ビジネス・トリップ
夫が会社関係の葬式に出かけることとなった。
葬儀が行われる場所は、北海道はなんと登別、そしてそこからまた少し行った
ところ、である。
交通機関について、FAXが届いている。
とりあえずは小松から千歳まで飛び、それから登別までバスで行くことになる
らしい。非常に不便なところにありますので、バス停に到着する時刻がわかれば
自分が迎えに行きますとまで書いてある。ええっ?
たどりつくまではともかくとして、調べてみたら帰りの飛行機の時間が
あわないことがわかった。そんなわけで、帰りは千歳から一度羽田に行き、羽田
から改めて小松に飛ぶことになるのである。
北海道。この地名は実に個人的なイメージを喚起してもくれる。その証拠に、
これだけ大変なのだというつもりで行き付けのレストランのマダムに事情を話し
たら、「それじゃダンナ様は、美味しいものを食べてお帰りになるのですね。」と
にっこり笑って答えてくれた。なんじゃそりゃ一体。「・・・そう願っていますが。」
と答えて良かったものか、私。
ともあれ、夫は寒い千歳に降り立ったそうである。
そして夫がさてバスに乗ろうとしたら、「アムステルダム行きのお客様・・」という
アナウンスが聞こえて来るというオマケつきであった。(旅行記参照)
バスで登別まで1時間、いくら不便なところにあるったって、取り込み中の人間
に迎えに来させるわけにはいかないので、タクシーを探そうとしたがバス停は
たんなる道路の端っこであり、タクシーどころか雨よけになるような建物もない。
で、何故か近くにあったコンビニで道をきき、駅まで10分ほど歩き、結局バスに
乗って行くことになった。
で、ようようたどりつき、夫なりにしめやかにお坊さんの読経を聞いていれば、
会社の人が夫の肘をつついて曰く、「こんなのが終わるまで待ってたら夕飯に間に
合わないから、先に帰りなさい。」ええっ?
葬式に来て、夕飯とは何のことだ??
事情はこうだった。つまり、登別グランドホテルとやらに宿をとってくれたので
ある。そのホテルの夕食は7時で、それに間に合わないと食いっぱぐれるのだった。
会社の人は、それを心配してくれたのである。
だからと言って、はいそうですかと言えるものでもなく、小声の押し問答の末、
しょうがなく退席し、外でタクシーを待っていれば、タクシーが来るのが遅く、読経
が終わったお坊さんと一緒になる始末。そしてこれまたようようホテルに着き、例の
小さな鍋などつついていれば、やはり少し遅かったようで、ホテルの人が周囲を段々
と片づけていくのであった。
登別なのであり、当然、温泉。お風呂に入ろうとすると、それには
「ローマ風呂」という名前がついていて、天井がアーチ型になっていたのだそうだ。
荘厳なお風呂、だったらしい。葬式というきっかけにより、そんなお風呂に
入って夫は翌日、羽田経由で帰宅したのであった。変なの。
話は変わるが、10年以上も前、うちの近所でお葬式があった。
おばあさんが亡くなったのである。その家は、フツーの、田舎にありがちな、
そろそろ建て直した方がいいかなー?程度の家だったが、葬式となったら見たこと
がないほどの数の花輪が並んだ。
田舎道には黒いハイヤーが何台も何台も並び、これまた堂々としたおじさん達が
喪服に身を包み、何故かその手にはいずれも八重洲ブックセンターのカバーの
かかった本を持って続々と下りてきて、焼香の列に加わった。
その家にも大家族であった時代があり、おばあさんの子供は当時よくあること
ながら、6人だったか10人だったかであった。(これくらいの数になると私に
とってはもう一緒であるし、おばあさんだってそうだっただろう。)
子供が何人いようとも、いずれは大きくなり、長男以外は家から出ていく。
おかあさんはおばあさんとなり、何もなければそれなりの年齢となって亡くなる。
出て行った子供達もその頃には50や60になっている。
つまり、そのおじさん達は、亡くなったおばあさんの子供の(何度も書くが、50
とか 60 とかの年頃だ)の会社関係の人の弔問だったわけで、子供がそれだけの数
いれば、誰か一人か二人はそういう形でエラくなったのだろう。こういうことを
確率の問題にしても良かった時代の話とまで言っていいかどうかはわからないが。
時は経ち、うちの夫は登別で、ハイヤーに乗ったおじさんの役をしたことに
なる。ま、なんか違うような気がしないでもないけど・・・。
ちなみにうちの実家のあたりも温泉が出る観光地である。
ハイヤーのおじさん達も、ローマ風呂とか黄金風呂とかに入ったり、一人鍋を
つついたりしたのかと考えるに、多分、それはしてないと思える。なんとなれば、
うちの田舎は余程遅くならない限り、東京から日帰りが可能だからである。
しかし、今日もどこかで誰かが亡くなっていて、同じような立場の人々が同じ
ような姿でド田舎にかけつけ、同じような光景が繰り広げられていると思うと、
なんだか不思議な気がする。いや、不思議でもなんでもないのかなあ。
人はどこでも生きて育って死んでいくのだから。