友達100人出来るかな


 先日、久しぶりに運転した。
といってもそれは私ではなく夫のことであり、車はといえばホームセンターの
軽トラックである。買い物をすると、無料で一時間だけ貸してくれるという
サービスを有難く使わせてもらうことにしたのだ。

 それは良いのだが、久しぶりすぎて緊張するのなんの。
ちゃんと交通量の少ない時間を選んで走ったにも関わらず、だ。
これは、ヤバい。せっかく得た運転技術を忘れてしまっては、かなわない。

 というわけで、一石二鳥だか本末転倒だか知らないが、月に一度はその
ホームセンターで大きなものや重たいものを買うことにした。
問題は、慣れるべきは運転であって、軽トラックにではないということである。
そして、夫はそれでいいとしても、この私は?

 そんな話をしたら、義弟が「それなら、この車で練習してください。」と言う。
ありがたい。しかし、好意謝するに余りあれども丁重にご辞退申し上げることには
なる。義弟の車は、こともあろーにあのおベンツ様なのだ。

 他人様のベンツのハンドルを握る度胸があるくらいなら、とっくに軽トラックの
ハンドルを握っているに決まっている。こういう場合には、役に立たたない
おベンツ様であった。まる。

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 姪の大福が、初節句を迎えた。
都心暮しで狭いのに、七段飾りである。大福が寝てる間に、妹はせっせとひな壇を
組みたてたらしいが、やがて目を覚ました大福は、目の前にいきなり真っ赤な
大階段が出現してるのに驚き、泣き出したそうである。てことは、ちょっとは
知恵がついたということか。

 夢はいつでもあつかましい(@里中満智子)から、赤ん坊はその評価を天才と
馬鹿者の間を右往左往しながら大きくなる。アホという評価が下され、がっかり
されることはあっても、橋の下に捨てられもせず大きくなる。(当たり前だっ!)

 まあしかし、表現力のない赤ん坊のことである。
知人に聞いた話だが、彼女の兄は家族が赤ん坊に飽きた頃(知人は末っ子だから
更に飽き飽き??)に生まれ、おまけに上の姉の出来が並でなく良かったので、
赤ん坊ながらに比較され、「おそらくこいつは普通以下。」と目されていたという。

 ところがある日、目を離した隙にいつの間にか這って行って、豆腐屋が豆腐を
入れて置いていったたらいに手をつっこみ、豆腐を食べているところを発見された。
そこでやっと、「こいつはどうやら馬鹿ではないらしい」と認識されたというのだ。

 それから半世紀も経った現在、豆腐屋が豆腐をたらいに入れて置いていく御家庭は
なくなったが、赤ん坊と周囲との齟齬は相変わらずだ。

 姪は、首がすわらない頃は、ぐんにゃりと顔をかしげて眠る姿で、「かしげ大福」と
呼ばれていた。今は抱っこすると喜んで手足をばたばたさせるようになったので
「暴れ大福」と呼ばれている。

 で、これが赤ん坊と周囲との齟齬の話とどうつながるのか。
齟齬を幸い、ヘンなあだ名をいっぱい開発して遊ぼう、ということである。
なんたって、今のうちなのだ。うひひひひ。

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 近くの小学校から、「仰げば尊し」が聞こえてくる。
卒業式の練習である。小学校だから、卒業生はすぐさま一年生だなーと思ったら、
「友達100人出来るかな」というアレを思い出してしまった。

 物議をかもすあのCMソングの歌詞はいつからあって、一体誰が考えたのか。
御近所の小学生に、「友達100人出来たあ?」と聞かれたのは、10年以上前、英国旅行
から帰ったときだ。1週間の、それも観光旅行に対する言葉に、絶句した。
考えるまでもなく、たんに口からでまかせの大嘘を言っておけばよかったのだが。

 小学生の脳味噌なら、「友達100人」で十分だ。しかし、大人の場合は違う。
まともな大人なら、「顔見知り」や「御近所」、「XX仲間」といったものから始まり、
「知り合い」、「知人」のほかに、うまくすれば「友達未満、知り合い以上」あたりが
いて、もっとうまくすれば「友達」がいて、さらにその上に「親友」という、実に様々な
関係の中にいるはずなのだ。

 大人で、「友達100人」いる人がいたら、それは言葉に不自由な人である。
って、こんな盛り下げることを書いても仕方ないので、もっと盛り下げてみっか。
なんのことかと言えば、最近考えついたことである。

 もー本当に言うことなすことイヤで、避けてまわるに至った人がいるとする。
が、それは言うことなすこと見るほどの交渉があったからであり、負の方向であろう
とも、相手を理解したからである。そして今でも、多大な影響を受け「続け」ている。
・・・これってもしかして、「友達」の一種ということになるのではないのか。

 関わりの深さで図れば、方向は違えども、いっそ大親友かもしれない。
こういう定義でいったところの「友達100人」ってどうなんだろうか。
そんな人、いたら尊敬する。しかし、自分がなりたいとは思わない。
大好きな人も大嫌いな人も合わせて100人いたら、忙しくてたまらないからである。