びっくり箱

 友達から、何かが届いた。
前回このヒトから届いたのは、バースデー・プレゼントだった。
それはトロ箱に入っていた。誕生日にトロ箱。フグ刺しのセットかしら?と
思ったが、別にそんなこともなくて、耶馬溪ハムやデメルのチョコレートに
混ざって、グッチの携帯ストラップが入っていた。この場合、一緒に入れられて
怒るのは耶馬溪ハムかそれともグッチの方か。

 私もこの人の誕生日では随分遊ばせてもらった。
金沢に唯一残る職人が作った和傘を贈ったり、いかにも金沢らしい布小物を詰めに
詰めたり。その前は造花のついたお姫様なバッグ。色はくすんだピンク。
そして私も遊ばれるようになったのである。めでたい。

 さて、今度は何か。ずしりと重たい。箱はロイヤル・コペンハーゲン。
だが、中身は陶器ではなくて、もちろん磁器でもなくて、その証拠にルイ・ヴィトン
のテープでぐるりと補強してある。そして送り状には「おもち」。え、お餅?

 そう言えば、彼女の兄弟のところで家を新築し、いわゆる「餅まき」の相談が
されてると先日の手紙に記してあったっけ。その量、なんと350kg、って。
(うちに来たのは、そのうちの 5kgくらい、十分だ。ケチくさいのが嫌いな
彼女らしい・・・。)

 それにしても、餅まきだなんて、懐かしい。
うちの田舎でもまだやってるんだろうか?彼女の話ではないが、餅の量は当然、
語り草となった。送られてきた餅は、ひとつひとつビニール袋に入れられている。
昔はこうではなかった。それでも、「手伝うのが大変!」と彼女が書いていた
ところを見ると、業者任せでなくて、一族でやったらしい。

 その昔の、父が餅をついていた情景を思い出す。
それから餅つき機がその任を担うようになった。しかし、ひとつひとつ丸めるのは
器械はやってくれず相変わらず女達の役目で、餅は早く始末しないと固くなって
しまうので、いずれにせよ人数が要った。

 私も長じて手伝うことになったが、あれは飽きてしまうもので、最初は小さく
作っても段々大きくなってしまい、それに気がつくと今度はまた小さく作り、
結果的には大小のある困った餅となり、笑われた。

 餅まき(棟上ですな)という日には、あちこちからわらわらと人が集まってきて、
子供の時間としては果てしなく待ったところで始まった。子供は遊び半分だったが、
お婆さん達、の闘志と言ったらすごかった。白熱したお婆さん達にかなうものは
いなかったのを思い出す。あの時代、餅まきでお婆さんに突き飛ばされたことのない
人間など、一人としていなかったはずだ。

 記憶の中では餅まきは、しばしばあったような気がする。
子供時代、餅は苦手だったが、餅まきで拾うのは好きだった。同じ子供が、
正月は雑煮を食べるものだと言われ、泣き泣き正月を過ごしていたというのに。

 ところで。今にして思えば、餅は出来あがったばかりの屋根から撒くのである。
人はその周囲、四方八方に散らばって、バレーボールよろしく腰を落としてそれを
待ち構えているのであったが。人々が走り回るその場所は、体育館ではなくて
庭なのだ。一体あの庭はどうなっていたことか。

 その後、彼女から電話が来た。
親類一同公民館に集まって餅を丸めたり袋に入れたりと非常に忙しく、それでも
350kgともなれば、間に合いそうにないということで、おしまいには2つを1袋に
入れたり、丸餅どころか切り餅にもしてしまったという。なんて無茶な人々だ。

 当日は当然時間が押して押して、もういくらなんでもとなったところで、親族一同
盛装で登場。着物や背広姿で、もうあちこちからまく。2階の屋根からは当然、部屋
の窓からもまく、家中走り回って、開口部全てからまく。トイレからもまく。
普通は、「餅投げ」である。だが、350kgもあればいちいち投げてはいられない。
両手一杯に抱え持って、ばーっとまく。

 集まった人々はそこにわーっと群がるが、拾おうとするその背中めがけてまた、
ばーっとまく。「あんたって人は全く。」「うん、痛い痛いって、すっごくウケた!」
そして彼女はおしまいには餅を、入れた地元デパートの袋ごとぶん投げて、また
ウケたそうである。(そこまでやったお返しは、腕の筋肉痛だったらしいが。)

 終わった後は、宴会やってカラオケやって。
帰るときには、いずれの車にも黄色いコンテナいっぱいの餅が載せられたそうな。
元々が縁起ものだが、家をどうこう言ってる身には実に結構なおすそわけだった。

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 明日、家にいるかどうか。
それだけを確かめ、宅急便を送るからと言って、母は電話を切った。
午前中に、トロ箱入りの荷物は届いた。白菜や椎茸を想像していた。
開けたら、猪が1頭、入っていた。

 皮ははいである。お腹出しもしてある。しかし。
こんなんありかと、唖然呆然。出刃包丁を構えたものの、さてどうしたらいいのか。
私は鶏さえも・・・いや、その昔名古屋コーチンが一羽、同じ状態で届いたことが
あったな。あれは美味かった。って、いや、あのその。

 こんなときに応援を頼める友達って、私にはいない。
同じ社宅の奥様達は若すぎて、きゃーと言って逃げてしまいそうだし。妹からして
猪なんて見たくないらしいし。(気の毒に、義弟は食べてみたくてしょうがない
のに、妹も母も料理嫌さに知らんふりなのだ。婿殿の田舎の親族は皆、猪のお相伴に
あずかってたりするのに。)

 九州出身者は何人か知ってるが、猪肉は好きでも、こういう状態が好きかどうか
疑わしい。養豚農家やってる知人は福井だし、唯一平気そうな友達は今、鳥取だし。
こういうのが好きそうな人は知ってるが、限りなく他人に近い知人だし。
そんなわけで、意を決して、なんとか解体というか分解をし、鍋にも冷凍庫にも
入れて、夕刻を迎えることが出来たわけだが。

 小さいのだったら、そのまま送ってもいいよと確かに私も言った。
その直後に、こんなうりんこが捕れちゃうって一体。
そんで、これ幸いと何も言わずにそのまま送るうちの母って一体。
完全に面白がっている。つまり、娘で遊んでいる。

 「ママにやられたわ。」カエル・コールを寄越した夫に話す。
「何があった?」「猪一頭、そのまんま送ってきやがったんですの。」
「ははははは、そりゃー、やられたなあ。で、どうしようか。」

 どうしようかもなにも、とっくにカタがついていて、明日は鍋一杯の角煮を妹が
取りに来ることになっている。そうか、ほったらかしておけば夫がなんとかした
のか。夕飯の材料が届いたのだから、帰ってくるまでに何かに仕立てあげること
しか考えなかった。

 それにしても母のやつ、何をするかわかったもんではない。
私もあの人の娘だ。こうなれば、負けてはいられない。
策を練ってしまうのであった。