オリジナル・バスケット

 春、最後の展示会がやって来た。
例の如くのハンギング・バスケットである。これが終われば、ガラガラ引いて
重たい思いをする搬出入も、苗探しもしなくて済むと思うと、せいせいする。
が、その反面、ちょっと淋しい気がしないでもない。

 ・・・こういう感情は、ここ1年半の来し方による。
1年半前、私が苦手なデザインを克服するつもりで入った教室は、逆にデザイン自慢
が集まる教室だった。クラス11人中4人が受賞するような場所で、もー恥をかきに
行ったようなもんで。(:^^)/

 皆、なんであんなに上手なのー?とメソメソしながらやっていたのだが、
考えてみりゃー、普通これくらいの年齢になって始めることというのは、大抵多少は
身に覚えがあることだったのね。いや、私も園芸じたいは身に覚えがあるのだが、
種蒔きばかりで花つきポット苗なんて、H.B.を始めてから初めてまじまじと見た
くらいで。驚いたよ、1ポットに3株も4株も入ってたり入ってなかったり!

 で、そういう、痛々しい状況の中でまかり間違えて仲良くなってしまった人間が、
賞取りの鬼とくる。賞が存在するならとりたいと思わない人の方が珍しいが、本当に
とってしまう一人だった。

 するとどうなったのかと言うと、私は、彼女が隠してるつもりでぽろっともらす
鬼のよーな努力をちゃんとストックしつつも(←根性悪い?)、イヤでも、賞だけを
価値とするのってどーなんかいと考えさせられてしまうのである。賞をとった
直後はうれしそうだけど、他はうじうじと、全然楽しそうじゃないぞ?などと。

 しかし、たまにゃーこういう相手ともつきあうことが大事だったのね。
花材を「考える」ことから始まって、会期に合わせるスリル、までは一人でやっても
得られることだけれど、ゆるい御近所ではなく、トゲトゲしい他人に見せることを
前提とした緊張感は一人では得られない。

 彼女がしてくれる解説のおかげで、作るものじたいはけっこ〜に上達しながら、
私は美味しい自問自答を得て、自分が欲しいものに改めて気がついた。
一方で、賞取り鬼の友人も、私が楽しくないだけで、本人は楽しいのだと
気がついたのであった。

 つきあいはけっこ〜続くかもしれん。

                  xxxxxxx

 賞取り鬼の友人は、何かというとパニクっている。
パニクりながら、賞をとる。これでパニクらず、愚痴やら自身喪失やら
自惚れやらを私にぶちまけずに賞をとるのならエライと思う。

 しかし、ちゃんとパニくる。誰それがこうだと言いまくる。あんまりうるさいので、
「勝てば何よりの嫌がらせになるじゃーないの!」と言っていたのだが、そう言われて
本当に賞をとることで勝つあたり、尊敬しなければならないかもしんない。

 その彼女は時々ヘンなことで怒っていて、その一つが「真似」されること、である。
なんせ花材は限られている。賞というものを得た他人の作品への感動は、簡単に
真似という形に変換されることが多い、らしい。

 ある展示会でも、「これ見てよ!」と言う。前回の展示会で賞を得た彼女の作品と
同じ花材が3つ、しかも同じ色で入っている。他の色でも作れそうで、その花や
色である理由がない。(始末が悪いことには、その一つが枯れている。)

 元々、その3種類の組み合わせが完璧、なのかもしれない。しかし、ここまで
来たら意地でも他の色を使おうとするのが、モノ作りする人のスジってもんでは
ないのか。これってけっこ〜、「御先祖様に申し訳ない」、ってやつだと思うのだが。

 真似ならば、真似された本人が気がつかないか、さもなくば「この手があったか!」
と驚く、といったものでなければならんのではないか。真似された本人が、「自分より
ずっといい」というわけで泣く、というのはちょっとアレだけど。(ありそう・・)

 しかししかし、賞取り鬼は言う。
「でもね、最悪の真似は、私が失敗した部分をわざわざ真似したヤツよ。」
それはまたすごすぎる〜。自分のイヤなところを自分の本質として採用され、
拡大されて目の前につきつけられたわけだから、御本人様もやってられなかろう。

 しかし、受賞者の彼女が真似されるのは、行きがけの「税金」であり、本来は文句を
言えない。理想として彼女がするべきは、他人に真似され続けながら、しかも自分は
新しい感動を提示していくことである。がんばってね〜、ほほほほほほ。

 そう書くと、私は真似とは無縁のように聞こえるかもしれない。
しかし、私も真似たいと思っているのである。でも、それが出来たのは一度きりだ。
その人がつけたのとは別のタイトルが浮かんできて、私はそのタイトルを元に作品を
作った。出来あがったのは、花材も色も全然違う作品で、作ってる間は憑き物でも
憑いたかのようで、でも真似なのだ。

 ああいう真似なら、いくらでもしたい。しかしあれ以来、言葉に変換しなおし、
自分はこうしてみようと思える作品に出会うことがない。困ったもんだ。
仕方ない、自分で考えるか。←!?