事故と常連
その日、夫が帰ってくるなり言うことには、馴染みの中華料理屋(しらじらしい)
に皆と行ったら、入り口にはシャッターが下りていて、「店主、交通事故にあった
ため、しばらく店を休ませていただきます」という貼り紙が貼ってあったとのこと
であった。
一瞬だけびびったが、考えてみれば自分がやれることなどなく、それでもこんな時
に誰に問い合わせればいいのか程度のことは、とっくに聞いてあった。「金沢行った
ら是非、かの中華屋に」と言って下さる方々がいるのに、まともな料理が食べられる
子連れでも大丈夫なオフミ会場として重宝しているのに、聞かないでいる方が、
無責任ってもんだ。
実際、翌月には、年に一度のオフ・ミーティグが控えていて、ここを楽しみに
遠くは静岡から来る予定だったりする。というわけで、貼り紙みてから1週間も
しないうちに私は花抱えて病院に足を踏み入れていた。
マスターは既に起きられるようになっていた。痛みが薄れたら、今度は一刻も
早く店に戻りたくてしかたがないのである。1ヶ月も店を離れたらお客さんが余所に
行ってしまうのではないかと畏れ、なお、店にいれば、暇なら暇なりにお客さんと
話をしてるだけでも楽しいのに、ここは退屈でかなわない!と言うのである。
この人は料理で商売もしているが、それよりも人間の方が好きらしかった。
誰か報せて欲しい人はいないか、聞いてみた。貼り紙ではマスターの状態も居場所
もわからない。「皆、忙しいから迷惑ね。」と言うのが彼の答えである。確かに、問題
はお見舞いの数ではない。しかし、心配している人々のことはどうするのだ。皆、
とっくに他に行くとこなんてなくなってるのに。
「皆」とまで言いきっちゃうのは、自分がそうだからである。
店がなくなったら、真剣に、困る。そこそこのお値段で季節によって変わる美味しい
ものをた〜んまりと出してくれて、だから会社の若いもんなんて最近はうちに呼ば
ない。それどころか、遅くなって腹減ったとなれば、会社からそのまんま碧羅に
直行なのだ。
翌日、店に足を運んだ。シャッターに貼られた事故のお知らせに、書き込んで
しまおうというわけだ。「寺町のI田病院に入院しています。当人は来週退院する
つもりでいます。」今見ると変な書き方だが、少なくとも軽傷であるということ、
入院先と、はっきりしないまでも、とりあえずいつ頃まで待てばいいのかがわかる。
というわけで、マジックインキ構えて貼り紙に臨んだら、何かぐちゃぐちゃと
小さい文字で書いてある。良く見たらそれは、「早く治ってね!」「マスターの
ゴハンを、待ってます。」などという言葉であり、貼り紙は寄せ書き用紙となって
いたのだった。
そして本当に翌週、通り掛かりに店のシャッターが開いてるのを発見。
翌日のお昼に、行ってみた。話によれば、前日の夜は店の状態の監視を怠りなく
していた常連達がやってきたのだそうである。皆、帰ろうとしない。夜中の
12時
まで店をやったとのことである。寄せ書きの人々も来たらしい。
「1ヶ月ぶりに中華を食べるわ!」と、皆言ったのだそうだ。
客だけならまだしも、まかない飯を食べた奥さんまで。(^^;)それにしても、そんなに
最初からトバしていいものか。それだけならともかく、冬メニューの「鍋」を翌日
から出すと聞いたときには、止めそうになった。当の中華鍋は、他のメニューもそう
だが、素材一つ一つを下拵えしてある鍋なので、大変の
2乗くらいなのだ。(^^;)
でもこの人、そんなもんだと思っていて、気がついていない。
夏に、茄子のはさみ揚げあんかけ、というシロモノがあった。
茄子の炒め物はどこでも、出る。具をはさんで揚げたものも、店によっては出る。
でも、それにあんをかけたものは、絶対に、食べられない。少なくとも、料理人が
一人でやってるような店で食べられるはずがない。でも、出てくるのである。
マスターはランチの後始末を終えたあと、座ってタバコを吸い始めた。
隣では奥さんが餃子の皮を作っている。奥さんは、最近中国から呼び寄せた人だが、
おしゃべりもせず、ただ、くるり、くるり、と器用に麺棒をあやつる彼女を
見たとき、「雨降って地固まる」という言葉を思い出した。
もちろん、早々に退散して「あげた」のであった。
もう1軒、くだんのビストロである。
こちらもただ今、新婚真っ盛り。マダムの出身は越前・福井でマスターの方は越中・
富山とくれば、そんな二人がどこでどうやって知り合ったのかと聞いてしまう。
知り合った場所はここ金沢であり、マダムは元・お客さんだったのだそうだ。
金沢って、なんだかんだ言っても北陸一の都会なんだね!というシメ方も出来る。
ほほー、店を出したはもののお客が来なくて煮詰まってた頃に出会って、それで
このよーな結果に!という言い方も出来る。どっちでも良い。問題は料理と値段と
サービス、そのバランスだ。
その日は、取材が入っていた。もしかして後ろ姿が地方誌に載るかもしれず、
載らないかもしれないが、そんなことはどうでもいい。問題は取材に使った
うずらを二切れもらってとってもうれしいな、という・・・別に問題でもないか。
米大統領選挙の話などする。決着がつかないとわかったとき、ダン・ラザーだった
か、キャスターがどもっていた、と聞いて驚く。ああいう人がどもるなど、考えも
つかん。で、やっぱそういうのはライブでないとなあ、という野次馬根性押し隠し、
「歴史の瞬間に立ち会った気分ですね。」と話をシメておけば、「えー、そんなこと
あったあ?」とマダムが明るく言い、「君はそのときパソコンやってただろう。」
その日はお客がいなかったので色々話したのだが、話は私の洋服にも及んだ。
ある日、いつもとはうってかわった姿で店に行ったことがあって、それが良かった
とマダムがほめてくれるのである。それは別にいいのだが、「私も、メリハリを
きかせて装うことにしました!」
知人の医師は、死体ネタを飲み屋で語っては嫌な顔をするお店のお姉さんのことを、
「プロ意識に欠ける振る舞いであると言えます。接客業ならば、相手に合わせ、
盛り上がるくらいのことが出来なくてどうするのでしょうか。」と憂えてみせる遊び
を楽しんでいる。彼はイレギュラーなお客として存在してみせることでお店のお姉
さんを鍛えようと・・いや、たんに「地」であって、人が悪いだけなんだろう。
もー知りませんよ、私は。
その日のマダムは、シェフとちょっとした痴話げんかの挙げ句に奥の方に入って、
出てこなくなってしまった。新婚なんてのは、一見楽しそうだが、実は足場固めの
闘争時代でもある。それはわかっているのだが、お店でそれをやるのはいかがな
ものか。
たんに彼女は、マダムとして新米なのである。そのうちそれらしくなっていくの
であろう。人間としての、地は悪くない。私のお友達は、長年通う美容院で店長が
見習いの頃から見ているそうだが、これとおんなじだ。
「昔はよくベソかいてたわよ〜。」だって。うちの場合、惜しむらくは、そこまで
つきあえないということである。金沢生活も、あと半年なんだから。
実家から、このほど猪肉が送られてきた。もうそんな季節なのである。
そして、なんだかんだ言っても、貴重な猪肉を預けるに足りるのは、このビストロと
中華屋だけなのであった。どちらも料理人、喜ぶ喜ぶ。
しかしシェフ、「助かります。」ってのはなんだそりゃ、おい。