。
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健康診断に行ってきた。
夫の会社の指定病院はいくつかあるが、なるべく近くて、オシャレな地域にある病院を選ぶ。
なんとなれば、終わった後のその近くでのランチ、これに命をかけるつもりでいるのである。
もし、とんでもない病気がみつかったら緊急入院だろうから、文字通り命をかける??
ことにはならないか。たはははは。
というわけで赤坂、某病院。入ったとたんにぶっとんだ。グランドピアノがある。
まるで一流ホテルのロビーのよう。今どきはそうなのか、それともそういう病院、
だからなのか。待合室に置かれている雑誌もエル・デコなんかだし。
のんびり読むには検査で急がしすぎたと書いたら本末転倒ってやつか。
血圧、眼底、眼圧、色弱、身長体重に骨量などなど。ポリープとやらは今回
見つからなかった。「消えるもんなんですか?」「そういうことはないはずですけど。
すっごく小さいか、でなかったら前回見間違いしたかもしれません。」
まーいいや、それならそれで。「きゃー大変!」よりは「変だなあ、見あたらない??」
の方がマシに決まっている。
血液検査の為、た〜くさん血を抜かれる。というか、それぞれ調べるものが違う
らしくて、試験管みたいのに何本もとられるのである。最後の方になると出て
来ない。前の病院では2本くらいで済んだような気がするのだが、病院によって
システムも検査も少しづつ違うのだろう。
最後に医者からコメントもらおうと部屋に入ると、女医さんだった。
年配だからか、健康診断という場所柄か、非常に上品な女医さんである。
「お若いから当然ですけどね、健康そのものでいらっしゃいますよ。血液も尿も、
とてもきれいなものです。」「・・・そうですか、ありがとうございます。」
というわけでホホエミあって出て来たのだが。
血液ならともかく尿の美しさ、ってなんだそりゃ一体。(^^;)
言いたいことはわかるのし、良いことなのだから素直に喜びたいが、モノがモノ
だけに、「きゃあ本当!?うれしー!!」なーんてはしゃぐわけにもいかない。
きれいの反対は汚い、のはずだがこの場合は「ヤバい」になるわけかな?な〜んて
考えながら診察室を出て来たのである。
それはいいのだが、受け付けのお姉さんから「お食事券が出ております。」
と言われてしまって。上階のレストランで出されたのは、それなりのコースだった。
そのへんのこじゃれた店でゴハン食べようと思ってたのに、なんか残念。
せめてとばかりに地下鉄2駅分歩いてよく知らない街を見ながら帰って来た。
選ぶときにはわからないが、病院によっては健康診断の後に食事を出してくれる
場合がある。金沢のクリニックも食事がついていた。指定されたのは、同じビルの
中の新聞社の管理職用の食堂、記憶にあるメニューは、「サンマ焼定食」だ。
今でもうれしいかどうかがよくわからない。
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義兄の古希のお祝いに出席したとき、一番楽しみにしていたのは余興だった。
沖縄のお祝いでは、とにかく余興が重視される。美辞麗句だってそれなりにあるが、
何よりも皆で盛り上がって楽しもうとする、それが沖縄のお祝いだからである。
義兄の娘が姑と踊る「かぎやで風」(沖縄のお祝いはこれから始まる)という状態は
沖縄では珍しくもなんともない。3時間にも及ぶ宴会の、余興だけで時間が足りなく
なるのが当たり前という県民性の中、何よりもすごかったのが義姉達5人で踊る
フラ・ダンスだった。衣装の派手さもさりながら、レイも首飾りだけではなく
手首、頭といやに本格的なのである。
義姉達それぞれに上手いが、とりあえず目をひくのは3番目の義姉だった。
これが、とっくに還暦越えてるくせに滅法上手い。だが、もっとすごい人がいた。
どうしてもこうしても目がそちらに行ってしまうのである。
知人で照明の仕事をしてた人を知っている。
その人によれば、例えばダンスなどの選手権でスポットを回していると、はからず
して全てのスポット・ライトが1組の選手に集中してしまうことがあるのだそうだ。
この場合が全くそれで、目が離せない。良く見れば宜保愛子そっくりのおばさん
だというのに、あちこちのテーブルから「あれ、誰?」という声があがり、それで
誰も知らない。そうこうするうちにやっとわかったのだが、それは3番目の義姉が
ここ何年か熱中してるフラ・ダンスの先生だった。(^^;)
先生なんだから上手くて当たり前といえばそうだが、家族一同がげんなりするほど
練習したというだけあって、義姉達だって十分キマっていたのである。しかし、
他の義姉たちより3番目の義姉は格段に上手いとわかったし、かの先生はフラに
何の興味もない私をして別格であるとわからせてくれた。
同じような話はハワイに行く前に池澤夏樹の本でも読んでいたが、まさか沖縄の
古希のお祝いの余興で納得することになろうとは思わなかった。
何故私にさえわかるのか。そりゃ、同じ舞台に上がっているからだろうけれど。
何でこんな話になるのか。
このほど知り合った人が、ハワイでフラを勉強する為にお金を貯めようと夜昼なく
働いて頑張っていると知ったからである。この話を彼女にしたい。したいのだが。
「顔が宜保愛子」という部分が、どうにも割愛出来ず話せないでいるのである。
彼女のハワイにいる先生だって、案外小錦に似てたりするのかもしれない。
小錦ほどの外見のその先生の踊りに魅せられたのかもしれないのに。