いきものたち
朝の散歩はなんとか続いている。
うちを出ると、まず、犀川に向かう。川辺の道をカモの親子を見物しながら歩くのは
楽しい。問題なのは川に着くまでで、途中にうんざりするほど吠えてくれる犬がいる。
吠えられる理由はわかっている。夫が、人知れず生来の犬好きを発揮してるからだ。
詳しい説明は省く。危害は加えていない。にも関らず、犬は怒っている。そんだけ。
けっこー遠くから我々の存在に気がつく犬で、がんばって吠えてくれていたのだ
が、最近はそうでもない。いや、がんばっていることに変わりはないのだが、
私達が通りかかる時間に、ちょうど朝ゴハンを出すことにしたらしいのですね、
飼い主が。
で、しょせんはケダモノ、エサが優先するわけです。でも、やっぱり犬だから、
吠えるのもやめられないわけです。たどりつくところは、みょーーな鳴き声で。
犬はつまり、「何見てんのよ
・・今はゴハンなんか食べてるけど、あんたの事は
ちゃんと見てるんだから・・っ!変なことしたら承知しない・・もぐもぐ・・ああ、
おいしー・・朝ごはんというのはなぜこんなにも・・いえ、とにかく赦さないよっ!
あんたのことなんか、大嫌いなんだからね!
もぐもぐ。」とうなってるわけで。
食うか吠えるかどっちかにしろよと犬に言ってあげたい。通じれば。
しかし、何でこの時間に朝ゴハンなのかなあ。飼い主、気がついたのか。
犬にも悪いし、この散歩コース、変えたい。飽きたから、他の犬にしようと
夫に持ちかけてみようか。
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「このほど、能登島水族館で長く独身を通してきた・・」というローカル・
ニュースの言葉で思わず振り返った私であった。しかし、残念ながら独身を「通して」
きたというそれは、人間ではなく、ゴマフアザラシだった。ううむ。
あまり動物を擬人化するのはいかがなものか。私が言うのもなんだが。
大体、独身を「通す」もなにも、ゴマフアザラシにどんな権利があるというのか。
どんな奴かと思って振り返った私の立場はどうなるのか。かわいかったけど。
その
2週間くらい後、ニュースではくだんのゴマフアザラシが新婚生活を送って
いる、と伝えていた。ゴマフアザラシの新婚生活。なんでも4歳のメスの方が積極的
なんだそうである。なんか恥ずかしいけど、めでたいということにしておこうか。
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タコの生涯をテーマとしたBBC制作の番組を見ていた。
主人公はタコのオス。他のことは覚えてない。確か、卵から始まって、様々な外敵
から逃れながら、なおかつ自分も何かの外敵となりながら(つまり、食うもん食い
ながら)、育っていく様子が淡々と映し出されていたと思うのだが。
問題は、彼が、良く言えば青春時代、悪く言えば発情期??ええっと、お年頃と
なったときであった。BBCはタコにおける ぼーい みーつ
がーる をですね、
「あちらの方から、若く美しいタコのメスがやってきました。」と表現したわけです。
若く美しいタコのメス。ええっと。この表現を私なりに検証するにはどうしたら
いいのか。タコであるということは、わかる。が、タコの年齢とは?タコにおける
美醜の基準は?あたしにゃ雌雄だって区別つかんぞ。
タコも恋愛などするのか。人間なら美醜や年齢でない恋愛だってあるが、
そんな複雑な観念、タコにあるのか。せめて、若く健康な、という言い方だったら
わかるんだけど。だが、これこそは偏見というものなのか?
ともあれ、この一言のせいでタコの生態というものは私の頭から全てぶっとび、
かわりに、世の中は、「若く美しい」が頭につくかもしれない生き物だらけになって
しまったのだった。
例えば今年の石川県はカメムシが異常発生してるそうだが、その中のいくばく
かは、「若く美しいカメムシのメス」である。
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少し前から、コゾクラが旬である。
コゾクラとは何かと言えば、若き日のブリ、ハマチだ。あれがあちこちで売られて
いる。私は魚においても若いもんより・・・なんか話が変だが、まあとにかく、
ブリとかハマチの方が好きなんである。なんかこう、頼りない気がするんだよなあ。
だからその、魚としての脂肪の量が。太いおぢさんが好き、という意味ではない。
その日も、私はスーパーの鮮魚売り場の前にいた。
その日も、コゾクラはお行儀よくザルに乗せられ、何尾かまとめて売られていた。
そのまま遠ざかるはずだった。だが。コゾクラのうちの
1尾の口のあたりに、何かが
くっついていた。何かと思ってみれば、小さな魚のしっぽであった。
あわれくだんのコゾクラは小魚をみつけ、ぱっくりとやってこれから咀嚼する
のか丸呑みするのかわからないけど、とにかく今まさにこれからお食事したという
ことを実感しようとしたところで網にかかってしまった、らしかった。それで、
小魚をくわえたまんまスーパーのザルの上に乗っかってるのである。気の毒に。
呑み込むか吐き出すかどっちかにしたらと言ってやりたいが、そんなものは余計な
御世話であり、コゾクラさんだかコゾクラくんだかにはそんな力は残っていない。
それにしても、しっぽしか見えていないこの小魚、どんな魚だ?
大きめの魚をさばくと他の魚が出てきたりしてけっこー楽しめるものだが。
と、コゾクラが既に生きていないのをいいことに事実関係を自分の楽しみ方向に
変換しようとしたときのこと。隣にいた夫婦モノの男の方が言ったのである。
「どうもこれが気になる・・」そうでしょ?やっぱそう?あんたもそう思う?うふ。
だが。女の社会性はにべもないものだった。「よしなさいよ、あんた。」
そうか、やめておいた方がいいのか。
出来れば、「くわえた小魚を確かめるためにこの魚を買ったわけじゃありません。
たまたま買った魚が小魚をくわえていたんです!」なーんてことにしておきたいが。
やっぱ無理というものだろうな。後ろ髪をひかれる思いで売り場を離れ、
そして、気の毒なコゾクラがどうにも忘れられないので、ご報告に至った。