金沢のご接待:身内版
この時期、実家がヒマだということは知っていたのだが。
母から電話があった。関西に嫁いだ叔母の夫が10日ばかり検査入院するという。
それならその間、母は叔母についていてあげようかというのであった。が、それこそ
は口実で、本当はダンナがいない間に姉妹で遊び倒そうかというのである。(^^;)
関西と金沢は、近い。それでつい、「もののついでに二人でこっちまで来たら
いいんじゃない?私はどーせ暇だし。」と、言ってしまったのが運の尽き。
あっという間に日付と都合を告げられ、私は夫と共にスケジュールを練ることになっ
た。うーん、狙っていたんですね、お母さん。
初日は福井で待ち合わせ、まず永平寺。お寺なんて馬鹿にしてたが、実に悪くなか
った。秋になったらもう一度行きたい。天狗が出そうなほど太くて大きな杉木立。
カエデの緑、これの樹形がこんなにいいものだったとは。池のそばにはギボウシの
大株。そして。ザゼンソウをなぜ植える。名札までつけてるってことは、確信犯
だな、おまえたち。こういう寺で、そういうシャレはいかがなものか。
見終わったら、お昼すぎ。福井名物と言えば、おろし蕎麦!
しかし、永平寺近辺はそーゆー店だらけではないか。ごま豆腐とそばの店だらけ。
この組み合わせがまあ何といいますか、清いと言えば清いのかもしれないが。
でも、おろしそばは好き。堅いのがいい。大根おろしもからいのでなくちゃ。金沢の
蕎麦は何故かおいしくないので余計ムキになっちゃうの。
が、下調べをしてこなかった私達。私の運転技術のため、駐車場が広いところに
入る。普段はそこそこやってる車庫入れだが、人が一緒となるといきなり下手クソ
になるのだ。で。適当に入ったその店は、芸能人と店主が一緒に撮った写真が山ほど
飾ってある店だった。味はともかくとして、量が少ないと悪口を言いながら車に
戻ると、母と叔母は「アタシ達はもう年だから、あんなもんよ」と言った。
雨が強くなりだした。ドシャ降りのなか、走る。途中、久谷焼きの美術館に入ろう
としたのだが、時間がなくなり、やめる。2時間か2時間半で金沢に到着。
永平寺は、金沢から近いのであった。母と叔母をホテルにおいて、いったんうちに
帰る。宿は白鳥路ホテルで、市内だというのに温泉も、ある。
タクシー呼んで夕食に行く。遅くなったことへの運転手の言い訳は、「ドシャ降り
で見合わせた墓参りがほれ、晴れたもんですからさあ今だというわけで。市内は
墓参りに行く車で渋滞してるんですワ。」というものだった。何ともっともな話だ。
金沢は、7月がお盆なんである。
その晩は、「広重」。自腹の店、である。予約するときは事細かに希望を伝える。
「若い人ばかりだから、素材は安いものでも、量をたくさんで。」なんて。
で、今回はと言えば、「夏の金沢らしい料理を。岩牡蠣もお願い。」と。
店はちょっと見しょぼい寿司屋(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)だが、
実質そのものの、素晴らしい料理を出す。どじょうのキモ串、ごりのから揚げなど
頼んだだけのことはあって、晩秋に両親が来たときと同じものは何一つ、ない。
そして「お約束の岩牡蠣です」と言って出て来た牡蠣の身は、マウスくらいあった。
岩牡蠣は元々大きいもので、切って出すくらいだが、ここまで大きいのは、見たこと
なかった。一同、驚く。
デザートにブドウが出た。ブドウの下には葉が敷いてあって、これが本物のブドウ
の葉で、思わず、この葉は一体?と聞けば「ああ、これはそこのですから。」って、
そこ、というのは店の玄関先に置いてあるブドウの鉢植え。げっ、鉢植えの葉を!?
ここの女将の丹精なのか、病気ひとつ、虫食いひとつ見当たらない葉だった。
翌朝。夫には会社から呼び出しがかかったので、私が接待することとなった。
まず、菓子会館。森八なる金沢の菓子の本家本元みたいな店があって、バブルの
あおりで危なく倒れそうになったという話はTVでもやったらしい。菓子会館と
森八は同じ建物に、ある。菓子会館では実演もあれば客にも作らせてもくれる
らしいが、その日はそういうことはなかった。
菓子会館には、金沢における菓子の位置、使われ方についてなどが展示されて
いる。金沢は茶道が盛んであるうえに、人生の節目節目には親類縁者にその時々用の
お菓子を配る習慣がある。もちろん、歳時記としてのお菓子もある。例えば正月には
福梅というのを食べる。7月になれば、氷室饅頭を食べる。どの家にも、気に入りの
菓子屋があって、おかげでここは人口比における菓子屋の数が日本一なのだ。
私は年末に若いカップルが正月の菓子として何を買うかでモメてるのを見たことが
ある。何を買ったのかはわからないが、女の方が「私は福梅の方が良かったわ!」と
吐き捨てるように言うのを聞いたとき、何という土地柄なのだと驚いたものだ。
福田和子、だったか。時効
15日前だったかに捕まった殺人犯だったか。
どうしてこう「だったか」が多いのかと言えば、私自身関心がないからであるが、
その人は一時期金沢の菓子屋の若奥さんとしておさまっていたのである。
何故そんなことを思い出すのかといえば、興奮気味に福田和子のことを語ったのが
何不自由なさすぎるほどない某奥様だったからで、何故この人は福田和子のことが
好きなのか、もしかして人生リセット願望があるのかしらん??なぞと不思議であっ
た。が、あにはからんや母と叔母に福田和子の名を言えば、叔母も非常に興奮する
のであった。何なんだ一体。たんに現場を踏んでるという楽しさか???
森八では抹茶とお菓子をいただくことが出来る。涼しいところに座り、選んだ
練りきりを口に運ぶと、ををっ、何故あんこのくせしてこんなにフルーティー?
抹茶がうまいっ!。叔母、「普段から私もお茶を点てようかしらん」と言い出す。
畑の地主は元々表千家を何十年もやっているが、彼女によれば、それは金沢では
ごくごく普通のことらしい。「余所におじゃまして、何がいいかと聞かれたらお抹茶
頼むのが一番面倒がないのよね。洗い物が一番少なくて済むじゃない?」とのこと。
同じ会館内の加賀麩の店なぞを見て歩く。
あれは非常にカワイイとは思うが、意味を見出すには私はまだ野蛮で生臭すぎる
お年頃なので、殆ど素通りである。一見ただの最中の中に仕掛けがしてあって、
お椀に入れてお湯をそそぐと最中の中から様々なお麩が出てきて、非常にきれいな
お吸い物ができる、というのもあるが。惜しむらくはたいしておいしくない。(^^;)
美味しくはないのだが、少なくともわかりやすいので、母も叔母もお土産に
買い求めていた。非常に美味しいものに、小さな最中の中にくるみの佃煮を詰めて
ある、というお菓子があるのだが、これは外見が小さくて地味にも関らず、1コ
100円にあたるので、母も叔母も悔しがる。これがわかる人は、少ない。類似品を
食べてみれば、なるほど最中の素材もくるみの量も味付けも値段も合点がいくのだが。
歩いて、尾山神社。ここの池には亀がいて、朝などホントの甲羅干しをしてるのが
見られる。人に気がつくと池に逃げるのだが、時々トロいのがいて無防備にその
まんま、ということがある。手に持ったバッグなどいきなりずしっと甲羅にのせて
やると、あわてふためく姿がおかしい。私もろくなことやってないが。
叔母と母はうれしくおみくじをひいている。二人で見せ合ったりもしていて、
仲良きことは美しきかなと言ってやりたいが、おみくじって人に見せると御利益が
薄れるんじゃないか??
母がトイレに行ってる間、叔母と絵馬を眺める。様々な欲望や不運が目の前に開陳
されている。「xx君と結婚できますように」の場合、xx君は知っているのだろうか?
それを書いたときに彼女の隣にいるのならいいが、いなかったらけっこーコワイ。
お父さんの病気を治してくださいというのもある。合格祈願の他に金運の上昇、それ
だけならともかくもっと色々いいことがあるようにと書いてあるのも。
神様に同情したくなってくる。これじゃ神様だってやってらんないよなあ。よしよし。
昼は、卯辰山にある接待レストランで食べようとしたが、一杯だったので某ホテル
の和食屋で七夕ランチなるものを食べる。ここの板長は俳句を作るのが好きで、
誰も止める人がいないのをいいことに作りまくり、短冊を飾りまくっている。
・・・彼の俳句は下手、だと私は思う。
ランチの御膳全てにもれなく板長の作った俳句の短冊がついてくるってのもどうか
と思わされる。「結局この人って仕事してないんだよね〜」なぞと悪口言ってたのが
聞こえたのだろうか。私のお膳だけ、短冊がのってなかった。あらま。
長町武家屋敷の通りなど歩いてごちゃごちゃしてたら、もう夕方。
日曜出勤となった夫と落ち合い、碧羅に行く。最近行ってなかったが、夏メニューと
なっていて、さざえを使った炒め物などが出ている。なんでもかんでも喜ぶ母と
叔母であったが、昨日の蕎麦屋での殊勝なセリフは何処へやら。広重でもそうだった
が、食うは食うは。どこが「あたしたちは年だから」だ。この店の少なくはない
中華料理を4人で6皿、それも殆ど食ったのはオマエ達だろーが!まったく。
タクシーに乗せて、帰宅。翌日は近江市場見物の後、電車に乗せた。
近江市場では叔母もお土産を買っていた。一人先に行ってた母は季節ではない蟹を売
ろうというわけで「おねえさん、連れはどこなの連れは。なんなら探してきてあげる」
とまでうるさく迫られ、母は母で「毛が長いのと太いの。」と答えたのだそうである。
おかーさん、アナタという人は一体・・・。(^^;)
叔母までもが、こそっと言った。「またお父さん、入院しないかなあ・・・」