大雪が降ってしまって
年が明けるまでは、降ったそばから融けてしまった。
正月に降ったぶんも、除雪が必要なほど積もることはなかった。
しかし、ここへ来て、いきなりの大雪。こんなんありか、15日朝はほんの
20cmしか
積雪してなかったのに、その後の1日で 60cmも積もってんの。
初日は「6年ぶり」といわれていたのが、翌日は「15年ぶり」と、パワーアップ!
今や積雪は80cmを越え、明日までにはその上からまた40cmくらい積もると予報が
言っている。目の前の田圃と道路の区別がつかない・・・ということはもちろん、
その間にあるはずの溝もわからない。ぼーっと歩いていると、落ちる、というより
はまる。
ここまで来たら、足元は長靴に決まりだ。
コートの中身がどんなドレスだろうとも関係ない。雪の歩道をハイヒールでどんなに
上手に歩こうとも、横断歩道を渡ろうと車道に下りたとたん、融雪装置の水で融かされシャーベットになった雪に踏み込むことになる。その水深、足首くらい。
融雪装置というのは道路や駐車場にあって、地下水を出して雪を融かしてくれる。
それはいいのだが、溶けた雪が歩道まぎわに溜まっては、シャーベットの様相を呈し
それが侮れない水深となる。シャーベットを跳ね散らかす車もある。
装置によっては、時に噴水が出現したりする。通る場所を見つけるのは難しい。
ただたんに水をよけようとすると、代わりに車にひかれる。
通行人に氷水をかけないようにし、なおかつ融雪装置のない道でスリップしない
ように運転するには、どうしたらいいか。ゆっくり走るしか、ない。おかげで道路は
渋滞し、あちこちで品物がなくなったらしい。ローカル・ニュースでも報じていた
が、近くのスーパーでも批判精神ならぬ非難精神あふれるおばさんが楽しそうに
怒っていた。
ところで、自分んちの駐車場の車を見に行ったが、一番端っこのでっぱっている
雪の山がソレかな?というほど埋もれきっていた。車の横にまわろうとしたら、
あまりに雪が深いので、長靴を超えて腿まで雪に埋まってしまった。で、やめた。
どうせこんな雪道を慣れない人間が運転しても、事故るだけだ。
しかし、車で通勤するしかない人は、大変だ。夕方6時に会社を出て、翌朝8時に
家についた人もいるらしい。うちの駐車場の隣に置いてある車は、20cm
の積雪の
朝に出ていったきり、その日から帰ってきていない。会社の駐車場から出すことが
嫌になったのか、それとも現在の駐車場の雪かきが恐いからか???
石川県ではこの雪で、何人もの人が一酸化炭素中毒になった。
マフラーに雪が入ったり、除雪が不十分で、車内で暖をとっているうちに車内に
充満した一酸化炭素で亡くなったり病院に運ばれたりしたのである。
やってみたことはないのでわからないが、一酸化炭素中毒というのは比較的簡単に
死んでしまうと聞いている。医師の自殺は首吊りが多いという話も聞いているが、
イメージ的に楽なのは、一酸化炭素中毒の方ではないか。だがしかし、現在の駐車場
の状況に関する限り、むしろ一酸化炭素中毒に至る方が、大変なのである。車を使おう
と、一生懸命除雪した挙げ句にそんなことになった人々に、同情する。
昔はもっと降ったものだ、と土地の人は言う。当時はもっと寒かったから、雪は
融けずにその上にまた雪が積もった。かくして、電柱が埋もれる結果となったらしい。
高圧電線に触らぬよう、しるしがしてあったと富山生まれの人が言っていた。
昔、38(さんぱち)豪雪というのがあったそうだ。
昭和三十八年の話で、だから「さんぱち」。ある人はそのとき、たった2歳だったそう
だが、その人に向かって今でも母親が繰り返す言葉は、
「あんたは外に出たいって言って泣き喚くし、だからって外には出られないし、
ほとほと困ってねえ。あれだけは、忘れられやしない。」
・・・そう、こんな面白い話、私だって忘れられやしない。
他に昭和15年の豪雪の話をしてくれた人もいた。当時彼女もお姉さんも女学生で、
お姉さんはスコップ担いで登校したそうである。で、登校するなり屋根の雪おろしを
することになっていたのだそうだ。その時は屋根より高く雪が積もり、雪で作った
階段をあがって外へ出ると、周囲は一面の雪原だった。
お使いの醤油を買いに大体の方向を目指して雪原を歩いていくと、あちこちに穴が
開いていて、それは各自の家への入り口に通じる、雪の階段になっていた。で、この
へんかなー?と階段をおりていくと、それが違うお家で、3軒くらい前かな?とその
階段をおりていくと、これがまた違って・・・。
ところで、全然自慢にならないが、うちの社宅の庭は狭い。
しかし、これが雪が積もってしまうと、自慢になる。隣が割りと広くて深い用水路で、
そこに雪を捨てられるのなんて、超の字がついて自慢となる。そう、雪かきの
大変さは、疲れではない。雪を捨てる場所がなくなることこそ、大変なのである。
氷の壁となった雪は道路わきで通行の邪魔をしてくれる。普段すれ違える道も、
すれ違えない。演歌やシャンソンじゃあるまいし、ここでは雪は感情を泡立てる
小道具ではない。雪は物理であって、他のナニモノでもないのである。いやほんと。
そして、今まではこんなことはなるべく書かないようにしてきた。
その一方で、「北陸来るなら、冬が一番!食べ物は美味しいしねえ〜。」と
冬の来訪をお勧めしてきた。しかし、何故だろう、誰もだまされてくれない。
まったく、友達がいがない。悔しいから、生牡蠣でも腹一杯食ってやるー。
殻を開けちゃあ万歳楽をきゅっ、また殻を開けちゃあ、万歳楽をきゅうっ、と。
岡山の知人より、大雪見舞いのメールが来た。(畑のバラが掘れなくなったよ)
母はニュースを見た祖父にせっつかれて電話を寄越した。暖かいところに住む母は、
それでも大量の雪が見たそうだった。いっそ母親をだまくらかして・・・?
そーだわ、うちのママだって牡蠣の殻を開けられるようになってもいい頃よ!
問題は、電車は運休だらけだし、まず、たどりつけないということだがな。
雪がもの珍しく、楽しいだけだった頃を思い出す。
金沢に来て初めての誕生日の朝、外には本格的な雪が積もっていた。朝一番に、喜び
勇んで兼六園に見物に行った。そのあとは、そりゃあもう・・・つまり、近江町市場
の片隅にある狭くて小汚い店で、新鮮な肴を横に燗酒をやったのである。
長靴で午前中から熱燗をあおる私は、少し、演歌の気分だった。
一度、そういうやさぐれた真似をしてみたかったのである。足りないのはちょっと
した「不幸」であり、それどころか肴は贅沢でおおいに幸せだったが、そんなことを
いちいち気にする奴はいないよなあ?
だが、隣のカウンターには観光客の老夫婦がいて、同様に熱燗を飲んでいた。
その風格。やさぐれるにはもーちょい年輪が必要とわかった。せっかくだからその
二人が、手に手をとって逃げてきた、わけありの二人なのである、と想像してみた。
いきなり酒が美味くなった。顰蹙?
・・ここまで書いたらまた同じことをしに行きたくなった。
しかし、やめておくのが得策だ。私は、この天候で海が大荒れに荒れていて、
近江市場が品薄であることを知っているのである。
3つめの、冬。