金沢のお接待:身内編 その2

妹夫婦が来た。身内としては、3組目である。(そのうち母と叔母の分は、
「食べ物の記」の方に入れてしまったし、もう一組の両親の分は書いてない。)
どうやってもてなそうか。いずれも他の組と話が出来、なおかつ彼らなりの
ウリがなければ、なーんて考えたりする。

てなわけで、今回のウリとして、忍者寺に案内することにした。忍者寺とは通称、
正式名称は、妙立寺(みょうりゅうじ)という。観光客日照りが続いているなか、
ここと兼六園だけは人が絶えることがないという噂であった。

妙立寺は、要予約、となっていて、予約時間の10分前に玄関に集まることになって
いる。早々と着いてしまい、さして広くもない寺の境内の中で待つのもナンなので
そのへんを歩こうということになる。金沢市街方向に向かって歩くと、何故金沢で
わざわざ?と不思議になるほどどーでもいい民芸品を並べた土産物屋があり、その
先にはM屋があった。

M屋とは何かと言えば、落雁屋である。デパートだろうが駅だろうが空港だろうが
この店が入っている。というわけで、店としてはどこにでもある、くらいに思って
いたのだが、偶然出会ったここの店こそが、本店だった。こんなところにあるとは
知らなかった。知らなかったのになぜ一目でわかったのかと言えば、店構えが
あまりに古くて汚いからである。いやほんとに。

落雁自体にはさして興味のないはないが、M屋は別であった。何故かと言えば
100年以上も昔の落雁を再現し、その姿を広告として地方誌に載せているからで、
それが、本当に落雁かと疑うような、実に美しいシロモノであったからである。
こんなに美しいのに、落雁でしかない。そう思えばなおM屋の名前は私に染み込んだ
のであった。うれしいかどうかはわからんが。

妹夫婦におごそかにそのことを伝え、入ってみる。周囲を見回したのちに、夫が
食べるだろうという見込みの元に、「家傳」の文字の入った、実にえらそーーな
「方丈菓子」なる落雁を求めた。店番をしているおじいさんが、試食をどうぞと落雁を
出してくれる。恐縮していただく。おじいさんは、とても話し好きな人であった。
しかし、その中身が。

「蛍光燈で、ほれ、色がさめてまっしゃろ?こうなると、味も落ちてしまうし、
素人さんはともかくワタシらには食べられまへん。」 ・・・え??
「自分が食べるなら、あちらのお菓子ですなあ。多少味が分る人には、こちらくらい
お渡しせなあきまへん。そんで、そのへんの人にはこっちので充分ですな。」
するとナニか、お前んとこはどーでもいい人向けの品もあえて作ってるってことか。

つまり、この店の落雁は食えても、人間の方は食えないらしかった。
この人、老後の楽しみに観光客をからかって遊んでいるわけだ。なんていい御趣味
なの!古都金沢の老舗という舞台では、これくらいのひん曲がり方でちょうど良い。
このジイサン一人で、充分観光資源として通用する。文化財だ。見に行ってやって
くれ。そんで、おとなしく色のさめた落雁食べて、たわごと言わせてやってくれ。
ここまで来たら、長生きしてもらいたい気がするじゃあないか。かなり。

落雁と思い出を携えて、妙立寺に戻る。案内が始まっていた。
拝観料、一人 700円。お姉さんがグループごとに建物の案内、説明をしてくれる。
これだから、予約が必要なのであった。

一応は日蓮宗の寺であるここが、忍者寺と呼ばれるのは何故か。最初の建立は初代
藩主利家公のときだった。それが金沢城近くから移築されたのは1643年。徳川幕府が
その基盤を頑強なものにする為、ヤバそーな諸大名を取り潰しまくっていた頃の
こと。当時の藩主は利常公、三代目であった。

加賀藩は、そらもーヤバいの筆頭だった。前田利常は、徳川家から嫁を迎え、
母親を人質に出し、自分はアホのふりをして幕府をだます。その一方で江戸から
攻めてきたときのために様々な準備をした。そのうちの一つがこの妙立寺である。
ゆえにここ、お寺の姿をした要塞なのである。藩主を敵から守るため、建物には
実に様々なからくりが仕掛けられている。

そのからくりの為に「忍者寺」と呼ばれるようになったはものの、前田家の存亡を
かけた壮絶とさえ言える仕掛けに、入る人はうかれていても、出て来る人は笑って
いない。「・・・と、こうやって敵を殺すわけです。」案内のお姉さんの言葉の
末尾は殆どがコレなんである。(^^;)しかし、あんなに見ごたえのある観光施設&
史跡&お寺、他でみたことない。はっきり言って、「必見!」である。

外見は普通の2階建て、しかしその中身は4階建て7層。敵を迷わせ、うろうろ
してるところを襲って殺すための建物なので、とにかく確実にお姉さんについて来る
よう、お願いされる。幼児・未就学児童の拝観は出来ない。義弟、出て来ながら
建物を振り返り「・・・これで4階?」とつぶやく。
HPは下記の通り。キレイに出来上がってるが、現物見たあとでは・・・。(^^;)

http://www.myouryuji.or.jp

後日、御近所の酒屋の奥さんに聞きました。
「ええ、私も行きました。お客にどうしてもとせがまれて。冬だったし嫌だったん
ですけどね。すっごく寒いです。足の裏が床に張り付いてしまいそうに寒い。
冬は忍者寺か酒蔵かってくらい、争うほど寒いんです!」・・・元々寒がりの奥さん
であるが、酒蔵と比べられてもなあ。寒くても菊姫の蔵だったら我慢出来る人もいる
かもしんないし・・・。(^^;)まあ、参考までに。

忍者寺から、近江市場に行く。最近もう一つできたが、私が来たときからある、
日本一お客の平均年齢が高いのではないかと思われる、回転寿司屋でお昼にする。
市場の中には、タクシー飛ばして観光客がかけつける寿司屋もあるが、そちらには
行ったことがない。待ってまで入る必要を感じさせないまま、2年半経とうとして
いる。妹夫婦にとっても、その事実は通用したらしい。お勘定が示してくれた。

市場を見物した後、抹茶をいただきに行く。菓子会館の森八という手もあるが、
市場の近くには「村上」もある。金沢が誇る、いずれ劣らぬブランド菓子屋だ。
椅子席だが、抹茶と生菓子でほっと一息つく。もっとも、抹茶は金沢の観光ロード
のどこへ行こうともつきもので、飲まないにせよ、その2文字からは逃れようっ
たって逃れられない。どうせなら上等な和菓子のあるところ、だよなっ!

その後はお決まりの兼六園である。兼六園の見どころの一つは、北陸ならではの
湿気が育んだ苔の美しさである、とは案内した人々に話してきた。ついでに、
嘘のように育って化け物みたいに大きな鯉も中々のものがある、なんて。
唐崎の松に関して言えば、「種蒔き後、170年を数える松」ということになるが。
日本庭園では唯一の噴水でもある、日本最古の噴水、なんてのもあったな。

それから、香林坊の街歩きである。妹は記念に九谷焼のいいのが欲しいという。
一生モノということで、輪島塗りでもいいという。輪島塗り。あれは修復が利く。
最近では工房を退職した職人さん達が修復専門の工房を作っている。具体的な
システムがある、本当の「一生モノ」である。翌日は輪島に連れていくつもりだった
ので、どうせなら輪島でという話には、なる。

いわゆるデパ地下に入る。金箔の粉をお土産に持たせる。金箔なので小さいくせに
それなりのお値段がするが、正月など中々便利なのである。義弟、知人にと言って
フグの粕漬けを求める。どうせしょっぱいだろうと思っていたが、試食にともらった
それは、ををっ!全然しょっぱくない!それどころか酒もゴハンも進みそう。
うーーん、これはヤバいかもしんない。なかったことにしたい。

あちこちの店を見て歩く。輪島塗りの店はわからないが、九谷焼に関しては
1軒、心積もりがある。駅から丸越デパートに行く途中にある、リファーレビル
1階の店。リファーレビル自体、大きなビルなので簡単にわかる。この店の品揃え
を見るたびに、観光ロードの久谷焼がいかに田舎くさいものかと思わされる。

既に夕方になっている。予約した時間まではまだ少しあるが、幸い私達は
「尾張町」を経由する。尾張町は歩いて楽しめるように作られている街で、居並ぶ
商店の一つ一つに小さなギャラリーが設置されている。古美術品店に博物館、
「めんや」(面屋)なんてのもある。元々金沢は戦災にあっていない。一歩裏道に
入れば昔ながらの家々も残っている。わー、きゃっきゃっで3分、かける、いくつ?

その後夕食を予約した店では、今まで季節を違えて3回、客を迎えていた。
だが、同じ料理が出たことがない。さあどうなるか!?このまま転勤まで逃げ切られ
ちゃうのか?店の方の勝ちか!?というわけでドキドキしてたのだが、今回初めて
同じ料理が出た。それは松茸の土瓶蒸し。うーーん、これでは文句が言えない。

他に、非常に美味しいが何なのか4人ともわからないものがあって、聞いたら
海老味噌だと言う。海老・・味噌って、ええええええええええええっ!?
蟹味噌とはわけがちがう。後で聞けば4人とも、器の底まで指つっこんでなめて
しまいたいと思っていたことが判明。うーーん、こういう場合は、私が率先して
指をつっこむべきだったのだろうか?

北陸の酒は水準が高いが、ここのは燗も上手である。
ここの女将さんは「まあまあいつもいつも・・」なんぞと口上を述べてくれるが、
料理や酒に夢中のこちらは、つきあうのが面倒くさいっ!!大人げなかろうが
なんだろうが、しょーがないやんけ。やがてお寿司が出て、義弟、昼間の回転寿司
も美味しかったのにそれどころではないのに驚く。これからは、御義姉様とお呼び。

翌日は、輪島方向に行った。まずは、朝市。呼び込みのオバサン達がすごい。
「おとーさん、おとーさん!」と呼ぶおばあちゃんがいるので、「おばさん、お兄さん
って呼ばなきゃ振り返ってくれないわよ〜。」と知恵をつける。近江市場なら、
人を呼ぶなら「お兄さん」か「お姉さん」である。それ以外には、存在しない。

お昼も挟んで3〜4時間後、義弟は北の方の人間らしく珍味系統を手に持ち、
妹は念願の輪島塗りを注文し、私はいしるをぶら下げていた。それは色が薄いいしる
で、イワシとサバで作っているとのこと。味はイワシで色はサバ、と売る人が言って
たと思うが、逆だったかも知れない。

ちなみに「いしる」というのは「しょっつる」のことであり、魚醤のことである。
能都町ではいかの内臓に25% の塩を加えて1〜2年時々かきまぜながら土用を越して
醗酵させる。熟成されると桶の下から澄汁をとり、水を加えて煮立て除菌する。
輪島、門前あたりではいわしで作ったものを自慢し、七尾ではイカで作る。

これまたちなみにイカの場合は内臓と目玉を潰さぬようタルに入れて25〜30% の塩
を混ぜて漬け込む。で、虫が入らぬよう蓋に目張りをして醗酵させる。7〜8ヶ月
くらいで樽の下の方にある栓を抜くと透明な茶色の液体が出て来る。これを沸騰
させ、沸き上がる泡を取り除いたものが一番いしり、なんだそうである。

近江市場には金沢の紀ノ国屋みたいなスーパー、「ダイアモンド」があるが、その
2階には、珠洲のいしるが3種類売られていて、中身はそれぞれ、イワシ、サバ、
イカ、となっている。私はイカを選び使ってきたのだが、夫には不評だ。何故かと
言えば、イカの香りはするのに現物が入っていないからだそうである。(^^;)

山の方の人がいしるを使うことで野菜にうまみをつけ、気分だけでも魚を楽しんだ
という歴史があるならば、野菜を煮るのに使いこそすれ、現物を入れてしまうのは
邪道のような気がするのだが。屋上屋を重ねる、みたいな。

帰りは、一般道を通る。北陸の田舎の集落の美しさは、一般道でなければ
わからない。往きは朝市に間に合わせる為に高速道路を使うにせよ、帰りは絶対
一般道!!そして、総持寺(ここに修行にきたお坊さんたちによって輪島塗りは
持ち帰られ、全国に広まったという)本誓寺(茅葺き屋根の寺)、気多大社(神社
じゃなくて、大社)、と見せて金沢に帰り着いたら夕方になっていた。

そのまま、碧羅に中華の夕食に行く。中華にはうるさいよ、とはここに連れて行く
誰しも言うのだが、帰るときにはお腹一杯になって笑っているのが通常の状態で
ある。「もー動けないのー。」はいはい、お接待、一丁上がりっと。(^^;)

翌朝、夫は仕事であった。私だけがつきあい、まずは尾張町のお香屋さんに。
古くて汚くて、商品の並べ方なんてはっきり言って一見の客なんて相手にしてない
のが見え見え。お嫁さんかお嬢さんか知らないけど、店の人によればそこは漢方の
方が主な店で、元々そうした知識がなければお香を作ってはいけなかったのだと言う
のだが、この話、何かに似てると思ったら、アロマテラピー。妹、白檀やら何やら
の香木を端から嗅がせてもらって満足そうである。

が、妹がその店でハマったのは和ろうそく。手書きの絵のついた和ろうそく。
いくらするかは、行って聞いてみるがいい。たかだかろうそく、火いつけて燃やして
なんぼなのに、絶対燃やせない御値段。ろうそくに絵なんか描いてどうする!現在
では職人もいなくなっていますって、一体これで食べていけるのか。

お昼はしゃもじ屋であった。店の人が、次々に声をかけてくれる。(^^;)
「おねーちゃん、この店よく来るの?」いや、たまに。「お義兄ちゃんと来るわけ
かあ。いいなあ。」いやあのその、店の人が覚えてるのは私の顔だけだと思うけど、
黙っていよっと。塩辛好きの義弟には、是非ここのホタルイカの塩辛を食べさせた
かった。本場の富山まで行けば色々あるのかもしれないが、そこまで彼らは行けない
のである。(金沢でホタルイカの塩辛の美味なところがあったら誰か教えて!!)

しゃもじ屋は所謂市場持ち込み料理屋で、市場で買ったものを料理してくれる。
土地の人も観光客も来ていて、若い子でも困らないように上手に面倒みている。
日本酒の飲み比べセットなんてのもあって、メニューも観光客向けと地元向けの両方
ある。そして、こういう店では私が一人で酒飲んで料理食べても違和感がない。
それでつい・・・。(^^;)なんで言い訳なんかしてるのか、私ときたら。

食後、近江市場横のバス停から妹夫婦を空港行バスに乗せた。
後日義弟殿の田舎からは山ほどのホタテとりんごが届き、それどころか実家からは
彼がはりきって様々な手伝いをしてくれるという内容の電話が来るのだった。
一緒にイイ思いをしてこれなら、めでたいことであった。