彫像と猫

  その時、坂の上からギリシャ彫刻が歩いてくる、と思いました。
なんと言いますか彼女は白人で、髪は金色で、背は高く、特有の骨格にからみつく
白い長いスカートにサンダルという姿が、まさに彫刻のようだったんであります。

  が。よく見たらその彫刻女には見覚えがありました。
以前、シャム猫を散歩させていた人です。猫の名前は、ティアーでした。
なんで名前まで知ってるのかと言えば、そりゃまあ聞いたからです。おまけに彼女は
日本語が上手でした。らっきー!

  考えてみれば彼女にも名前はあるはずなのですが、私は猫の名前しか聞きません
でした。金沢なんぞに住んでいて、猫まで飼ってる日本語上手な西洋人って、何か
それなりの事情があるはずなのですが、私は自分が以前飼ってた猫に似たそれの名前
の方が大事でした。

  私の猫は今はもう亡いのですが、同じようなシャム猫の雑種で、同じように人間に
つかず離れずで散歩させることが出来ました。呼べば多少時間差があれどもやって
来たものです。シャム猫は一番犬に近い猫だという話ですが、なるほどそうかもしれ
ないと納得できる猫でした。

  で、問題はティアーという名前でした。私は、一瞬にして、納得しました。
てことは、一見何不自由ないような顔をしてすましこんでいるこの猫にも小猫だった
時代があったということです。あたりまえのことですが。

  シャム猫は一般的に子沢山だそうです。
これは別に自分で経験したことではなく、調べてみて知ったことなのですが、
あの一般的に細身の体型、と言っても庄司薫の猫のようにデブいシャム猫もいる
らしいですが、まあそれはともかく、シャム猫ったら一見そういうことには関係の
ないような姿をしているくせして、たくさんのコドモを産むらしいのです。

  してみると、こいつの母猫も何食わぬ顔してああっという間にお腹を大きくし、
当惑する飼い主をよそにこのティアーとその兄弟をたくさん産んだに違いありません。
そしてある日、持て余した飼い主に捨てられ、兄弟たちともはぐれ、お腹をすかせ、
こいつときたら目ヤニと涙でぐしょぐしょになってさまよっていたわけですね。

  そこに現れたのが、この親切なギリシャ彫刻のようなガイジン女性です。
友達がとめるのも聞かず、この汚い憐れな小猫を気の毒に思って拾いあげ、ノミ
だらけの体を洗いあげ、そのときには、当のティアーも怖がって暴れてひっかいたり
したことでしょう、少しだけ温めたミルクかなんかあげて、いや、既にチーズ入り
かまぼこなんかも食べられるようになっていたかもしれませんが、彼女がそこまで
日本の食べ物に理解を示したかどうかは、私にはわかりません。つまり、あげたのは
温めたミルクではなく、猫カンだったかも知れないということです。冗長ですが。

  で、目ヤニと涙だらけだったから、名前をティアーにしたわけですね。
名前のセンスがちょっとお茶目すぎますが、そのへんはゆるしてあげましょう。
なんたって、いい人なんですから。多分。ほんとかよ。

  それはお前の勝手な妄想であって、元来そういう女性用の名前があるだろうが、
とか、ティアーの他の意味がどーとかいう話は却下です。もちろん、ギリシャ彫刻
みたいな体をしていれば性格がいい、という話をしているわけでもありません。
つまりこれは妄想を楽しんでみたと言うだけの話なのです。

  その後私は、我ながら良く出来た妄想だと思い、これは誰かに聞いていただかない
と、と考えたわけです。で、友達にその話を書いて送りました。相手が悪かったかも
しれません。ちょっと少女趣味な友達からは、「ティアーじゃなくて、ティアラって
言ったのよ、きっと!」と怒った返事が届きました。そうかなあ。「まあ、汚い〜」
とかなんとか言いながらも拾いあげてそういう名前にして可愛がるっての、いいと
思うけどなあ。

  その日の彫刻のような彼女によれば、ティアーは何事もなく、元気でいるようです。
それにしてもシャム猫ってどうしてああ気取って見えるのでしょうかね。実際、うち
のも、かなりの見栄っ張りでした。飼い主には全然似てませんでしたね。
いや、けっこー似てたのかもしれませんけど。