方向性
「食べ物の記」を再開することにした。
イノシシの肉の話も、食べ物の本の話もここに入ることになる。
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あるところでハーブ・ティーを振舞われ、一口飲んで「不味い。」と言ったら
持って来た御本人様が「もう1度。」と問うので改めて「不味い。」と答えるに至った。
よく考えてみると、せっかく持って来てくださったというのに失礼な話ではある。
しかし、甘味を加えていない嗜好品飲料で、最初っから美味しいと言えるものが
この世に存在するのだろうか。そのときはニューギニア・バジルとやらで作った
ハーブ・ティーだったが、他のハーブ・ティーでも私は美味しいと感じたことはない。
そして、コーヒー、紅茶、緑茶、のいずれであろうとも砂糖やミルクを加えて
まろやかにしてあるから飲めているのであって、慣れない人がそのまんま飲んだら
苦いだけなのだ。(この場合の緑茶は抹茶に変換するとわかりやすい。抹茶オーレ
とか抹茶ミルクなんてのがあるではないか。)
馴染み深いものとなって美味しさを感じるようになるのが嗜好品飲料の常ならば、
そのハーブティーの不味さは、初めて緑茶や何も入れていないコーヒーを飲んだ
ときと同様なはずであった。
ハーブティーのウリは、自分が栽培した植物で飲み物が作れることである。
「不味い」と言ったのは実に失礼だったが、敵さんも美味しいから持って来たわけでは
ない。飲めないことはないので、提案として持って来てくれたのである。多分。
それはいいとして、モノはニューギニア・バジルであった。
スイート・バジルというかコモン・バジルというかイタリアンなバジルではない。
タイ・バジルなんてのもあるが、いずれも主に料理に使い、お茶には入れなかった
と思う。
てことは、このにバジルはお茶にして飲める(他のもやれるかもしれないが、
私はその気がない・・)バジル、ってことなのだろうなあ。にしても、ニューギニア・
バジルって本当にニューギニアに自生するバジルなのか。だとしたら、当の
ニューギニアの人々はこれをどのように利用しているのか。
どうせ不味いとケチつけるなら、他の利用法に思いを馳せるなどして、
もっと別の良い方向に発展させるべきであった。ワタクシとしたことが。
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6コ入りで471円だったか。
近所のスーパーに置いてある、小さな「サン津軽」の値段である。
スーパーの周囲には少々の一戸建てと少々のファミリー向けマンション、それに
団地があって、そこの住民で賑わっている。
「小さいリンゴが欲しいのです問題」というのが私の周囲にある。
現代の都市生活者は大きいリンゴでは持て余す可能性が大きい。そんな人々向けに、
小さいのを作るべきだというのが知人の主張であり、別の知人はOLのお昼なんかに
ぴったりだと言葉を添える。しかし、生産者は重たい腰を上げようとしない。
そりゃそーだ、どんなにバカでやる気がない人間でも、功名心だけは持っている。
ましてやる気があって少しでもマシな人間なら、わざわざそんな貧乏臭いリンゴを
作って笑われたいわけがない。誰しも良いものを、美しいものを、立派なものを
作り上げて「どうだ!」と言いたいのである。
しかしそういったごく自然な欲求を余所に小さなりんごは出来てしまい、近くの
スーパーに並ぶ。手間暇かけられなかった証拠であるそれは6コ入りパックだ。
このりんごは誰と分け合うでもなく、ただ一人で食べられることになるだろう。
小さいりんごはちょっとした栄養補給やらダイエットやらに便利であっても、
幸せの香りがしない。
ところが、その後私はこのリンゴの4コパックを発見し、買って食べることになる。
「りんごりんご」と考え事をしていたら、久しぶりに食べたくなってしまったのだ。
頼りなく小さいので割って食べるほどのこともないが、丸かじりもちょっと、
というわけでただひとりで、むいてかじった。
そこで気がついたのは、このサイズでこの味ではダメだ、ということだった。
もっとパンチがないと、濃い味がないと、出来れば酸味がないと、食べた気が
しないのである。
小さくて貧乏くさくて失敗作っぽくて不幸そうなりんごをあえて生産者に作って
もらおうというには、小さいから消費者に無駄を出させなくて済むという理由では
なく、まして小さくてもいいという消極的な理由でもなく、「小さくなければダメ
だから」というものであるべきなのだ。
感情に押し流されてムカついて、大事なことを忘れていた。
いやはや、ワタクシとしたことが。