年末だというのに


島村洋子のエッセイを立ち読みしていた。
彼女によれば、人というものは自分にないものを持った人に恋するのだそうだ。
それも、自分が弱っているときに。ほほう。

 恋とまで書いたらちょっとアレだが、自分は人の何に感動したかしら、どんな
人を好きかしらと考えてみた。まず、優しくて大人で。当然のことながら、
悪口陰口噂話の類は一切せず、しかもなおいろんなことを知っていて・・・

 それは別にいい。問題はこれらのことが「自分にない」というところなんである。
上のような人が好きである自分は、自動的に狭量でガキで悪口陰口噂話と何でも
ござれで、そのうえ無知、ということになるではないか。

 あまり、どころか、かなり外れてないような気がする。
そして、いまさらどうせいっちゅーねん。しょーがないんで、現時点においては、
「よい知人隣人に恵まれますように」と祈って終わりにすることにしたのだった。

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 バラをあげる夢を見た。
なんでこんな夢を見るのかといえば、来年転勤だとしたら今から色々やらねばなら
ないからである。私は余分のバラを1本持っていて、それが気にかかっているのだ。
夢に登場したのも、花束(切花)ではなく鉢(花つき苗)だった。

  鉢植えにしているなら話は早いのだが、バラは現在、畑に植わっている。
バラの移植適期は冬である。つまり私は余分だろうが何だろうが今冬バラを堀り上げ
て鉢に植え付けなければならない。めんどくさー。あわわわわ・・・

 余分なバラ、つまりきれいでないバラなんてこの世にあるのかと不思議がられ
そうな気もする。それが、あるのだ。例えば、一番いいときの花色や花型は
大体カタログや写真通りである。だが、花型の移り変わり、花色の褪め方、特に
その花の終わり頃、なんてのはカタログには載らない。そのへんで、鼻につく
ようになったりする。

 今までに2本のバラを人に譲り渡したが、2本で済んでいるのは現物を見てから
入手するよう努力してきたからである。春の花はいいけれど、秋がいまいちでやめた
バラもある。人に譲るにいたった2本のバラは、現物を見ずに買ったやつだった。

 だが、人それぞれというやつで、花の咲き終わりが水切れのような姿になるのが
気に入らなかったバラは、色を気に入られてもらわれていった。花型がイメージ通り
ではなく、おまけに褪色の様子も気に入らないバラ(良く咲いて嘘のように丈夫だっ
たが)は、バラが好きだから、という理由でもらわれていった。

 で、今回の3本目の何が問題なのかということになるのだが。現物は何度見ても
欲しいと思ってたバラで、花色は褪せることもないあっぱらぱーなピンクで、
花型はいまいちだが何も考えなくてもよさげな(普段は仔細ありげな花ばかり好き
だもんですから)このピンクをこそ、買ったのだから、文句はない。

 それでなぜ手放すのか。
いやもう簡単。畑を借りられたのをいいことに、同じのを2本も買ってしまったの
である。おまけにこれは修景用というものに分類されるくらいで、広がって大きく
なる。転勤後はほぼ確実にベランダ生活になるのに、とてもではないが持ちつづけ
られない。

 このバラを人様にあげるのは、春になり、花盛りにしてからである。
今までもバラをあげる場合は、そうしてきた。これからは。
ま、人にあげなくて済むようにしたい。

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クリスマスに何か買ってやろうかと夫に言われていた。
だが、そう言われても思い浮かばなかった。今わくわくするのは本であり、種子だ。
出来れば、当の自分でさえ予測出来なかった本であり、種子だ。なんて高望みだ。

私を感動させてみろ、えっへん!などと言う話はともかくとして、こういう場合
の妥当な態度とは、ここぞとばかりに何かをねだることである。だがしかし、畑と
ビストロと中華料理屋と近江市場をめぐる生活のせいで、何も考えつかない。

 結局、欲しいものがないってことは、まわりまわればお金には不自由していない
という意味になるのではないか、なーんて強引な飛躍もしてみた。しかし、こんな
理屈を誰が喜ぶだろう?言ってる私もうれしくない。つーか、ナサケナイ。

ところが、こんな私の後ろで、CDプレイヤーがいきなりぶっ壊れた。
いきなりの、現実。愛するCDをくわえ込んだまま、あっちの世界に行ってしまった
んである。その時点でクリスマス・プレゼントは決まった。炊飯器が壊れてたら
炊飯器に、掃除機が壊れたら掃除機になってたはずだ。醤油がなくなったら醤油に
なってたかもしれない。いやまあ、そこまでは。

しばらくの間は夫の仕事が忙しく、おかげで、プレイヤーを買いに行けなかった。
それで処分し残していた森田童子のテープを久しぶりにかけてみたら、曇り硝子の
ような声が、今聞くと一種寝言のようなことを歌っていた。

 「漱石の本投げ出してくちづけ」なんかする奴らは放っとくとしても、そう言えば
「どうして生きればいいのか」わからぬ自分に後ろめたさを感じる時代もあったのだ。
「僕の小さな勉強部屋」って、そう言えば昔は子供の「部屋」には「勉強」という言葉が
セットになっていたのだ。

 コワイけど、あと10年くらい経ったところでまた聴いてみたくなった。

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 初雪が降ったのは12日だった。あっという間に消えた。
一応12月中に降りはするものの消えて、正月過ぎから本腰入れて降るのが金沢の
最近の雪のありかた(変ないい方)だと言われては、きた。

 が、25日の夜から雪、なんである。
週間天気予報では 3日続けて雪のマークが表示されている。ダメ押しに大雪注意報
まで出てやがるのである。てことは、正月まで雪は消えない。正月支度は長靴はいて
傘さしてこなさねばならない。うげげ。

 実際、25日は昼から色々降った。雨、時々アラレ。平地ではザラメくらいの大きさ
のアラレが、市内から山方向に30分の湯涌温泉では、ひなあられくらいの大きさに
なっちゃう。そして、冬の北陸名物、雷。普段は気にしないが、温泉に入ってる
ときに雷が鳴るのは嫌だ。総湯の建物に落ちたらどうなるかと思っちゃう。

 ところで、25日は色々降ってるなか、近江市場にも行って来た。
クリスマスは、生牡蠣とカニで盛り上がろうということにしたのである。
小さな箱に入ってる殻つき牡蠣は30個入りで2000円だった。香箱ガニは5はいで
2000円だった。季節限定の地ビールも届いた。

 それにしても、近江市場のおかげで、殻つき牡蠣を開けるのもカニを分解する
のもいやに上手になってしまった。夫を甘やかすだけではもったいないような気さえ
してくる。だからって、余所のダンナを甘やかすわけにはいかないし。
攻めるも守るも、っていったい何の話だ??

 ともあれ、うまかった。次に生牡蠣をこんな食べ方をするとしたら、誕生日か?
ところでその、やっぱり殻を開けるのは私?

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