別れの日
会社の方針で、2年の転勤は少なくなったと聞いてはいた。
確実に金沢生活が3年目に入ると決ったとき、こりゃ本当に金沢をしゃぶり尽くさ
ねばならんな、とは考えた。考えはそのまんま実行に移された。どこでもそうだろう
が金沢は深く、味わえたのはほんの一部だったが、十二分に幸福だったと書く。
3年目終わりの春、言い含められた私は、サッシのお掃除をしていた。
アルミ・サッシのお掃除をさぼるとどうなるのかということが、よ〜く分った。
北陸の冬の湿気、結露を無視するとどうなるかということは、はめ殺しのクーラー
の裏のサッシが教えてくれた。勉強になったと書く。
そしてそれもきれいになったなと思った頃、今度は社宅に外壁工事が入るとの連絡
があった。おかげで内示、辞令、引っ越し準備期間の全ては、建物を覆う養生の幕の
中だった。サッシのお掃除の殆どは、水の泡と消えた。そういうこともあるのだろう
と書くことにする。あきらめがつくのはここまで、という意味である。
外壁工事となると、ベランダはないものとしなければならない。今までベランダに
置いていた植物も、急遽避難させることになったのだが、いかんせん社宅の敷地は
狭い。おかげで避難させたつもりの植物も、まんべんなく工事関係のホコリを被る
こととなった。なにもわざわざこんな時期に・・しくしく。
引っ越し前日、おおかた片付いたところで湯涌温泉まで車をとばした。
以前、同じお風呂の中で見知らぬオバサン(オジサンだったら大変だ!)が話して
いるのを聞いたことがある。「市内から来ているんですよ、ここは近いものです
から。ええ、家からね、信号一つなんですよ。」
家から信号がいくつあったかと考えてみるに、4つか5つか。ただ、湯涌から逆に
市内に向かう道を思い出してみるに、車なら信号1つも4つも、大して違わない。
だって、湯涌から暫くは信号がない。そして市内から30分の温泉に文字どおり入り
浸ったもので、仕事明けの夫なんて、会社に迎えに行ってはそのまんま温泉に連れて
行っていた。
・・・ところで、白状すると、今だからこんなふうに書けるのである。
当時は引っ越し支度で疲れ果ててヨレヨレだった。やるだけやって頭の中は真っ白、
後は野となれ山となれといった気分で、温泉に入り納めに行ったのである。
どこであってもそうなるだろうが、金沢では良いことも当惑することも色んなこと
があって、しかしそれがまた「住む」とか、はては「生きている手応え」であるという
ことはわかっていた。だからこそ逆に、それを得てしまった金沢を離れる時は泣く
だろうと思ってもいたし、よそでそう書いたこともあった。
しかし、実際に涙が出たのは春も佳境に入ってきた5月だったかそのへんの頃で、
引っ越しという現実に対応する以前のことであった。メランコリーとは怠惰のなせる
業であると誰かが書いていたが、確かに、忙しければ泣いてる暇もないのであった。
自分の送別会で盛り上がり過ぎて自分が転勤することを忘れるのと同様、引っ越し
準備で忙しい私は、そこにいられなくなることも忘れてひたすら目の前の箱に様々な
ものを詰めるのに専念していたのだ。より良い引っ越しの為に。いやはや。
湯涌に行ったのは夕方だった。温泉から帰る為に車を出したら、夕飯どきなのか
久しぶりに例のアオサギが立っていた。鳥の大きさをどう測るのか私は知らないが、
こいつを人間のようにして測ると、1mくらいである。けっこう、大きい。そして
以前は気がつかなかったが、頭からは、ポニーテールのように1本の黒い羽根が
ゆれていて、これが中々に格好良い。
で、このアオサギが車を避けようと、相変わらずのんびりと、しかし一応きびすを
返したところで、「ガーコ」と呼んでみた。すると、くるっと振り向いたのである。
それでこちらをうかがい見るのである。どうやら自分の名前をわかっているらしい。
これはちょっとした驚きだった。最後の最後に、面白いことを教えてくれた。
その夜は、馴染みの和食屋に行った。その板前がいて目の前で料理を作って渡す
から通った店だった。しかしこんなときに、一体何と言って別れを告げたらいいのか
私にはわからない。知らないものは夢にも見ず、考えつかないことは口に出ない。
しょうがないので、心にある通り言って、店を出た。
翌朝、引っ越しは9時より少し前に始まった。お昼抜きでやり、2時にはトラック
は出ていった。毎日毎日荷物を詰めまくったかいがあって、実に早かった。それに
しても、若いもんはすごい。私が一つ持ち上げることさえ出来ない、文庫本を
ぎっちぎち詰めにした段ボール箱(既にこういうことをやる方が間違えている!)
を2ついっぺんに運ぶのである。恐れ入った。
その日は、白鳥路ホテルに宿をとってあった。部屋に荷物を置いてから、金沢の
自然を見納めに行った。山を一回りしてもまだ明るかったので、夫が卯辰山に行こう
と言い出した。目指すは展望台で、そこを昇れば、夕日に染まる金沢市街、その
向こうに日本海が見えるはずである。
だが、階段を上っていった私達の目に入ったのは望遠レンズの立派なカメラと、
15cmはあろうかと思えるハイヒールの白人女性だった。撮影会でもあるのかと思えば
さにあらず、立派なカメラとその持ち主は日本海を狙っていて、後ろには機材の番を
している奥さんらしき老年女性(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)がいる。
白人女性の連れは日本人の男性だったが、彼は「写ルンです」で彼女を撮っていた。
卯辰山から金沢市街と日本海を眺められる展望台は観光かデートで訪れる場所で
あり、その日は天気の良い日曜の夕方であるから、当然、カップルが何組かいた。
というより、カメラ老夫婦、私達、若いカップル2組、あとはくだんの二人、
というわけで人生のいかなる部分に位置しているかはともかく、男女の組み合わせ
しかいなかった。ともかくそういう場所なのだ。
白人女性は、ハイヒールといい、身体にぴったりとしたドレスといい、スカート
の脇に入ったスリットといい、ぱんつどころか、全身これ「勝負!」という、着て
いる方がえっちな姿で連れの男といちゃついていた。
金沢と日本海の見納めをするはずが、こんなオマケがついてきてしまって。(^^;)
根負け?して卯辰山を下る我々とすれ違いに、何台もの車が上っていったが、多分
あれは全て夜景に変わって行く金沢市街と日本海を見ようとするカップルの車
である。やがて彼らが見るだろうもののことを思えば、笑いがとまらなかった。
白鳥路ホテルに戻り、温泉に入る。温泉も部屋も広くてうれしい。
温泉に入ったあと、とっておきの泡盛持って馴染みの中華屋に別れを告げに行く。
また新メニューが出来ていて、その名も「朝鮮族ラーメン」。ああっ、また・・・。
キムチのタレのようなものを使ったそれを日本語で言えば、「朝鮮風ラーメン」だ。
これだけ客が来ていても、常連がたくさんいても、誰も何も言ってやんないらしい。
「私がいなければ駄目なのよ〜」という言い方をする人はたくさんいる。が、本当の
ところはそんなことは殆どない。この店だってお客は来るし、多少の齟齬はあれども
立ち行かないことはない。それでも、随分口出ししてきたものだ。お終いには、
メニューの和訳、いえ、意訳までした。
餞別までもらって、文字通りの涙の別れになってしまった。
「この泡盛、余程好きな人としか飲んじゃ駄目よ!」って我ながら何だそりゃ一体?
だって、1本しかない沖縄サミット記念の泡盛で、惜しかったんだもん。中途半端な
客に飲ませるんじゃないぞと言ったつもりだったのだが、変な言い方になってしま
って。(^^;)でも敵さんも、「大丈夫、自分だけで飲む。」と言っていた。
翌朝8時すぎ、準備中を近江市場の中を通って空港行きバスの停留所に行った。
顔見知りの店の人にしてみれば、旅行にでも行くのかと思ったかもしれない。
願わくば、長いお別れとならないように。短いお別れで済むように。
その翌日、私達は荷物を新しい住居に納め、新たに川崎市宮前区の住民となった。
川の名前で言えば、犀川から多摩川へ。正直言えばまだ自信がない。しかし、ここも
種類は違いこそすれ、いずれ「良いところ」になるだろうことは、間違いない。
そんなわけなので、これからも、よろしく〜。(^0^)/