蛸
近江市場を歩いていた。
尾張町に近い、市場の外れまできたら、「すげえ。」と言う声が聞こえた。
ふり返ると、声の主は親子連れで、何やら店の方を覗き込んでいる。
負けじと後ろから覗き込んだ。
「すげえ」のは、タコだった。大きい。あいつらをどのようにして計測すればいい
のかわかりかねるが、大体のところ頭から爪先までが、ヒジから指先までくらい。
そいつが己の存在理由をさすところの「刺し身用たこ
XXXX円」という札から逃げる
べく床を移動中だったのだ。
近江市場ではなぜかいつも大きなタコが売られている。
こちらでは、生タコの刺し身は割りとポピュラーな食べ物である。飲み屋にも、
スーパーにも並んでいる。タコが地物とは限らない。金沢は魚介の一大消費地で、
必要となれば全国から商品を集めて来る。需要がそのまんま供給なのだ。
未だに忘れられない福井在住の知人の話なのだが。
「飲み屋のメニューに、タコ刺身ってあったから、注文したんだよ。そしたら、
注文を聞いた板前が横にある水槽にいきなり手をつっこんでね、蛸をまな板の上に
置いたかと思うと脚を1本、ぱんっ!と切り離して、蛸を水槽に戻したの。それで、
水槽にはもう1匹、脚のないタコもいたの。」
同胞の運命をそして自分の運命を、くだんのタコが知っているとまでは思わない。
ただ、私がそういった話を聞いたことがあるというだけである。何なら私がその
タコを買いとって、金沢港に放ち、しかる後に恩返しを待つ、というファンタジーな
ことも出来たのだが。まあこれはどっちかと言えばファンタジーではなくて無理な
投資というべきか。
というわけで、私はただたんにタコの移動を見物していたのである。
実際、魚屋の床を逃亡を図って移動中のタコは、その場を改善する、とか己の手中
に納めるとか、そんな野心はないように見えた。普通タコというものに野心など
ないと言われるかもしれないが、聞いてみたのだろうか全てのタコに?
それはともかくその移動のさまが「すげえ」のであった。
濡れた身体に軟体動物としての尊厳をかけて、水まいた魚屋の床をゆるゆる
ぬるぬると移動していく。スピードに限界はあるなりに、タコの意志だけはきっぱり
と伝わってくる。いやしかしタコの身体のやわらかいこと。いや、やわらかいという
よりも、伸びるというか、融通無碍なのである。さっきまで肘に見えたところが、
今、手首。さっきまで膝に見えたところが、今、足首。
みとれているうちにタコは、自分につけられた値札(なんとまあ残酷な事実である
ことよ)から50cmほど移動していった。そしてとうとう、店と道路との間にある側溝
までたどりついたのである。さてこれからどうするのか。
やがてタコは、側溝にかぶせてある蓋をさぐりはじめた。
氷水やら雪やらがそこから落ちていきやすいように、蓋は長方形の網状になって
いる。タコは、そこに脚を1本、差し入れて探り始めたのである。タコはそこから
海に帰ろうとしたのであった。
だが、脚の1〜2本ならなんとかなるにしても、よそ目から見てもそれ以上は
無理だということが、見てとれた。タコの、ええっと、脚がアレだから、
ええっと、いえ、そのへんではなくて(どのへんだ?)軟体動物の構造から
しますと、口があるあたりですか、あのへんでつかえてしまい、その先は入り
そうにないのである。
だからと言って、その上を通りすぎれば路上に出てしまう。
これ以上進もうとしたら、タコの身の上で、生きながら台車や車にひかれることに
なるのである。なんたることか。最初からわかっていたことにせよ、ここまで
頑張ったというのに、もはやこれまでだということが、わかりすぎるほど、わかる。
生き残ろうとするタコの姿は、充分に涙を誘うものがあった。
だが。何が泣けるといって。
そんなタコの努力を、店の人が誰一人として気にしてない、ということであった。
私はその場をそっと離れた。