8月のお題「夏休みスペシャル版」
いや〜、先月はサボってしまったわい。もし、このページのファンがいたとしたら、大変すまんこってス。その分今月はがんばるそ〜。今月は先月の分も含めて二部構成のスペシャル版じゃ。
【第一部】
さて、先月のお言葉を更新しなかったので、わしが死んだんではないか、入院したのではないか等々、いろいろな噂が飛び交ったようじゃ。芸能界でも昔から、ちょっと出なくなるといろいろな噂が飛び交う。「志村けんが死んだ」とか「○○が死んだ本当の原因はエイズだ」といったような噂は、おそらくおぬしも聞いたことがあるじゃろ。
子供の頃にもいろんな噂を聞いた経験はだれでもお持ちじゃろ。「トイレの花子さん」「音楽室のベートーベンの目が動く」「真夜中になると二宮金次郎が歩き出す」「マクドナルドの肉は〜」等など、おそらくおぬしも聞いたことがあるのではないか。
その中でも最も日本中の子供を震え上がらせたのが、「口裂け女」の噂じゃろ。この噂が一番流行ったのは「ちびまるこ」の時代だ。しかし、今の20代でも半数以上は知っている。恐ろしい噂ほど時代を超えて、語り継がれるものなのじゃ
しかも噂はやっかないことに伝わるうちに、ドンドンおひれがついてしまう。「口裂け女は車より早く走る」「口裂け女は時速100キロで走る」「「口裂け女をみたらポマードといえば逃げる」などなどどんどん自己増殖していく。聞いたことあるのでは?
さらにこの噂はインターネットを経由してお隣の韓国にも飛び火した。韓国に伝わるころにはまた変質し、韓国では「口裂け女」ではなく「赤マスク」と呼ばれている。夜、暗いところに赤い大きなマスクをした女性がいて、「わたしってきれい」と聞く、「きれい」と答えると「これでも」と言ってマスクをとると耳元まで口が裂けている、マスク以外は日本と同じだ。
今、世間では8月に東京に大地震が起こるという噂があるようじゃな。そこで思い出したのじゃが、昔、阪神淡路の震災を予言したという人がいた。わしはその人に東京に地震はくるのか訊いたところ、「いつかはわからないが必ず来る。ただ盛岡にきたら東京もあぶない」と言われたことがある。そこで気になるのが最近東北で起きてる地震。
再度、本人に確認したいのじゃが、それが誰だったのか忘れてしまったのじゃ〜。肝心なことが思いだせん。わし、この手の知り合いが何人もおるのでの〜。まあ、予言が外れてくれるのを祈るのみじゃ。
【第二部】
わしは実は先月から原稿執筆に追われておる。雑誌と通教テキストと単行本2冊書かねばならんのじゃ。毎日パソコンの前に座ってキーボードを叩きまくっておる。目はショボショボ、腰痛にはなるは大変じゃ〜。
おぬしらの中にも本を出してみたいという御仁がおるじゃろ。そこで出版社になんのコネもないわしがどうして出版できるようになったのか、その秘密を公開しようぞ。
わしも自分が本を出せるなんて思ってもいなかったのじゃが、ある日書店で「あなたも出版社から本が出せる」という本をみつけて買ってみた。そしてその本に書いてある通りに企画書を書いて出版社に送ったのじゃ。はい、そこで問題です。わしはいったい何社にその企画書を送りつけたのでしょうか?
わかった方はわしにメールをくだされ。正解者には拙著でもさしあげようかの。なお、正解者多数の場合は抽選になるぞい。さあ、ふるってご応募くだされ。これが今月のスペシャルじゃ〜。正解は来月このページで述べようぞ。
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6月のお題「夢をかなえるゾウ」
世の中何が起こるかわからない。一ヶ月前、聖火リレーで揉めていた中国に大地震が発生した。四川地域に発生した大地震、死者は5万人を超える模様テレビに映し出される悲惨な状況に、日本人なら誰しも阪神淡路の震災が思い起こされたであろう。大勢の人が瓦礫の下に埋もれた光景には、民族を超えて胸が締め付けられる思いがする。その瓦礫の下から何時間ぶりかで救助されたりすると、思わず拍手をしてしまうのはわしだけではないだろう。
このような震災を目の当たりにするとつくづく人間一寸先は闇であることを思い知らされる。だったら一度しかない人生、思いきってやりたいことをやるべきかもしれない。
最近おもしろい本を読んだ「夢をかなえるゾウ 水野敬也著 飛鳥新社」。多くの啓発本に書かれている自己啓発のためのスキルを述べているのだが、それをおもしろおかしくガネーシャというなぜか関西弁を話すインドの神様と自分という登場人物とのかけあいを通じて、わかりやすくまとめられている。
この本の中では祈りの仕方についても述べられている。「神様の所にはな、毎日毎日、世界各国津々浦々から『健康になりたい』『お金が欲しい』『恋人が欲しい』『幸せになりたい』て、お便りが寄せられるんや。まあ好き勝手願いよるなあ自分らは。しかもその願い事かなえるために差し出すのが小銭て。自分らの幸せどんだけ安上がりですかーいう話や」と神様ガネーシャは言う。「けどな、そんな中でやで、たまに、もう、ほんのたまにやで、こんなんがおるんや。『いつもいつもよくしていただいて、神様ありがとうございます』」「ぐっとくるよね。神様側からしたら、そういうの、ぐっとくるよ。神様連中みんなでいうてるんよ。『今の、ぐっと来たよね』って。もう、こういう子はな、優先的に願いことかなえたるのが、内々での暗黙の了解になってんのよ」
そうその通り、これはわしもいろいろな人から教わったことである。仏教系の著作が多いひろさちや氏はこれを領収書の祈りという。今日まで無事生きてこられたということに対して「ありがとうございます」と手を合わせて感謝する。多くの人が災害や事故で命を落とすなかにあって奇跡的に今日まで生きてこられたということに対して感謝する。真摯に感謝することによって不思議とよいことが起こるようになる。これはわしも経験済みだ。
いつ起こるかわからない災害に恐れおののくより、今生きていられることに感謝してみよう。
5月のお題「聖火リレー」
北京オリンピックの聖火リレーが各国で物議を醸している。日本でも長野で行われたが、まあ大した事故・事件も起こらずそれはなによりじゃった。でもあれをテレビ中継で見たわしはなんか違和感を感じたがおぬしはどうじゃった?
沿道を埋め尽くす中国の国旗にはなんか白けてしまったの〜。そりゃあ中国人がオリンピックを成功させたい気持ちはわかるが、他国に来てまで我が者顔で国旗を振り回されると、なんか平和の祭典と言われるオリンピックも興醒めになってしまうの〜。わしが不思議に思ったのは日本での聖火リレーなのに、なぜか日の丸がほとんど見られなかったこと。テレビに映るのは中国・チベット・モンゴルの国旗ばかり。日本でのリレーなのだから日の丸を振って日本国民も応援していますよ、というメッセージを伝えればよかったのにと思うのだが。
日本の後の韓国では暴力沙汰が起きたりしてやはり混乱した。さすが北朝鮮だけはなんの混乱も起こらず盛大に行われ北朝鮮の面目躍如というところじゃろな。聖火はさらにチベット国内やチョモランマでもリレーされるそうじゃが、いったいどうなることやら。
今からこのような混乱状況でオリンピック本番は大丈夫なのだろか。本当に無事開催されるのだろうか。もちろん中国は国の威信をかけて全力で運営するじゃろが、それだけに命がけで抗議する人もでてくるのではないか。中国が純粋にスポーツの祭典に徹していれば、仮にテロなどが仕掛けられても、世界は中国に同情するだろう。
国威発揚とか国の威信などと力めば力むほど、それを見ている他国の人間は白けてしまう。ここはひとつスポーツマンシップに則って行ったほうがよいと思う。自国の選手を一生懸命応援するのは当り前だが、何年か前の日中のサッカーの試合のように、相手国選手に対する罵詈雑言が寄せられるようなことがあれば、オリンピックを楽しむこともできなくなってしまうし、中国という国のイメージをオリンピックを通じて悪化させてしまうことになる。
今までのゴタゴタのせいか、3ヶ月後にオリンピックを控えている割には、今ひとつ日本では盛り上がっていないような気がする。世界のトップアスリートにはこの4年間に極限まで鍛えあげた体や技を使って、最高の舞台で演じてもらいたい。その選手達をドキドキしながら手に汗を握って応援する、あの感動をぜひ本番では味わいたいものだ。極度の緊張の中で一瞬の勝敗に全てを賭け、勝っても負けても流される涙に全世界はうち震えるのじゃ〜。
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4月のお題「OJT復活の兆し」
今年は東京の桜は例年よりも早く咲き誇った。
例年通りお花見を予定していた人たちもあわてて日程を繰り上げて行う始末。
しかし夜桜となるとやっぱり冷え込み、鼻水をすすりながらお花見を行っておった。桜が開花してから気温が下がったため、桜の花は例年よりも長もちしておる。
また4月は新入社員研修の季節でもある。巷には真新しいスーツ姿があふれ、OH!またこの季節が来たなと感慨もひとしお。今年の新入社員は売り手市場であったためか、以前のような悲壮感はない。就職氷河期には就活に疲れきってしまった自分を奮い立たせ、新入社員研修にも真剣かつ深刻な雰囲気が漂っていた。
最近の新入社員を見ていると明るさというかゆとりが感じられる。研修には真剣に参加するが深刻さはない。日本的雇用形態が崩壊した時代でも彼らは彼らのやり方で乗り切っていくのじゃろな〜。ただ、願わくば言い古された言葉ではあるが「石の上にも3年」、思い通りにならなくとも我慢もしてもらいたいものじゃ。
ところで、彼らを迎える職場では長らく雇用調整が続き、久々に新人が入ってきたというところも多い。そのため初めて部下を持つ上司、初めて後輩をもつ先輩も多い。入社5年にしてようやく後輩ができたりする。
今まで部下や後輩を持った経験がないため、突然新人の指導役を仰せつかっても戸惑ってしまう上司や先輩が増えている。どのように扱っていいかわからないため、腫れ物に触るように接し逆に彼らを増長させてしまう。自分では教えているつもりでも、部下や後輩は教えてくれないと言ったりする。
定期的に毎年採用が行われていた時代は、新人の指導法も上司から部下、先輩から後輩へと受け継がれてきたがここ数年それが途絶えてしまったようである。それだけに新入社員研修を受け、夢と希望を持って配属される新人の行く末が心配だ。
指導する側の上司や先輩もそれを裏付けるように「部下後輩指導に自信がない」と言う。このようなことから、最近はふたたびOJTが脚光を浴びている。マンツーマンの指導法をもう一度見直そうという動きである。一頃、コーチングがブームになったが、聴き方や質問のスキルを学ぶのもいいが、そもそも何を教えるのか、教えるとはどのようにするのか、育成の目的は、などが分かっていないと、具体的な成果につながらない。
人を育てるのはスキルだけではない、教える側のマインドも問われる。部下や後輩に対する熱き思いも必要だ。すると今のように忙しい時代には「部下や後輩の育成は面倒だ、そんなものは研修係がやればよい」という意見も出てくる。しかし、人一人育てられないような人が所詮大勢の部下を管理できるわけはない。部下後輩の指導育成を行ったことがない人が、突然大勢の部下を持たされたら必ず自分が苦労する。
だからOJTは教える側にとっても必要なのである。このような背景から今年はOJTが再びブームになるような気がする・・・。
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3月のお題「とりとめのない話」
東風吹かば思い起こせよ梅の花〜。
ようやく3月になり少し寒さもやわらいできた。
寒いのにもいい加減飽き飽きする頃、春が来る。
ほんに日本の四季はいいの〜。
しかし!春じゃというのに先日は最果ての地、網走に行ってきた。
北見で仕事があったついでに寄ってみたのじゃ。
若い頃よく見た健さんの「網走番外地シリーズ」、その網走刑務所で記念撮影してきた。(写真は掲示板で見てくだされ)
行ってみて驚いた。
なんとあの泣く子も黙る「網走刑務所」が街中にあるではないか。
えっー?雪深い山の中に屹然と聳え立っているのではないのか?
女子中学生が1人で高い塀の前をウォークマン聞きながら歩いている。
映画と違う〜。タクシーの運転手さんに聞くと、確かに昔は刑務所しかなかったのだが、いつの間にか周囲が開けてしまい今では街中になってしまったとのこと。興ざめ〜。
でも、このようにわしらの仕事は時々観光もさせていただける。
考えてみればありがたいことじゃ。
ただ地方を飛び回っていると、時々交通手段のトラブルに悩まされる。
特に台風シーズンや大雪の季節はヒヤヒヤさせられる。
台風シーズンは九州の出張はヤキモキさせられる。
大雪の季節は北海道の出張はドキドキさせられる。
新幹線も大雨や風や雪で大幅に遅れたり止まってしまうことがある。
ただ、わしは今の仕事を20年近くしておるが、飛行機が飛ばなくて帰れなくなったり、新幹線の中で夜を明かした、といったような経験は未だない。
同業者には結構経験しておる者もおるのに・・・。よほど悪運が強いのじゃろな。ただし、きわどい経験は何度もあるがの。
羽田から30分、青森空港の上空にさしかかったとき、突然横風が強くなり、そのまま風がやむまで上空で1時間も旋回していたことがある。
九州からの最終便、台風の影響で前の便は欠航になったが最終便は飛んでくれたこともあった。
大阪からの帰り、予約していた列車よりも40分早いのぞみにぎりぎり間に合った。あわてて予約の変更をし列車に飛び乗ったが、台風の影響で関が原あたりで止まってしまい、結局2時間遅れで東京に着いたこともあった。
そういえば昔、御殿場から山中湖行きの最終便のバスに乗った。
乗客はわしをいれて10人くらい。
停留所に着くたびに、一人降り、二人降り、最後はわし一人になってしまった。
正確にいうとバスの中はわしと運転手さんの二人だけ。
バスはどんどん山の中に入っていく。窓の外は暗黒の世界。
窓ガラスにはわしの顔だけが浮かぶ。もうずいぶん前から対向車も来ない。
ふと不安がよぎる。このバス本当に目的地に行ってくれるのだろうか?
最後の乗客が降りるときわしの方をチラと振り向き、哀れむような目をしたのは気のせいだろうか。暗黒の世界を一台のバスがヘッドライトだけを頼りにすすむ。
こんな光景は昔ゲゲゲの鬼太郎でよく見た気がする。
居眠りしていた乗客が目を覚ますとお客はだれもいない。運転手さんと自分だけしか乗っていない。その運転手さんが突然後ろを振り向く、ギョ!あるべき目鼻がない、なんてのをね〜。
こんな他愛もないことを考えていたらバスは赤信号で止まった。
なんでこんな山の中に信号があるんだ。もちろん人も車もいない。でも赤だから律儀に止まったのだろう。なぜか運転手さんは前も見ずにうつむいたまま。そしてゆっくりと後ろを振り返る。なぜか胸騒ぎ!わしの動悸は突然高まる。きっと血圧も上がっているだろう。うわ〜、やめてくれ〜。
後ろを振り向いた運転手とおぼしき人は言った・・・。
「お客さ〜ん、寒くないですかー?」
そしてその顔にはあるべき目鼻がちゃ〜んとありました。
おわり
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2月のお題「またまた顧客志向」
寒い日が続いておるの〜。
地球温暖化といってもまだまだ日本の冬も寒いよの〜。
皆様方も風邪をひかんように頑張ってくだされ〜。
先日鹿児島へ行ったら梅は咲き始めた。
春までもう一息じゃ。
ところであいもかわらず企業の不祥事。
中国製の冷凍食品に毒物が混入。
古紙再生といいながら古紙の含有率が少ないことが発覚。
居並ぶ大手の企業・団体のお偉方が頭を下げる。
いつもながらの見慣れた光景。
コンプライアンス・企業倫理・CS・顧客志向・お客様は神様等々。
言葉だけがむなしく響く。
企業内の研修でも「顧客満足」とか「おもてなしの心」などの教育がさかん。 でも正直言って本当にわかっているのか?とわしは言いたい〜。
実はわしも毎晩アルコール飲料をたしなむが、ひとつだけ絶対に口にしないない飲料メーカーがある。 昔はそのメーカーのものしか飲まなかった。
しかしある時を境に手にすることすらしなくなった。
それはそのメーカーの研修を受託したときのこと。
先方の担当者のあまりにも失礼な対応に唖然とした。
わしを下請け企業のように扱い、言い方もすべて命令口調、受付で5分くらいは平気で待たせ、すみませんの一言もない。
あんたを使ってやっているという態度がそこかしこに出てくる。
研修の途中、知らないおじさんが突然部屋に入ってきて黙って出て行く。
だれかと思いきや人事部長だという。
しかもその部長がきたときに態度の悪い受講者がいたことを、担当者はえらく気にしていた。それがわしのせいだと言う。
そりゃ〜、態度のよろしからぬものがいたのは事実。
「態度の悪いものがいてすみません」と担当者に謝られるのならともかく、 わしの教え方のせいにされてしまった。
もちろんわしだって態度の悪い者を放っておくつもりはない。
しかし、叱るにもタイミングがある。
部長様が来られたから叱ります、というもんでもないだろ。
この担当者は上にばかり気を遣い、わしらは虫けらのように扱う。
不快感は露骨に顔に出すのでわかりやすい人間なのだが、 周囲を嫌〜な気持ちにさせるのは事実。
今思えば研修の打ち合わせのときから不愉快な人だった。
自分の都合に合わせて土曜日の17時にどこどこに来いと指示するのだから。
あの時に断ればよかったのだが紹介者の顔もあるので行ってやったのだ。
これを読んでるおぬしこのような人をどう思う?
実在の人物じゃ。 しかもまだ30代のうら若き女性じゃぞ!
こんな人が一方でCSだとか顧客志向などの研修を企画しているのじゃ。
少なくともこのメーカーはわしという顧客を失ったのは事実。
少なくとも年間10ケースは売り上げを減らしたことになる。
営業マンがいくら頑張ってもこの担当者のおかげで売り上げを確実に減らした。
これを同業の講師仲間で話したら、
「そうそう、俺は○○のシュウマイは絶対食わない」
「私は○○の化粧品は絶対使わない」
「私は○○のパソコンは絶対使わない」
「俺は○○デパートでは絶対買い物しない」 など出てくる、出てくる。
みんな同じような経験をしているのだな。
企業は顧客とは誰なのかを今一度真剣に考えるべきではないのか?
店に来てくれる人だけが顧客なのか?
買ってくれる人だけが顧客なのか?
CSは全社的な取り組みという意味が本当にわかっているいる企業は少ない・・・。
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1月のお題「斬」
あけましておめでとうござる
本年もよろしくお願い申し上げ奉ります
早いもので本格的に研修講師業を始めて今年で20年。
まあどこの世界でも20年もやっていればベテランと呼ばれるようじゃな。
確かに20年も続けていればいろいろな経験を積む。
まあ、いろいろなことがあった。
涙の出るような受講者からの感想をいただいたこともあった。
受講者だけでなく研修担当者も感動させたようなこともあった。
もちろん、とても言葉には出せないような失敗もあった。
ベテランはいろいろな経験を積んでいるからこそ状況対応も的確にできる。
だからベテランは一目置かれるのだ。しかし、経験体験にとらわれすぎてしまうとそれが固定観念となり逆に足かせになってしまう。
先日、知り合いの若い女性からメールをもらった。そのメールには「この度、名字が変わりました」とあった。わしは「それはおめでとう。知らぬこととはいえお祝いもせずに失礼しました。一言、言ってくれればいいのに〜」と返事をした。すると2・3日してからその女性から返事がきた。「いえ、あまりおめでたくないのです」とメールには書かれていた。不審に思ったわしはさらに読み進むと「実は旧姓に戻っただけです(笑)」とあった。
う〜ん、そうか〜。「女性の名字が変わる=結婚」というのはわしの固定観念じゃった。確かに名字が変わる理由は、本人の離婚だけでなく、両親の離婚、養子になる等々いろいろあるわいな。いい年をして単純にお祝いなど述べる自分を強く恥じ入る次第である。
こんなことから今年のモットーは「斬」にすることにした。自分の中の固定観念をたたっ斬るのじゃ。ベテランなどと呼ばれて舞い上がることのないよう、己の固定観念にとらわれないようにしよう。変化の時代、大変革の時代は、過去の経験や体験にとらわれていたのでは取り残されてしまう。若者にしたり顔で「昔はこうだった」などと薀蓄を傾けるような自分をたたっ斬る。
快刀乱麻、一刀両断、たたっ斬る! わしよりも若いくせにしたり顔で昔話をするような輩もたたっ斬る!トップページに掲載されている写真は本物の日本刀を腰に差している(わしがどの人物かわかるかの?右端ではないぞ)。この写真は京都の嵐山の本覚寺で居合抜刀道の奉納演武を行ったときの写真じゃ。どうじゃ凛々しいじゃろ(でもないか・・・)。居合抜刀道の敵は他ならぬ自分自身なのじゃ。うぬぼれた自分を自分でたたっ斬るのじゃ。
「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」この格言を今年は今一度噛みしめよう。
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12月のお題「顧客満足」
先日、地方出張の際に高速バスに乗った。
普段ほとんどバスなど利用したことなぞないので、まず乗り場を探すのに一苦労。ようやく乗り場を見つけたが、すでに大勢の人が並んでいた。空港バスなどは乗る前に切符を買うことになっているので、切符売り場を探したがそれらしきものはない。
そうかこれは車中で買うのかと解釈し列の後ろに並ぶ。5分遅れでバスがやってきて車中の人となる。乗ること1時間半、久々に長時間のバス旅行であった。電車でも行けなくはないのだが、連絡が悪いためバスを薦められる。
ようやく目的地に着き料金を払うこととなる。料金は1120円。生憎細かいのがないので5千円札を用意し両替機に入れようとすると、
「お客さん、そこには入れないでください」
「えっ?だって両替しないと・・・」
「これは1000円専用の両替機です」
「あっ、そうなの。じゃあ、5千円札どうするの?」
「こまかいのお持ちじゃありませんか」
「ないんですけど・・・」
運転手ムッとして押し黙る。そこで私は
「じゃあ、私はどうすればいいの」
「他のお客さんに訊いてみましょう」
と面倒くさそうに言う。
「どのたか5千円札両替できる方いらっしゃいませんか」
とアナウンスする。幸い、1人の女性がくずしてくれることになり一件落着。
運転手だけでなく他の乗客からも白い眼で見られ、わしは肩身の狭い思いをした。バスに乗るのに小銭を用意するのは常識かもしれん。これは小銭を用意していなかったわしの不注意であろう。しかし、バスに乗り慣れていない者もおるのじゃ。まして、遠方までいく高速バスで料金も千円以上かかる目的地がたくさんあるのに、千円以外は両替しないと言う態度はわしには不親切に感じるの〜。
百歩譲って小銭を用意しないお客が悪いとしても、それならバス乗り場に千円以外は両替できない旨表示すべきじゃと思う。お客が日本の通貨を使おうとしているのに、それを拒否するするのはバス会社の一方的な都合じゃ。だったら大きなターミナル駅には1万円・5千円の両替機くらいは設置するのが親切と言うものじゃ。
最近、鉄道のサービスが目に見えてよくなってきているのに、バスはあまり変わっていないような気がするのはわしだけだろか。顧客満足度の向上運動はこんなところからやってもらいたいの〜。
もしあの時、5千円札を両替してくれる人がいなかったら、どうなったのであろうか?
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11月のお題「ストレス解消策」
今月は忙しくてなかなか更新できなくて済まんこってす。
年の瀬も近いというのにまだまだ暖かくて実感が湧かんの〜。先日は日光まで紅葉を見に行ってきたが、やはり例年より遅れているそうじゃ。
ところで何年か振りで健康診断を受けた。予想に反して?血圧以外は全て正常。コレステロールも糖尿もOK。ただ、体重が少々多い。もう5キロ減らしなさいということじゃった。5キロも減らせば血圧も下がるでしょうということじゃ。
そのためには食事に気をつけることと運動をしなさいと言われた。でもわしは運動は結構しているつもりなのじゃがな。わしの趣味は居合と抜刀道。週に2〜3回は稽古するようにしておる。実は50歳を過ぎてからはじめたのじゃが、これが思いのほかおもしろい。ゴルフのような小さなボールを血眼になって追いかけるのは、どうも性に合わない。
試合にも出場するがこれがまた緊張する。毎日大勢の前で図々しく話しているくせに、試合となるとやっぱり緊張する。試合場に立つと心臓はバクバク、頭の中は真っ白になってしまう。こんな緊張は学生時代以来久しく忘れておった。
もちろん日本刀を使う武道であるだけに、実際に斬りあうわけにはいかないが、審判の前で形を演じたり、巻き藁を斬って見せるのは極度の緊張状態に置かれる。この時ばかりは普段の仕事のことや家族のことなどもみ〜んなどこかへ行ってしまう。これがこれがいいのじゃ。
よく、スポーツでストレス解消というが、それは汗を流す爽快感によるものと思われがちだ。しかし、わしはそれ以上に効果があるのが、日常から自分を切り離すということだと思う。とにかく相手に勝つことだけを考え無心に競技に取り組む。そうすることにより日頃の嫌な上司やお客、うるさい家族、複雑な問題などからも一時的に離れることができる。
そうすることにより自分を客観視することもできるのである。ストレスの原因となるものをストレッサーというが、これにとらわれすぎてしまうと慢性ストレス状態になり、鬱を始めとする心の病が発症したりする。24時間ストレッサーにとらわれてしまうと心は悲鳴をあげ鬱を発症したりするのじゃ。
仏教の世界では「とらわれるな」ということを「無常」と説く。世の中に常ならぬものはないという教えだ。永遠に存在し続けるものなどないのに、あるがごとくそれにとらわれるところから苦が生まれるという。
なにか話がだんだん大きくなってしまったが、要はストレスフルな時代であるだけに、心の健康のためにも、日常を切り離す時間を持とうということじゃ。別にそれがスポーツでなければならないということではない。それに没頭していると時の経つのも忘れてしまうという趣味をもてばよいのじゃ。
でも趣味もあまり一生懸命になると、今度はそれにとらわれてしまい、仕事に手につかなくなるというようなバラドックスがおきるのじゃ・・・。
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10月のお題「プロのアマチュア化」
毎日、暑〜い!、暑〜い!と騒いでおったのに、気がつけば10月。
いつの間にやら衣替えの季節になってしまったの〜。
しばらくぶりでネクタイを締めてみるか〜。
さて、先月は相撲界の話題であったが、今月もまた相撲界の話題。
朝青龍がモンゴルに帰ってしまい、初場所も無事に終わり相撲界もようやく平静を取り戻してきたかと思いきや、今度は死に至るいじめの問題が浮上してきた。
兄弟子みんなで新弟子に暴行を加え、死に至らしめてしまったという疑惑が発覚した。
親方はこれを制止するどころか、親方自らビール瓶で殴ったという。
そのため4月に入門した前途ある弟子が6月には急死してしまったという事件である。
現在も調査中のため、真相はまだ解明されていないが、親方自らビール瓶で殴ったことは本人も認めている。また、兄弟子たちが野球のバットで殴ったことも事実のようだ。
相撲界の厳しさは昔から知られたことではあるが、ここまでに至ってしまってはさすがにこれは行き過ぎだ。稽古中に親方や兄弟子が竹刀で若手を打つシーンは、今までにもテレビなどに映されてきたが、バットで殴るとなるとまったく意味が違う。まして、なぜビール瓶で殴らなければならないのか?
一昔前には、大学の運動部で先輩のしごきによって後輩が亡くなるという事件が、時々発生していた。これももちろん許されざることではあるが、これらの事件とは本質的に異なる。大学の先輩といっても所詮素人、正しい指導法などというものをならったわけでもない。だからこそ彼らが暴走しないよう、コーチや監督が常に注意しなければならない。それだけに事件が発生すればコーチや監督の責任が当然問われる。
相撲部屋の親方といえば弟子を育てるのが仕事。人を育てるプロ中のプロである。彼ら自身もそれで生計を立てているのだから。しかも相撲界というのは10代の少年を親御さんから預かるわけだから、相撲の技術だけでなく人格形成にも責任を負わなければならない。
それを信じたればこそ、家に帰りたいという息子に「相撲界で我慢できればどんな世界でも生きていける」といって、父親は思いとどまらせたのである。それだけに慙愧の念に耐えられぬと父は言葉を詰まらせる。
最近は、アマチュアのプロ化ということが言われるが、見方をかえればプロがアマチュア化しているということかもしれない。時津風部屋といえば相撲界でも名門である。その部屋の親方にしては今回の対応はあまりにもお粗末。素人以下である。
なくなった弟子の遺体はそれこそ荷物のように家に送り届けられ、付き添う者は誰もいなかったという。親方を信じて息子を預けたのに、「はい、死んでしまいました」と一方的に送りつける。こんな扱いをされて怒らない親などいるだろうか。こんなことを平然とする親方の人間的な資質そのものが問われるべきではないだろうか。
確かに弟子そのものも昔に比べれば軟弱になっているのも事実である。でもなぜ軟弱になってしまったのか。豊かな時代に生まれ育ち、何不自由なく育った日本人にハングリー精神を期待してもそれは無理というものだ。「金は土俵に落ちている」などと言っても、土俵の外にもたくさん落ちている時代なのだ。
伝統としきたりを重視する相撲界だからといって、指導法も昔のままというわけにはいくまい。なんせ教える相手が変質してしまったのだ。だからこそそれに合った指導をしなければならないのだ。しかし、そのような指導方法を教わったことのない親方達は、どうしても自分が教わったように教えざるを得ない。それに素直に従って伸びるのは外国人だけというのでは、相撲界の将来はあまりにも暗い。
相撲界とはいえ親方は教えるプロなのだから、リーダーシップ論・動機づけ理論・OJT・コーチング・メンタルヘルスといったマネジメント理論についても知っておくべき時代だとわしは思うがの。
いっちょう、わしが行って教えてやるか!でも、こんな講師気に入らんといってビール瓶やバットで殴られるのも怖いしの〜。
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9月のお題「叱れない症候群」
管理・監督者研修で受講者に訊いてみる。
「正直言って、私は部下を叱るのが苦手だという人〜」
するとだいたい8〜9割くらいの人が手を挙げる。民間企業でも自治体の研修でも結果はほぼ同じ。今や日本の管理・監督者の多くが「叱れない症候群」を患っている。
しかもそれはビジネスの世界だけでなく、最近は日本の伝統文化にまで及んでいるようじゃ。
「横綱が出てきてくれない」
「横綱が会ってくれない」
「横綱が話してくれない」
頭を抱える親方の姿に、多くの日本人が呆れてしまった。
相撲界では親方の存在は絶対ではなかったのか!
朝青龍事件は我われに多くの示唆を与えてくれる。
勝負の世界では強くさえあれば何でも許されるのか。
昔の大横綱と言われる人は皆人格者でもあったはずだ。
少なくとも双葉山、栃錦、若ノ花、大鵬あたりまでは、多くの人の尊敬を集めていた。しかし、これは何も相撲界に限ったことではない。他のスポーツの世界でも一流選手には一流の人格が求められる。
それは一流の選手は子供の憧れであり、夢であり、目標であるからだ。
あんな人になりたいなと子供たちは目を輝かせて選手を見つめる。
それだけに一流のアスリートの影響力はとてつもなく大きい。
だからこそ、少なくとも公の場では人格者であることを演じ続けなければならないのだ。
朝青龍はそこのところが分かっていない。いや、指導者である親方が教えていなかったのではないか。とにかく朝青龍が勝ってくれるからいい。稼いでくれるからいい。とばかりに目じりを下げっぱなしにして、肝心のことを教えていなかったのではないか。だから今回の事件で一番男を下げたのは高砂親方本人であろう。内外から指導者としての資質が問われることとなってしまった。
ビジネスの世界でも「成果主義」が主流になるにつれ、「結果がすべて」というような風潮がある。今や結果の出せない人間は非常に肩身の狭い思いをする。しかし、結果さえ出せれば何をしてもいいということになると、職場で朝青龍を育てることになってしまう。
「まあ、あいつは問題も起こすけど結果を出すからまあいいか」
「叱って臍でも曲げられてもこまるから言うのやめておくか」
「あいつがいなくなると困るから叱るのはやめておくか」
「あいつは俺よりもできるから叱れない」
等々・・・。叱るべきときに叱らないと、部下から好かれるどころか舐められるだけだ。どうせ、あの上司は俺には何も言えないとばかりに勝手なことをするようになる。するとこれを見た他の部下たちは結果を出すためには何をしてもいいのだとばかりに、手段を選ばなくなる。そして叱れない上司はそれを見て見ぬ振りをする。その方が楽だからだ。
こんな状態がいつまでも持つわけがない。遅かれ早かれ問題の炎が燃え上がる。そのときに必ず上司の指導方法が問われるのだ。管理・監督者としての資質そのものが問われる。そして、管理・監督者には不向きという烙印まで押されることもある。
まあ、すべての部下に横綱ような人格が求められるわけではないが、少なくともやっていいことといけないことは明確に示し、それを破ったら厳しく叱ることは絶対に放棄してはいけない。それは管理・監督者としての役割を放棄することになるのだから。
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8月のお題「アウトソーシング」
なかなか梅雨があけないの〜、と思っていたらいつの間にか8月になってしまったわい。気がつけば学校は夏休み、どうりで子供が街中をうろうろしているはずじゃわい。いくつになってもこの時期になると子供がうらやましいの〜。まあ、これからの日本を背負ってたつ世代だけにこの時期はゆっくりしてもらうかの〜。涼しくなったらまた勉学に励んでもらおう。
ところで最近は組織における人材教育にも、アウトソーシングとやらが行われるようになってきてるようじゃの〜。地方自治体などでは職員の人材教育を外部の教育団体に丸ごと委託してしまうことが行われているようじゃ。外部の専門企業に委託することにより、教育部門のアタマ数を減らしコスト削減につなげることが狙いのようじゃ。実際にコスト削減につながったケースもあるようじゃ。
そのため地方の県などで導入するところが増えているようだ。でもの、このようなやり方は県によっても賛否両論じゃな。「コストを削減するために本県においても真剣に検討している」というところもあるし、「これからの地方自治の推進者たる県職員の育成を民間企業に丸投げするなどもってのほかだ」という意見もある。
確かに当面のコスト削減効果はあるかもしれんが、それにしては民間企業で自社の人材教育を外部に委託しているという話は聞いたことがない。自治体以上にコスト削減に血眼になっている民間企業においても、なぜか人材教育のアウトソーシングは行われていない。
そこで民間企業の教育担当者たちと話し合う機会があったので、「あなた方の会社では人材教育の外部委託は検討しないのですか」と聞いてみた。すると出席者の方々の回答は全員NO!であった。
「我が社を背負ってたつ有為の人材をなんで外部まかせにできますか」
「企業には企業の経営理念を実現する人材を育成していく使命があるのです」
「目先のコスト削減に目がくらんで将来に禍根を残すことはしたくない」
「企業は人なり。最大の財産たる人材の育成を人任せにはできませんよ」
「企業が本当に求める人材は、その企業が一番よく知っているのです。だからそのような人材を自分たちで育成していくのは当たり前じゃないですか。もちろん外部の専門機関の手助けは必要としますが、あくまでも教育の主導権は私どもで握っています」
というような意見が聞かれた。確かに地方自治体にもそれぞれの地域性や地域の事情というのがあるのだから、求められる職員像も違うのではないか。それを「予算はこれだけです。これで今年度の研修の企画をたて実施してください」と、外部の教育団体に委託してしまえば教育部門は気楽かもしれない。研修受講者の評判が悪ければ、それを企画した委託企業のせいにすればいいのだから。もちろんすべて外部委託してその責任を押し付けるわけではない。研修の企画に対してチェックもするし、受講者の反応にも神経質に対応するつもりだという。でもどこまで細かくチェックし対応できるのだろう。そもそもそのようは人を減らすために外部委託したのではなかったのか・・・。
また、このようアウトソーシングを受託する教育団体も手放しで喜んでいるようではないようだ。自治体から受託すれば確かにその県の職員研修はすべて受注できることになるが、あらかじめ定められた厳しい予算でやりくりしなければならない。ふんだんに予算が使えるなら思うような研修も実施できるが、限られた予算でいろいろな注文にも応えねばならないので大変なようだ。
しかも、人間一人をその職員研修所に常駐させなければならないので、このコストもばかにならないし、誰を常駐させるかという問題もある。でも自分のところで受託しないと他の教育団体にとられてしまうし、他にとられるくらいなら・・、というのが本音のようだ。ただし、全ての地方自治体がアウトソーシングするようなことにでもなれば、教育団体のほうが音を上げてしまうのではないだろうか。
民間企業でも行えない壮大な実験を地方自治体で行っている。その結果は数年後に明らかになるかもしれないし、ならないかもしれない・・・。
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7月のお題「暑いの嫌い」
今年は空梅雨じゃの〜。東京は雨らしい雨は降らず、いきなり夏になってしまったようじゃ。一年でわしの一番嫌いな季節になってしまった。もちろん夏休みは大好きじゃが、わし暑いの苦手なんじゃ。
とにかく暑いのには弱いのじゃ。寒いのはいくら寒くても平気。ジメジメした日本の夏はわしを苦しめる。あんまり暑いと、なにもやる気がなくなってしまう。熱帯夜のようなときは冷房をいれて扇風機をつけっぱなしにして寝ておる。
ところが先日の熱帯夜に突然寝室のエアコンが壊れてしまった。風は出ているのだがまったく冷えない。わしは汗びっしょりかいて目が覚めた。扇風機だけではとても凌げる状況ではない。窓を開けたり冷たい飲み物を飲んでも一向に涼しくならない。汗は滝のように噴き出る。もうとても寝ているどころの騒ぎではない。
ところがわしの妻はこのような状況の中でも涼しい顔で寝ている。わしがバタバタ騒いでいると「どうしたの?眠れないの?」と寝ぼけまなこで言う。わしは「お前、暑くないのか!」と聞くと「暑いわよ」と言ってまた寝てしまった。
本人は「暑い」と言いながらも、汗をかいている様子もない。わしは相変わらず滝のような汗。同じ人間でありながらこんなにも違うものなのか。わしはついに我慢の限界を超えてしまった。とてもこのような部屋で寝ることなどできない。
そこでわし一人エアコンのきく部屋に引っ越した。エアコンを強にする。「う〜ん、涼しい!極楽、極楽」やっと人心地がついた。さて寝るとするか。ところがなぜか目が冴えてしまった。せっかく寝る環境が整ったのに眠気がどこかにいってしまった。寝ようとすればするほど眠れなくなってしまう。
ようやくウトウトと眠りにつこうとするころには起きる時間になってしまった。すっきりしないまま、起きなくてはと思いつつも布団の上でグダグダしていると、突然なにかが飛び込んできてわしの顔の上を飛び跳ねる。
なっ!なんなんだ!犯人は小太郎であった。我が家の愛犬コタローである。その後すかさず妻が「あら〜、こんなところにいたの?」と素っ頓狂な声を出す。「もう出かけたのかと思った」だと。どこまでノー天気なのだ。
「あんな暑い部屋では寝ることなどできないのでここで寝てたんだ」とわしがいうと、「そうだったの〜、でもこんな寒い部屋ではわたしは寝れないわ」とのたまう。「いいから電器屋に電話してエアコンを大至急直してもらってくれ。直るまでは家庭内別居だからな」とわしが言うと、「あらそれもいいかもね〜」だと。
しかし、妻は電話するのを忘れて翌日も家庭内別居がつづくのであった。お粗末。
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6月のお題「絶妙な『断り方』の技術
お客様からの無理難題を断れない人は、普段から断ることそのものが苦手な人が多い。人からなにか頼まれると、頼んだ人以上に悩んでしまう。「困った、困った!なんと言って断ればいいんだろう」考えだすと夜も眠れなくなってしまう。
断ればあの人の悲しそうな顔が目に浮かぶ。二人の間に亀裂が走る最悪の事態が想像される。極悪人のように謗られている自分が浮かぶ。そうこう考えているうちに不本意ながらも相手の頼みを聞いてしまう。頼みを聞き届けられた相手は、満面の笑みを浮かべあなたに最大級の賛辞を贈る。あなたはほっとすると同時にそこからあなたの落胆が始まる。
「あ〜、また嫌って言えなかった。どうしていつもこうなんだろう」あなたは自己嫌悪の深い谷間に落ちていく。なかにはあなたが断れないのをいいことに、わざと無理難題を頼み込む人もいる。ひょっとしたら陰でほくそえんでいる人だっているかもしれない。あなたの人によさにつけ込もうと虎視眈々と狙っている人がいるかもしれないのだ。
今まで犠牲者であったそんなあなた。これからも犠牲者であり続けますか。いつまでも悲劇のヒロインを演じ続けますか。もちろん嫌だ!こんな犠牲者であり続けることなどもうまっぴらだ!というなら、ではどうしますか?はっきりと嫌だと言いますか?
それができないのなら、犠牲者になりたくなければ人と関わることを極力避けるしかない。仙人のような生活を送るしかない。もちろんそんなこともできるはずはない・・・。
だったら断るしかないではないか。勇気を奮い起こして断るしかない。我々人間には断る権利がある。なにもあなただけが犠牲になることはない。はっきりNO!と断ることはあなたの権利を守ることになるのだ。そしてそれが誠実に相手に対することにもなるのである。相手だけでなく自分までもだましてはいけない。
・・・・。それでも人のいいあなたはやっぱり断れない。わかっちゃいるけど断れない。そんなあなたに朗報だ!つい最近「絶妙な『断り方』の技術」をいう本が明日香出版社から出た。断れずに日々悶々としている人々を救うべく、なんと老師自らが筆をとったのじゃ。
お客様からの無理難題に振り回され、へとへとに疲れきってしまう営業マンや販売員。そんな彼らをも救おうと、老師が自分の時間を削ってまで筆をとったのじゃ。忙しい人にも読めるようとにかく読み易くを心がけて書かれている。
わずか1365円の投資であなたの人生が変わる。さあ、皆々様読んでみてくだされ〜。(今月は思いっきし宣伝になってしもうた〜。済まんこってす)
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5月のお題「鬼平犯科帳」
波正太郎原作の人気時代小説「鬼平犯科帳」。
なにを隠そう、わしは鬼平の大ファンなのじゃ。
しかも小説より中村吉右衛門が演じるテレビドラマが大好きなのじゃ。
意外と知られていないが、テレビでは吉右衛門以外にも萬屋錦之助や丹波哲郎も、演じたことがある。でもわしはやっぱり吉右衛門でなければダメ。
なんといっても吉右衛門の鬼平がサイコー。
そしてついに好きが高じてこのたびDVD第1シリーズ全26話を購入してしまった。ふっ、ふっ、ふっ、これでゴールデンウィークは鬼平三昧じゃ。さらに、さらにじゃ、ゴールデンウィークには歌舞伎版「鬼平犯科帳」を見に行くのじゃ。
もちろん主役は中村吉右衛門。生の吉右衛門に会えるなんて感激〜。
実はわし以外にも鬼平ファンは多い。
以前、鬼平は理想の上司に選ばれたこともある。
かくも長きに渡り、鬼平のなにが人を魅了するのか?
鬼平は悪に対してはもちろん火付盗賊改方長官として鬼のように厳しい。
しかし、人間を見る目はどこまでもやさしい。
「善と悪とは紙一重で、善人であっても悪を働くことがあるし、悪人でも善行を施すことがある」と何度も鬼平こと長谷川平蔵は言う。
若いころは継母とうまくいかず旗本の実家を飛び出し放蕩三昧をしたこともある平蔵。その当時いろいろな階層の人間と付き合い、人間の弱さも肌で知っている。だから盗人であっても、心から改心している者、後悔している者に対しては慈悲をもって接することができる。それは平蔵が相手に共感できるからだ。
研修の中でも「傾聴するためには相手に共感できなければだめ」とは言うのだけれども、この共感を説明するのが意外と難しい。「共感とは相手の立場に立って相手の目を通して相手の見ている世界を見ることができる能力」なんて言っても、なんのこっちゃでおわってしまう。
平蔵は好きな酒を相手にすすめながら「おめーさんも苦労しなすったんだね〜」としみじみ言う。この一言に隠し事をしていた相手もグラリときてしまう。こんな自分のような者でも人間として扱ってくれるとは。感極まった相手が「実は・・」と言おうとすると、「え〜い、もうそれ以上言うな。わかっておる」とさえぎり、「まあ、もう一杯やれ」と徳利を片手にニヤリと笑う。
鬼平のドラマによく出てくるパターンである。これがまさに共感ではないだろうか。自分のことを自分のことのように理解してくれた。このように感じたとき初めてラポールが築けるのであろう。
ただ、これはテクニックとして行えるものではない。人間に対する深い洞察と包容力がなければならない。これを身につけるのがなんといっても難しい。偉そうに言っておるわしだってなかなかできることではない。
だからこそ、わしは鬼平のDVDを見て勉強しなければならぬのじゃ。そう、わしは道楽で見ているのではないぞ。これも仕事なのじゃ。でも・・・。
鬼平のDVDって第9シリーズまであって全部揃えると30万円くらいかかってしまうのじゃ〜!。
ひぇ〜っ、ひぇ〜っ、ひぇ〜っ。
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4月のお題「母が逝く」
先月、母が逝く。享年79歳。
わしにももちろん母はおった。
今年になって体調がおもわしくなく、ついに3月20日周囲の介護もむなしく逝った。その間のわしの妻や母の姉・妹の献身的な介護を見ているとつくづくと頭が下がった。たかが3ヶ月くらいの介護であったが、これが何年も続いている人の苦労を思うといかにそれが大変なことであるか思い知らされる。
超高齢化社会が到来しこれからは誰もがこのような体験をすることだろう。しかも一人息子と一人娘が結婚したときにゃ、二人きりでこれを4回体験することになる。ほんとに大変なことだ。
これからは身内の者に手厚く介護され、大勢の家族に看取られて逝く。これが人生にとって最高の贅沢になるかもしれん。配偶者に先立たれ、子供もいなかったら、たった一人で逝かなければならないのだから。
母の病室を見舞ったとき、その部屋は重度の患者さんが多く、ほとんどが寝たきりの人、意識はあるが反応のない人、認知症気味の人などがいた。このような光景を見ていると、ただ長生きすることになんの意味があるのだろうか、とつくづく考えさせられてしまう。
こんなことを考えていると、昔読んだビクトール・フランクルの本を思い出す。自らのアウシュビッツの地獄のような体験をつづった「夜と霧」は全世界に衝撃を与えた。実存主義心理学者として極限状態の中からも、冷静かつ客観的にそこから意味を見出す。
フランクルは「それでも人生にイエスと言う」と著書の中で語っている。「私は人生になにを期待できるか」と考えるのではなく、「人生は私になにを期待しているか」と問わなければいけない。曰く「私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです」
この世に生を受けるということは、どのように生きるか、その生き様が問われていると言う。だからどんな時も決して絶望してはいけないとフランクルは言う。強制収容所の中でも「一つの未来を、彼自身の未来を信ずることのできなかった人間は収容所で滅亡していった。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった。」
わしの母も最期の最後まで前向きに生きることを考えていた。決して自分の人生を諦めることなく退院したら何をしよう、元気になったら何をしようと、周りの人にどのように恩返しをしようと、ずーっと考えていた。どんなに辛くても「死にたい」などと弱音は決してはかなかった。
もちろん元気な友人たちに比べて「なんで私だけこんなになってしまったんだろう」と愚痴を言うときもあった。そのような時も「な〜に、寝たきりの人にくらべれば動けるだけ幸せだよ」と励まし、寝たきりになっても「自分で食事できるだけ幸せだよ」と励まし、一人で食事ができなくなっても「まだ、意識があるだけましだよ」と励ます。このような励ましに対して母はいつも「そうだね、そうだね」と明るく答えてくれた。
最後までひたむきに一生懸命生きようとする姿勢。わしはそこから多くのことを学ばさせられた。母は生前わしに口やかましいことは何も言わなかった。実際、母に叱られたという記憶はわしの人生にはない。
しかし、その生き様はわしに言葉では語りつくせない多大なことを教えてくれた。わしの母は一生懸命生きることによって人生の問いに自ら答えようとした。答えをみつけた母はこの世での仕事をやり終え、静かに自らの人生に幕を閉じた、のだと思う・・・。 合掌
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3月のお題「つれづれなるままに」
今月はたいしたネタもないのでつれづれなるままに書いてみよう〜。
先日、散髪のために理容院へ行った。その時わしを刈ってくれた若い理髪師はファッショナブルに腰にたくさんのはさみをぶら下げていた。
そこでわしは訊いてみた。「やはりプロが使うはさみは結構するんだろね。1万円くらいするの?」すると、「とんでもない、4〜5万円しますよ」ということだった。ふだんチョキチョキとわしらの頭を刈ってくれておるあのはさみが4〜5万円するという。
う〜ん、さすがプロじゃ。なんとかとはさみは使いようというけど、プロはそれなりのものを使っているのじゃ。理容師は理容学校を卒業するとき、ローンで1セット50万円くらいのものを買うそうじゃ。
一流の人となるともっと高額のはさみを使い、腰に車一台分くらいぶらさげていますよ。ということじゃった。お客様に最高の満足をしてもらうためには、プロは我々の知らないところでこだわっているのじゃな。わしらも見習いたいものじゃ。
〜 〜 閑話休題 〜 〜
先日、愛車を運転していて信号で止まったとき、ふと気がつくと前のトラックのナンバーが7777じゃた。ほお〜、縁起のいいナンバーじゃな。きっと運転手も自慢したいじゃろなと思って、隣に寄せて顔を見てみようと思ったが残念ながら見れなかった。そしてそのトラックは次の信号でなにごともなかったように右折して行ってしまった。
わしはそのまま直進し次の信号で止まった。何気なく前の乗用車のナンバーを見ると、なんと!またまた7777じゃった。こんどは乗用車なので先ほどのトラックとは明らかに違う。
でもこんなことってあるのじゃろか。ほんの数分の間に7777などというめずらしいナンバーの車に2度出会うなんて・・・。これは何を意味するのじゃろ。
う〜ん、不思議なこともあるものじゃ。偶然といえばもちろん偶然なのじゃが、でもね〜。
そこでわしは考えた、これは何を意味するのか。わしはいったい何をしたらよいのじゃろ。
パチスロでもやってみようかの。それともナンバーズを買えということなのか。それとも・・・。きっと何かの予兆ではないかとわしは密かに確信しておる。
でも、いったいなにをしたらよいのか。誰か教えてくだされ〜。
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2月のお題「ご用心・ご用心」
早いものでもう2月。今年は暖冬ということで雪も少ないようじゃの〜。皆々様どのようにお過ごしじゃ? わしは先月からいきなり出張に追われて大変じゃった。東北に行った足で九州に行き、帰りに名古屋に寄ったりと文字通り東奔西走じゃった。まあ、3・4月は比較的暇なのでその分も働いておったのじゃ。3月はゆっくりさせてもらうぞい。
わしも地方に行った際には時々お土産を買うのじゃが、これはこれで当たり外れがあっておもしろい。昔から「名物に美味いものなし」と言われるが、確かにそうかもしれんと思うこともある。空港で高いお金を出して買ったのに、家族からは酷評されるともう二度と買うもんかと固く決意する。
以前「むつごろう」の佃煮を買って帰ったが、気味悪がって誰も食べようとしなかった。お土産に5千円/2パックのさくらんぼを買ったこともあるが、東京じゃぜったいに買わんぞよ〜。旅先だとつい買ってしまうものじゃ。また旅先で食べておいしかったから、お土産に買って食べてみたらおいしくないというのも結構あった。やはりあれば旅先だから旨いのかもしれんの〜
また旅の楽しみには駅弁がある。最近はかなり贅沢な食材を使った懐石弁当などというものも売られている。ただわしは弁当はあまり好きではない。冷たいご飯はきらいなのじゃ。ただ山形の帰りに米沢で買う「米沢牛すきやき弁当」は別じゃ。この弁当は少々お高いのじゃが、ひもを引くと弁当がかなり熱くなるようになっておる。しかも温泉卵がついておって、これを牛肉の上にかけてよく混ぜて食べるとシアワセ〜って感じ。
ところがこの間、いつものように温泉卵を牛肉の上にかけた時、電車が大きく揺れて卵は牛肉の上を滑降してそのままボトリと床に落ちてしまった。ヒェ〜、わしの頭は大パニック。どうしてくれるんじゃ!電車の中の密かな楽しみを奪いおって!!!怒髪天を衝く!!! 覆水盆に帰らず、落ちた卵は弁当に戻らず・・・。わしは泣く泣く卵に別れを告げた。
卵のないすき焼き弁当なんて・・・。醤油のない寿司、天つゆのない天麩羅、、生姜のないとんこつラーメン、ソースのないお好み焼き、大根おろしのない秋刀魚の塩焼きじゃ〜〜〜。
皆皆様、電車の中で卵をかけるときはくれぐれもご用心、ご用心!!
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1月のお題「今年のモットー」
新年、あけましておめでとうございまする。
またひとつ年をとってしまったの〜。
わしの今年のモットーは「ゆとり仕事」じゃ。
ゆとり教育の弊害も昨今は言われておるが、それでも今年は「ゆとり仕事」にチャレンジしてみようと思う。わしは今まで忙しいのは結構なことじゃと、年間200日以上研修や講演を行ってきたが、でもいつのまにかどこかに何かを忘れてきたような気がする。身を擦り減らして仕事をするばかりでよいのかとも思う。
昨年はいろいろな事件があった。子が親を殺したり、親が子を殺したり、生徒が自殺した事実を隠蔽したり、飲酒運転で幼児を殺したり、役人が裏金工作したり・・・。なにか世の中が「美しい日本」からドンドン逆行しているような気がする。
日本人がいつの頃からか「人に迷惑かけなければ何をしてもいい〜」とうそぶくようになってしまったからじゃとわしは思う。「迷惑かけなければ何をしてもいい」という発想は、そのうち「迷惑かけてもバレなければいい」というようになり、さらにそれは「バレたらとぼけりゃいい」、そして「それでもだめなら開き直りゃあいい」とエスカレートしていく。
人に迷惑さえかけなけりゃいいんだとばかりに、ヤンキーな親は自分の子を虐待し、ガキは勝手に学校を休み、ネーちゃんは平然と電車の中でお化粧し、アニキは合コンしまくり、オヤジは援助交際し、オフクロは昼間から酒飲んでパチンコ狂い、等々。
ほんにこれでよいのかの〜。
「恥じらい」を忘れてしまった日本人。心ある日本人は憂えている。だから昨年「国家の品格」のような本がベストセラーになったのじゃろ。はたまた、武士道精神が見直され、「武士の一分」が大ヒットしたりする。
確かにたった一度しかない人生、楽しく生きたいものじゃが、だからといって快楽を追い求めるだけの人生で本当にいいのじゃろか。わしは「美しく生きる」ことも大事なのではないかと最近は思うようになった。昔の武士は己の名誉のためには死をも厭わなかった。日本人のDNAの中にあるこのような潔さもぜひ復活させたいものじゃ。
そう、だから今年のわしのモットーは「ゆとり仕事」をして自分を見失うことなく、「清く、正しく、美しく」生きることなのじゃ。
んっ?どこかで聞いたようなモットーになってしまった〜。
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12月のお題「はやいもので〜」
この時期になると「はやいもので今年も・・・」というフレイズを、毎年使っているような気がする。でもやっぱり今年も気がつけば師走。暑いの寒いのとバタバタ走り回っているうちに、一年が過ぎてゆく。そして確実にまたひとつ歳をとる・・・。
この一年もいろいろな人にお会いした。そして、いろいろなことを教えていただいた。ありがたいことじゃ。先日も大学関係者と話をしておったら、これからの少子化の時代は、大学も待ちの姿勢ではいられないそうじゃ。学生を勧誘するため、北から南まで全国の高等学校で説明会を行っているという。
でも、わしは言った。「えっ、おたくのような私学の一流校でもそこまでやる必要あるんですか?」すると、「とんでもありません。最近は東京大学さんだってやっているんですよ!」そうだったのか〜、東大よお前もか!
時代は変わったものじゃ。東京大学に来てくださいと学生集めをする時代になったのか。トップからしてこれでは、伝統や実績の少ない学校ではそれこそ死活問題じゃな。少ない学生を奪う合う時代だけに、大学にも競争原理が持ち込まれつつある。今までは教授には毎年同じ額の研究費が割り当てられていたが、最近では研究の成果に応じて割り当てるように変わってきているという。こんなことは民間企業では当たり前のことじゃが、その当たり前のことが「成果主義」に関する書物を書いている教授のいる大学でさえ、やっと始まってきたということじゃ。
しかし、意外と当の教員クラスにはあまり危機感がないという。この学校がダメなら他にいけばいいとお気楽に考えている先生が多いという。しかもこの世界では同業相憐れむという慣習があるようじゃ。痴漢行為をして大学院を首になった教授がいつの間にか、他の大学院で教鞭をとっていたことが、また痴漢行為をして発覚したこともあった。
大学の数そのものが減ってしまえば、もうこのような助け合い運動もだんだんできなくなるじゃろう。大学教授もこれからが本番ぞ!いまや安泰な職業なぞないのじゃ。
でも、わしなら東大の学校説明会では、「わかりました。絶対行きますから入れてください!」と言うわな〜。来てほしいなら喜んで行ってやるぜい。
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11月のお題「日本一の受講者」
早いもので気がつけば11月。今年も残すところあと二ヶ月・・・。
な〜んて、毎年書いているような気がするの〜。
でも、なにか最近は徒に年を重ねているような気がする。年をとると一年が早くなるというがそうかもしれない。光陰矢のごとしじゃ。
しかし、感傷にばかり浸っているわけにはいかない。わしらの仕事は日々リニューアルしていかないと、あっという間に時流に取り残されてしまう。昨年と同じテーマの研修でも、環境の変化に合わせて、進め方なども常に見直していくことが求められる。なかなか楽などさせてもらえない仕事なのじゃ〜。
ある企業で研修を行った。受講者のノリも大変よく、研修はかなり盛り上がった。受講者の満足度も高く、研修の目的は十分達成できた。研修担当者もいたく満足していた。階層別研修だったので、当然翌年も研修を行うはずだ。しかし、リピートはこなかった。なぜ?なぜ?その理由を聞くと、「講師は毎年変えたい」というのが担当者の意向だという。せっかく好評な研修だったのに、また新しい講師に依頼するというのはリスクは高まると思うのだが、それがその担当者のやりかただという。
まあ、いろいろな講師を見てみたいという担当者の気持ちもわからんでもないが、誰のための研修なのかの〜。
昔、日本一の受講者という人がいた。日本一研修を受けたという意味じゃ。その方は何十年と研修担当の職にあり、数多くの研修に立会い、私ほど多くの研修を見てきた人はいないと自負していた。
その人が、定年退職を向かえ今度は自らが研修講師として独立するという。長年のキャリアを生かそうというのじゃろ。そこで公開セミナーを開催するというので、わしにもお誘いがあった。わしとしてもどのようなセミナーを行うのか、興味があったので参加してみた。日本一研修を見てきた人のセミナーとはどのようなものか・・・。
本人は自信満々。多くの研修を見てきたという実績がそうさせるのであろう。表情もにこやかにとても楽しそうに講義を始める。でも〜、受講者としては楽しくないのである。出だしから、自分でつくった語呂合わせの標語のようなものを述べて、一人悦にいっていたが本人だけが楽しんでいた。
まあ、それはそれでいいのじゃが、ただそれでプロとしてお金をもらうのは、少々厳しいのではなかろうか。おそらく研修講師を見る目は相当肥えていると思うが、いざ自分でやるとなるとまったく別問題ということなのじゃろな。
プロは「つかみ」を常に意識していなければならぬ。決して一人芝居をしてはならぬものなのじゃ。そのためには軽口をたたいているようでも、常に受講者の反応を意識し、臨機応変に話の進め方も変えていかねばならぬのじゃ。ほんに気苦労の多い、疲れる仕事なのじゃ。
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10月のお題「美しい日本」
日本の総理大臣が新しくなった。初の戦後生まれの総理大臣。昭和29年午年生まれの52歳。若いの〜。やるもんじゃの〜。実は何を隠そうわしもおなじ年なのじゃよ。フッフッフッ。老師というと年寄りを想像していたかもしれんが、まだまだ若いのじゃ。ただし、わしは早生まれなので総理より学年は一年上じゃがの。
他にも今年52歳になる人には、アメリカのライス国務長官、カルロスゴーン、松任谷由美、元巨人の中畑清、石田純一などがおるそうじゃ。なかなかユニークな人が多いの〜。
さて、安倍総理にはぜひ「美しい日本」を創ってもらいたいものじゃ。世界から尊敬されるような国づくり。日本の美徳をぜひ世界に広しめてもらいたいものじゃ。
先日ある冊子に、日本には「お茶が入りました」という美しい表現があると書いてあった。「お茶を入れました」では、私があなたのためにしてやったという恩着せがましさがある。それをさも自然にお茶が入ったように「お茶が入りました」と日本人は昔から表現するという。確かに言われてみればそうじゃな。
我々は小さいときから慣れている表現だから、なんら違和感を感じないが、もちろん自然にお茶が入るわけはない。でもこの表現には極力自分を表に出さないような配慮がある。相手の方に負担を与えないための奥ゆかしさがある。
日本人は自己主張が下手と言われるが、なんでもかんでも「俺が・俺が・俺が」と主張することがよいことなのだろうか。いや、奥ゆかしさは国際社会では通用しない、という意見もあるが本当だろうか。
敗戦の焼け野原の中から日本はたった60年で今日の繁栄を築き上げた。世界を相手にビジネスを展開しGNPを世界第2位にまで押し上げた。アメリカ人のように自己主張がうまくなくても、ビジネスを成功させることはできた。
相手を思いやる気持ちのなかから、お互いに成長するような仕組みを、日本がリーダーシップをとって新たなスタンダードにできれば、こんな素晴らしいことはないと思うがいかがじゃろか。
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9月のお題「固定観念を捨てよ」
「戦う動物園」(小菅正夫・岩野俊郎著 中公新書)という本を読んだ。旭山動物園と到津の森公園の物語である。特に旭山動物園についてはご存知の方も多いじゃろ。一時は来園者が減り、旭川市議会では「旭山動物園に出す金はドブに捨てると同じ」とまで言われ、園長は悔し涙にくれた。
もちろん動物園であるだけにパンダやコアラのような人気動物を展示できればよいのだが、とてもとてもそのような予算はない。まして、上野動物園以上の人気を博すことなどできるわけなどはない・・・。
と普通の人は考える。いや、ほとんどの人はそのように考えるじゃろ。しかし、それが固定観念なのじゃ。ダメだ、ムリだ、出来っこない。という固定観念を旭山動物園の職員は知恵を絞ることによって打破していった。予算が少ないからできないではなく、少ない予算でどうしたらできるか考えたのじゃ。できない理由をいくら考えてもできるようになどはならんからの〜。
そこでとても珍しい動物を導入できなくても、動物の見せ方を変えたらどうかと考えた。これが当たった。水中の白熊を大きな水槽で見せたり、水中トンネルの中から泳いでいるペンギンを下から見せたり、檻のトンネルから豹やライオンも下から見せたりした。その結果、一昨年のゴールデンウィークは上野動物園よりも来園者が多くなり、世間を驚かせた。
経験者・ベテランほど新しいことをやろうとすると、ついできない理由ばかり考える。でもできない理由を100、200、300と考えたところで、絶対にできるようになどならん。もし「できっこない!」と言いたくなったら、それは自分の固定観念であることに気づき、「どうしたらできるか、どうしたらできるか、どうしたらできるか」と、とことん考えよう。
横浜市は税収に頼るだけでなく、市の施設を民間の広告に利用させ年間1億円稼ぎ出す。非営利団体という固定観念にとらわれず、収益事業で1億円稼ぎ出す。でもそれを視察に来た他の自治体の職員は、「これは横浜のような大きな市だからできることでうちでは無理」というそうだ。
北海道の旧ニセコ町では徹底した情報開示を行った。それを聞いた他の自治体がやはり全国から視察に来る。そして言うそうだ。「これはニセコのような小さな町だからできた」と。
そりゃ〜、できない理由ばかりあげて何もしないでいるほうが楽じゃわい。しかし本人は楽をしているつもりでも、あっという間に時代から取り残されてしまうのじゃ。おぬしは大丈夫かいの〜?
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8月のお題「勉強しかできない人」
最近いろいろな企業や団体の方と話をしていると、一流大学を優秀な成績で卒業し、鳴り物入りで入社してきたのに、なぜか周囲になじめない人たちがいるという。
本人も自分を一流と自認し、そのためプライドも大変高い。それはそれで結構なことだが、失敗しても決して自分の非を認めず謝ることをしない。失敗の原因をすべて他のせいにしてしまい、優秀な自分がそのような間違いをするはずがないと主張する。これは見方をかえれば自分が傷つくことを極度に恐れていることでもある。
ある企業では上司がその部下を叱ったら、次の日から口をきかなくなったという。仕事上どうしても必要になるときは、メールでコミュニケーションをとるそうだ。そして陰ではあんな無能な上司の言うことを聞く気にはなれないと言っているという。
「他人を見下す若者たち」(速水敏彦講談 社現代新書)という本では、これを仮想的有能感と名づけている。仮想的有能感とは、「過去の実績や経験に基づくことなく、他社の能力を低く見積もることに伴って生じる本物でない有能感」「自分が負け組であることを意識しないように、先手をうって他者を見下げることで生じる有能感やプライド」ということだそうだ。そしてこのような人たちに共通するのは他者との親密な人間関係が形成されていないことだという。
小さいときから勉強ができるとことばかりほめられてきた秀才たちは、一生懸命勉強するあまり、周囲との人間関係の築き方を学ぶ機会を逸してしまったのかもしれん。流行の言葉でいえばコンピテンシーの育成が欠けているのじゃろな。そして勉強はできても本当は自分に自信がないのじゃ。
だからいざ社会に巣立ったとき、勉強はできるけど周囲とうまくやっていけない変わり者。つまり勉強しかできない人になってしまったのじゃろ。どうじゃ、おぬしの周りにも最近こんな人増えておらんか?
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7月のお題「バルトの楽園」
久しぶりに感動する映画を見た。「バルトの楽園」じゃ。
第一次世界大戦で日本は同盟国イギリスの要請で中国の青島で独逸(ドイツ)と戦った。敗れたドイツ兵約4千6百名が俘虜として日本に送られた。そのうちの千名が徳島県鳴門市の坂東俘虜収容所に入ることとなった。所長の松江豊寿陸軍中佐は「彼らも祖国のために戦った勇士である。」という信念から、彼らを信頼し、その痛みを思いやり、名誉を傷つけてはならないということ重んじた。そのためドイツ人からは「模範収容所(ムスターラーゲ)」と絶賛され、映画のクライマックスでは俘虜たちが地元の人たちへ感謝の気持ちを込めて、日本で初めてベートーベンの第9を演奏する。
この主人公松江豊寿は実は明治維新で朝敵とされた会津の出身なのじゃ。会津藩は最後の最後まで徳川幕府に忠節を尽くし、徹底して官軍に抵抗した。その為、官軍からは目の敵にされ、戊辰戦争に敗れた会津藩は青森の下北半島の斗南に移封された。それは極寒の地であり、土地はやせ細り、石高はわずかに3万。これまでの会津28万石からすれば、あまりに少ない。しかも実収は7千石にも満たないといわれた。飢えに苦しみ、野草や馬の飼料にする豆まで食べる会津人を、地元住民は「会津のゲダカ(方言で毛虫)侍」「会津のハド(鳩)侍」と揶揄した。
この会津藩の幼年教育に「什の掟」というものがある。子供の躾の基本七か条なのだが、その結句は、「ならぬことはならぬものです」であり、理屈ではなく「駄目なものは駄目」という意味である。
100万部売れたいう「国家の品格」の著者藤原正彦氏は言う。論理ではすべてを説明できないと。なぜ人を殺してはいけないのか?死刑がある現実、戦争で敵をたくさん殺せば勲章がもらえる現実のもとでは、論理的に説明できないという。 しかし、だからといって人間を殺していいわけはない。そこで「ならぬことはならぬものです」という教育が必要だという。
「本当に重要なことは、親や先生が幼いうちから押しつけないといけません。たいていの場合、説明など不要です。頭ごなしに押しつけてよい。もちろん子供は、反発したり、後になって別の新しい価値観を見出すかもしれません。それはそれでよい。初めに何かの基準を与えないと、子供としては動きがとれないのです」
藤原正彦氏は数学者であり、論理の世界の人でありながら上記のように言われることは注目に値する。
わが国の戦後教育は戦前の修身教育の反動からこのような教育がまったく抜け落ちてしまった。だからホリエモンやムラカミ氏のような人物が現れるのじゃ。「法律に触れなければ何をしてもいい」「悪いことをしてもばれなきゃいい」「隙あらば人を欺いてもうまい汁を吸おう」というようなことがまかり通る社会が、住みよい社会であるはずがない。
今一度、武士道精神が見直される時代かもしれん・・・。サムライジャパン!
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6月のお題「匠の技」
今月も更新が遅くなってしまったわい。どうも最近はいかんの〜。もっと真面目にやらねば誰も読んでくれなくなってしまうわな〜。どんなときでも真剣にやるのがプロというものじゃ。
最近はプロ人材とかプロ社員ということが、盛んに言われるようになってきた。働く人、一人ひとりがプロになれということなんじゃろな〜。最も芸能界なぞは、プロと素人の差が最近はあまり感じられんの〜。むしろ素人くさい芸が受けたりするご時勢じゃ。
スポーツの世界でもそれほど差がない種目も多くなってきた。政治家や経営者でも素人くさいのが大勢おるの〜。まあ、今でもプロとアマの差が歴然としているのは、将棋や囲碁の世界ぐらいじゃなかろうかな。
しかし、どんな世界でも真剣に何年も仕事をしていれば、プロと呼ばれるような仕事ができると思うのだがの〜。たとえば販売の世界には販売のプロと呼ばれる人たちがいる。辛酸をなめながら血のにじむような苦労をしながら独特のノウハウを会得し、プロというよりも匠と呼ぶのがふさわしい、販売員もいる。
たとえばデパートの紳士服売り場にも販売の匠がいる。彼女らは瞬時にして顧客の服装から、その人の生活レベルを推察しその人にあった服を推奨する。お金持ちに安物を奨めれば、機嫌を損ねられてしまうし、貧乏人に高いものを奨めれば逃げ出してしまう。
決して顧客の感情を害することのないよう細心の注意をもって接客する。もし顧客が2本のネクタイで迷っているときはどのようなアドバイスをするか?ご存知か?
販売員は顧客が今しているネクタイに近いものを奨めるそうだ。それを顧客の首にあてがい、「よくお似合いですよ」と安心させる。そしてさらにここからが匠の技じゃ。匠の販売員はネクタイを首にあてがった際に、スゥーとごく軽くお客の咽喉に触る。この触れ方が微妙であり匠の技じゃそうだ。匠にこれをされた顧客は十中八九買ってしまうそうだ。
どうじゃ、すごいじゃろ。これが匠の技というものじゃ。
OH!これでわかった!わしの家にも「なんでこんなネクタイ買ったんだろう?」というのが何本もある。これで理由がわかった。ふむ、ふむ、そういえばあの時も・・・。ハッズカシ〜。
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5月のお題「日本は広い」
ようやく過ごしやすい季節になってきたの〜。
季節に浮かれて今月のお言葉もついつい更新が後回しになってしまったわい。たいへんお待たせし申した。深謝。
先日、仕事で北海道の旭川に行ってきた。この季節に北海道の出張は着る物に悩む。コートはどうしようか迷ったが、東京では誰も着ておらんので、結局着ないで行った。ところが旭川空港を出ると、気温は2.5度の表示。寒〜。
この日は移動だけだったので、観光を兼ねて市内をぶらぶらしていたら、雨が降ってきた。冷たい雨に打たれながら北国の旅情を満喫していたら、それがやがて雪へと変わっていった。東京ではもう桜も終わっているというのに・・・。
翌々日、仕事を終え、最終便で羽田に戻ってきた。ちょうど沖縄便の最終と一緒になった。沖縄便からは観光客がぞろぞろ降りてきた。みんな南国帰りなので、半袖の人が多い。中には短パンにノースリーブにサンダルという人もおった。
一方の旭川からの便は、みんなしっかり上着をはおり、中にはコートを着込んでいる人も結構おったわい。狭い日本というが、こうやって見ると日本も案外広いものじゃ。
5月のGWにはまた、民族の大移動が始まるのじゃろな〜。でもどこに行っても混んでおるので、わしは毎年近場で買い物などしてごまかしておる。
長期休暇もいいが、皆が一斉に休まれたのでは、動くに動けんよ〜。まあ、休みがたくさんとれるようになったのはよいことじゃが、そろそろズラしてとれるようにしたいものじゃの〜。
そうでないと、お父さんは疲れる休暇から永遠に開放されんぞ〜。
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4月のお題「銀の卵」
ようやく景気回復の兆しが見られるようになってきた。
どこの企業も来年度も採用を増やすようじゃの〜。
でも人口減の時代、若者の絶対数が少ないのじゃから
企業の採用ニーズには応えられなくなってきておる。
そこで定年を迎えられる、団塊の世代に目が向けられるようになる。
シルバー世代のお仲間になられる先輩諸兄に、もうひと頑張りしてもらおうと、彼らを金の卵ならぬ「銀の卵」と呼ぶらしい。
これから銀の卵争奪戦でも始まるかもしれんの〜。
ところで団塊の世代というと、どうも男性がイメージされがちだが、
同じ数かそれ以上に女性もいるはずじゃ。
今までは団塊の世代というと、ビジネス社会で揉まれるおじさんたちがイメージされたが、その陰に隠れてはいたが団塊のおばさんたちも確実に存在する。
これはわしの予想じゃがこれからは、この団塊のおばさんたちが世間を揺るがすようになると思う。というのもこの方々はその昔ウーマンリブ活動で世間の価値観に挑戦した実績がある。息子や娘が片付き親のつとめを終えた悠々自適の彼女たちが、おとなしいおばあちゃんですむはずがない。
フランダンスでは飽き足らず、クラブを乗っ取り、ナイトフィーバーなんて踊り狂うかもしれん。スポーツクラブで鍛えたナイスバディと超ミニで年下の男どもを悩殺するかもしれん。
高級料亭なども彼女達に乗っ取られ社用族や政治家が行き場を失うかもしれん。シルバーホストクラブなんていうのもできるかもしれん。店名はズバリ「銀馬車」じゃ〜。フォ、フォ、フォ。
でも、その陰では「銀の卵」などとおだてられ、いつまでたっても引退できない男どもは、死ぬまで働き続けるのである。あ〜無情。
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3月のお題「イナバウアー」
オリンピックが終わった。
最後の最後に金メダルがとれてよかったの〜。
女子フィギュアはほんに見せたの〜。
つくづく勝負の世界の厳しさを見せられた思いじゃ。
あの荒川選手の日本人離れしたスタイル。
そして全世界の人を魅了したイナバウアー。よかったの〜。
イナバウアーは今年の流行語大賞になるかもしれんの〜。
ところで先日テレビで逆イナバウアーと言っていた。
なんのこっちゃいと思ったら、民主党の永田議員のことじゃそうだ。
イナバウアーと逆に前にペコペコと頭を下げる仕種のことらしい。
これは言いえて妙じゃ。
まあ、彼の往生際の悪さは全国民を呆れさせたと思うの〜。
あれだけ自信たっぷりに追求しておきながら、自分が追求されるとなると、
とたんに入院してしまう。
そしてまた突然テレビの前で記者会見を行う。
いったいどこが悪かったのじゃ?
わしは最近の日本人の往生際の悪さを感じるの〜
企業が不祥事を起こしても、
「辞めずに誠意を持って信用回復に努めるのが私の努めです」
などとのたまい居座ってしまう。
なんか最近の責任者は辞めなくなってしまったの〜。
仮に百歩譲ってこの言を認めるとしよう。
しかし、一通り戦後処理が終わって引退するのかと思ったら、
禊がすんだような顔をして居座ってしまう責任者が多いぞ。
たとえ自分に非がなくとも、部下の引き起こした事件の責任をとって、スパッと辞める。それが責任者の仕事ではないのか。
民主党の党首も「私の監督不行き届きでした。言い訳はいたしません。責任をとって辞任させていただきます」となぜ言えなかったのかの〜。
このほうがむしろ国民から同情が集まったと思うがの〜。
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2月のお題「当たるも八卦」
新年じゃ〜、と浮かれておったらもう2月。
2月になり寒さも本番というところじゃな。寒さが骨身にこたえるの〜。
先月はホリエモン事件で正月早々マスコミもひっくり返るほどの騒ぎじゃったの。
年頭にだれがあのような状況を予想したじゃろか。
あの超売れっ子占い師だって占えなかったぞい。
お正月番組であの占い師は「言うわよ〜!」と言いながら、
「ライブドアの株は5倍になる!」なんて言っておったぞ。
それが今じゃ5分の一以下じゃわい。
占いを信じて株を買った一般投資家もいたんじゃないかの〜。
しかもあの占い師は自民党の武部氏が時期総理と予言したのには驚いた〜。
でもあのオジサンもホリエモンが弟です!なんて言ってしまったから旗色悪いんじゃないのかの〜。
まあ、こちらのほうはまだ全く可能性がないわけではないので、決め付けることはできんがの〜。
まあ、占いを信じるのは勝手じゃが、それに自分を賭けるのは危険じゃ。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」ということを忘れてはならん。
そーいえば、昔なにかの本で絶対に当たる占い師になる法が書いてあったわい。
それはまず相談者の手相をみて、そして一言神妙に言う。
「あなたのお父さんは死んでいませんね」
これは絶対にあたる。
死んでようが生きてようがどちらにも当てはまるからの〜。
ウォ、フォ、フォ、フォ〜。
んっ?お前はどうなんだって?占いを信じるのかって?
わしは信じないことにしておる。
だって毎朝テレビで今日の運勢やっておるじゃろ。おぬし信じるか?
今日のわしのラッキーアイテムは「ピンクの手袋」じゃぞ。
わしがピンクの手袋して仕事にいったら皆どう思うかの〜。
この間は紫の帽子じゃった・・・・。
その前はソフトクリーム・・・。
その前の前は・・・、忘れたわい!
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1月のお題「心の勝ち組」
明けましておめでとうございまする。
昨年もいろいろあったが、まあなにはともかくめでたい、めでたい。
本年もよろしくお願い申し上げまする。
昨年は最後まで大掃除に追われ、正月も体の節々が痛むわい。
やはり慣れんことをやると、きついの〜。
気づけばわしも半世紀以上も生きてきた。
またいつもの正月を迎えてしまったわい。
でも、いくつになっても正月はいいもんじゃ。
やはり気持ちが新たになるの〜。
ところで昨年は勝ち組・負け組みだとか、やれ負け犬だ、下流社会だ等々
嫌な言葉が飛び交っておったの〜。
勝ち組と言えば「ヒルズ族」などと言われ、若いのにしたり顔をした奴等が
偉そうにインタビューに応えておったわい。
でも、勝ち組とはいったいなんなのじゃ?
一発当てて稼いだ奴をマスコミは「勝ち組」というようじゃな。
売れなくて「負け犬」と呼ばれ、それを売りにしていた女優が一発当て
「セレブ婚」と騒がれたと思ったら、すかさず離婚をして
今度は「捨て犬」と呼ばれそれを売りにしている。
わしは叫びたい!
一発当てることもなく、平々凡々と生きる者は「負け組」なのか
給料は決して多くないけどささやかな家庭をもって、
日々一生懸命生きている者は「負け組」なのか
たいした出世はしてないけど
同僚と帰りがけに傾ける一献に幸せを感じる者は「負け組」なのか
ベンツは買えないけど
ローンで買ったマイカーで家族と休日ドライブに出かける者は「負け組」なのか
だいたい人生って勝ち負けなのか?
わしは思う「勝ち組」≠「幸福」
人生の目的は幸せになることだと誰かが言っておったが
それすなわち「勝ち組」になることではないと思う
でもこんなこと言うとどうしても金のない者のヒガミに聞こえてしまうのよの〜。
ではおぬし、不幸せな勝ち組と、幸せな負け組のどちらがいい?
究極の選択じゃ〜
んっ?幸せな勝ち組じゃと〜!
そりゃ、そうだけど・・・。
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12月のお題「あがり症でお困りの方」
早いものでもう師走。ほんに一年なんて早いものじゃ〜。おぬしの今年はいかがでござったかな?
あと一ヶ月、風邪などひかぬよう頑張ろうぞ。
先日テレビを見ていたら越路吹雪の一代記をやっておった。越路吹雪といっても今の20代はほとんど知らんようじゃがの。彼女はたいへんなあがり症だったそうじゃ。ベテランと呼ばれるような年代になっても緞帳があがるまでは、舞台の上で足が震えていたらしい。しかし、そこはプロ。ひとたび緞帳があがればとうとうと歌いだす。このようにプロの歌手だってあがるのじゃ。だものわしらがあがるのは当たり前。
だからあがり症のおぬし、「あがっちゃいけない」なんて思っちゃいけない。声が震えてもいい、ひざが震えてもいい、汗びっしょりかいてもいいのじゃ。どうせ本人が思っているほど聞き手は気づいてはおらん。「あがっちゃいけない!あがっちゃいけない!」と自分で自分にプレッシャーをかけることはない。
これも先日、世界の巨匠北野監督がテレビで言っておった。芸人はあがらないようじゃだめだと。監督でさえ芸人として人前に立つときは、受けなかったらどうしようという恐怖が今でもあるという。「俺はあがらないぜ、どうせ受けなくたっていいんだ」と言う人には、「あんたもう終わっているよ」と言ってやりたいと。
だからあがり症のおぬし、あがってよかったの〜。あがるということは、自分をよく見せたい、聞き手に満足してもらいたい、という気持ちがあるからじゃ。研修講師の中にも「俺はあがったことがない」という人がたまにいるが、今度会ったら「あんたもう終わっているぜ〜」と囁いてやるか〜。でも・・・。その前にわしが言われてしまうかもしれんの〜。いやじゃ〜、まだ終わりたくない〜。来年もおおいにあがりながらガンバルゾ〜!。
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11月のお題「あるある大辞典」
先日さる研修のなかで「最近ムッときたことは?」というテーマで話し合ってもらったところ、以下のような意見がでてきた。
■駅の清算機が混んでいたがようやく自分の番がきた。ところが清算しようとしたら「係員のいる窓口へ行ってください」とメッセージが出た。
■160円の切符を買おうとしたが細かいお釣りが増えるのが嫌だったため、券売機に210円入れたところ、お釣りが10円玉で5枚でてきた。
■自動改札を出ようとしたら、タッチの差で反対側から先に切符を入れられてしまい出られなかった
■飲み屋でとりあえず枝豆とビールを頼んだら、枝豆は出てきたがビールは待たされた。
■ラーメンと餃子を頼むと、必ずラーメンが食べ終わった頃に餃子がでてくる。
■領収書の宛名を上様でと言ったところ、「えっ、ウエという苗字ですか?」と聞かれた。
■「ファクス用紙買いませんか」とファクスがくる。
■折り返し電話ほしいと留守電が入っていたのでしてみたら、単なる売込みだった。
■「お名前さま」をお書きくださいと言われた 。
■卵を産ませようと買った雛が牡(オス)だった。
ん〜、あるある。おぬしにも思い当たるものがあるじゃろ。
我われの日常とはこのようなことの繰り返しじゃ。自分の思い通りにならないとムッとくる。でも、このようなレベルなら「ちぇっ!」と舌打ちして終わる。
しかしこれらが重なると我われはムカついたり、腹が立ったり、キレたりする。所詮世の中自分の思い通りになるはずなどないのに、ついつい思い通りにしようとする。だから腹がたつ。もっとゆとりをもとう、もっと余裕をもとう。そうすればもっともっと住みやすい世の中になると思うがの。そしてこのような目にあったら笑い飛ばせるような人になりたいものじゃ。
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10月のお題「遊び心も大切に」
世界的な異常気象。
わが国だけでなく世界各地で天変地異が起きておる。
これも地球温暖化の影響かの〜。
アメリカではカトリーヌやらリタやらが猛威を振るい、大変な被害をもたらした。
日本だけが台風で痛めつけられているわけではない。
被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げる。
ところでこのカトリーヌやらリタという名前はどこからきたのか?
嫌なハリケーンにしてはなんとも粋な名前をつけておるではないか。
おぬしこの名前の云われはご存知か?
アメリカでは毎年ハリケーンが発生した順にABCから始まる名前をつけるそうじゃ。それも昔は全部女性の名前をつけていたが、それでは不公平ということで現在は女性・男性と交互につけておるとのことじゃ。ただ発生した時点でつけるので、全部が全部被害をもたらすようなハリケーンになるとは限らんのじゃ。今回大きな被害をもたらしたハリケーンが、たまたま女性の名前だったということらしい。
それに比べるとわが国は1号・2号とか、あまりにも生真面目なつけかたじゃな。
もちろん台風なんてものは、人間にとっては忌まわしいものじゃが、それだけにもう少し遊び心をもって命名してもよいのじゃなかろうか。
そこで日本はアイウエオ順に名前をつけることにする。
愛ちゃん台風とかイチロー台風とかの〜。
なんかみんなから好かれそうな名前で迫力がないか・・・。
おっとどっこい、そうでもないぞ。
「さ」はなんと命名するかわかるか?
「貞子台風」じゃ。これは怖いぞ〜。
「今夜半、関東地方に貞子が上陸しました。いよいよ関東地方が貞子の暴風圏域にはいりました〜」
どうじゃ!すっげー、恐ろしいじゃろ〜。
な〜んて、アホなこと言っとらんで、まじめに仕事せいじゃと。
ごもっとも至極。
ただ、景気もだいぶ上向きになってきておるようじゃが、心にはゆとりをもって仕事をしたいものじゃ。どんなに忙しくても遊び心はなくさぬようにしたいの〜。
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9月のお題「あつい研修」
9月といってもまだまだ暑い日が続くの〜。
役所の研修所は28度にも設定されるので、さすがのわしも今年はノータイでクールビズじゃ。実はわし、今年10年振りくらいで半そでのワイシャツを買った。
今までは真夏でも無理して長袖シャツを着ていたが、寄る年波には勝てん、やせ我慢はやめた〜。
ノータイで半袖シャツ、これで仕事をしてみると以外に快適。OH!もう一年中これで通すか〜。
ところで、わし前から思っていたのじゃが、研修受講者を熱くするためには、やはり動機づけが必要じゃ。研修を始める前に、今回の研修はなぜ企画されたのか、研修を通じてどのような人材になってほしいか、トップから直接受講者へ熱く語りかけてほしいものじゃ。
毎年定期的に開催される研修でも受講者は初めて。型どおりの注意事項を述べて、「では本日の講師を紹介します〜」、とやるよりもまずトップから受講者のマインドに火をつけてほしい。その受講者のマインドにともった火種を大きな炎にするのが我々外部講師の仕事じゃ。われわれがいきなり「これからの時代は自律型人材たれ!」といくら力説したところで「ふん、外部の人間がなにを言うか!」と反発する受講者は確かにいる。
それだけに研修の冒頭、トップから「わが社は自律型人材を求めておる。君たちに期待しているからこのような研修を行うのだ。」と言ってくれると、わしらもすんなりと研修に入っていける。
しかし、実際には研修の冒頭の挨拶もいろいろなタイプの人がいる。5分くらい頂戴したいといいながら、延々と30分すぎても終わらない人。会社の業績について資料を延々と読み上げる人。いきなり暗い話題から入り、思い切り盛り下げてくれる人。研修のテキストを勝手に説明する人。本当に挨拶だけで終わってしまう人。研修のことはよく分からないが、といって始める人・・・・等々。
はっきり言って形式的な挨拶ならしないほうがよい。なんのための挨拶なのか、受講者を動機づけるための挨拶であることを忘れないでほしい。
8月のお題「成果主義はどこへ行く」
暑い、暑い、暑い。
暑さに弱いわしは、毎日冷房を浴びすぎて体の節々が痛いわ〜。
早く涼しくなってくれんかの〜。おかげでこのページもなかなか改訂されんわ〜。
ところで最近は成果主義のゆり戻しが起きているようじゃな。
企業が先を争って導入した成果主義にアンチテーゼが投げかけられておる。
「虚妄の成果主義」「内側から見た富士通『成果主義』の崩壊」がその火付け役じゃが、最近読んだ本では日下公人氏の「質の経済が始まった」や「会社はだれのものか(岩井克人)」「育てる経営の戦略(高橋伸夫)などがおもしろい。これらの本を読んでみると、成果主義の何が悪いのかというと、成果を評価するのはよいのじゃが、それを直接お金に結びつけてしまうところに問題があるという。お金が真の動機づけにならないのは、テーラーリズムの限界、ホーソン実験、ハーツバークの衛生理論など、経営学の世界では常識であったはずじゃ。だから経営学者の高橋伸夫氏は給与に直接結びつけてしまった日本の成果主義に警鐘を鳴らしているのじゃろ。
誰だって給与は少ないより多い方がよいに決まっている。しかし、給与だけが目的であったのでは、NHKのプロジェクトXは説明できんじゃろ。あの番組を見ていると、ほとんどの登場人物はお金のために頑張ったのではない。上司から「君しかいない」「君を見込んで頼む」と大きな仕事を任されたのがその出発点になっている。そしてそのように頼まれた時、体が震えたという。
その期待に応えようと不眠不休で頑張ったり、一ヶ月間も家に帰らなかったり、彼らは仕事にのめり込んでいく。お金などは二の次で必死で頑張る。何が彼らをここまで駆り立てるのか?単なる使命感だけなのか?否、もちろんこれだけではない。自分を認めてもらえたことへの満足感、その期待に応えようとする意地が彼らを駆り立てるのであろう。そしてこれが日本企業の強みであったのかもしれない。
それをすべてお金に還元してしまったのでは、人間はそのお金に見合った努力しかしなくなってしまう。どんなんに頑張っても、成果が上がらなければ給与が上がらないというのであれば、成果が上がるかどうか分からない仕事に誰が無理してまでもチャレンジするでろうか。そしてそのような仕事ぶりからは、仕事そのものの楽しさが失われていく。もちろん人生、仕事がすべてではないが、その仕事に生きがいやりがいを感じることができればこんな楽しいことはないはずだ。
人間は認めてもらいたい生き物。自分を認めてもらうことにより自分の存在証明ができるのだ。しかし、マズローは承認欲求を欲求段階説の第三段階に置いている。でも本当だろうか?人間にとって承認欲求はもっと大きいのではないかという意見もある。このあたりは同志社大学の大田肇先生の「認められたい」という本が参考になる。流行の自己実現も自分を認められてこその自己実現という側面があるという。確かにそうかも知れの〜。
ん〜、考えれば考えるほど難しいの〜、成果主義はどこへ行く〜。
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7月のお題「早すぎる死」
先月、ウサギの「ペコ」嬢が突然お亡くなりになった。わしの家に来て2年、早すぎる死であった。前の晩まではなにごともなく遊びまわっていたのに、朝になったら横向きに倒れ既にこときれていた。原因は不明。
どんな生き物であれその最後は悲しい。それが人間でなくとも一緒に過ごした仲間の死は悲しい。娘や息子が大きくなり、我が家も会話が少なくなってきたので、家族を増やそうということで、2年前わしの家にやってきた。しかし、うさぎは犬や猫のように吠えたり鳴いたりしないので、賑やかにはならなかった(あたりまえじゃ〜)。
しかも、このうさぎは人間に抱かれるのが大嫌い。ペットショップでは大人しく抱かれ、その可愛さについその場で購入を決意してしまった。しかし、家に連れ帰り、さっそく抱こうとすると大暴れ。ひっかくは、噛みつくは、それはもう大変な騒ぎ。それでもだんだん慣れるだろうと思っていたら、ますます嫌いになったようだ。撫でられるのはよいのだが、とにかく抱かれるのが嫌いなのだ。可愛いペットだからこそ抱きしめたいのに・・・
きっとプライドが高かったのじゃろ〜。家族の一員になれと言ったため、本人(本ウサギ?)もペットとは思っていなかったのか?だから抱かれてまでも媚をうりたくないと、毅然と拒否続けたのか?好きでもない男に抱かれたくなかったのか?なんと骨のあるうさぎじゃ。最後まで自分のポリシーを貫き通したあっぱれなウサギじゃ。
ただ、その後半生は気まぐれな飼い主のために、「仲間だよ」などと調子のよいことを言われて、にっくき犬のコタローと同居することになってしまった。ペットショップで犬とウサギは一緒に飼えると言われた単純な飼い主は、あろうことかあのうるさいコタローを連れ帰ってきた。
ペコ嬢の平穏な日々に終止符が打たれた。おとなしいのをよいことに、コタローは吠えまくったり、ゲージに手をつっこんでお尻をさわったり、挙句の果ては追いかけまわす騒ぎ。それでもペコ嬢は文句一つ言わずじっと耐えていた。
そこでコタローをペコ嬢にはあまり近づけないようにしたので、ふたたび平穏な日々がおとずれたはずだった。でもストレスは溜まっていたのかもしれん。表面上は終始一貫無視していたように見えたのじゃが〜。可哀想なことをした。今はただただ冥福を祈るのみじゃ。ペコ嬢、本当にありがとう。おぬしがいなくなって改めてその偉大さがわかる。毅然とポリシーを貫き通す姿、わしも見習わせてもらうぞ!コタローはあいかわらず我が家を荒らし回っている。
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6月のお題「ミッキーマウスの憂鬱」
わしのご近所に今年新社会人になった子がおる。学生時代は東京ディズニーランドで、ずーっとアルバイトをしておった。ところが大きな声ではいえないが社会人になってからも、土日にはアルバイトをしているという。本人は社会人になったら辞めるつもりでいたのだが、人が足りないから来てくれと言われ、断れないのだという。
最近はディズニーランドのアルバイトもあまり人気がないようじゃ。昔はあの「夢と魔法の王国」に毎日ただで入れてお金までもらえる、ということでかなり人気のあったアルバイトじゃ。しかし、今は学生にはさほど人気がないようじゃ。だから人が足りないのじゃろ。
なぜ、人気がなくなってしまったのか?その理由は「規則が厳しいから」ということらしい。髪を染めてはいけない、派手なお化粧はいけない、つけ爪はいけない・・・等々。以前ならそんな規則はがまんしてまでも、あこがれの夢と魔法の王国で働いたものじゃ。しかし、最近の若者はがまんするくらならやりたくないという。
なぜ、このように変わってしまったのじゃろ?わしは考えた。それはの〜、今の学生たちにとってディズニーランドは生まれたときからあったのじゃ。彼らにしてみれば、元々ある遊園地に小さい頃から何度も行っている。彼らにとっては特別でもなんでもない。だから子供の頃絵本でミッキーやドナルドを見て、アメリカのディズニーランドに憧れを抱いた世代とは、受け止め方がまったく違うのじゃよ。
だから、ディズニーに対する特別な思い入れもなく、それだけに彼らの見方はシビアである。わしらはディズニーシーもそれなりに楽しいと思うのじゃが、彼らははっきりつまらないという。だからわしの娘なぞもディズニーシーには一度行ったきり、ディズニーランドにはそれ以降も何度も行っている。このような世代が主流を占めるようになると、ディズニーの運営方法も考えねばならんかもしれんの〜。
ところで最近「ミッキーマウスの憂鬱」(新潮社)という小説を読んだ。だいぶ以前に買った本だが積読状態であったものを、暇にあかせて読んでみた。この本はあの「催眠」や「千里眼」でおなじみの松岡圭祐が書いている。だからといってオカルトや推理小説ではない。
正直、ぜ〜ん、ぜ〜ん期待していなかったのだが、これが結構おもしろい。ディズニーランドの内幕が描かれていて、興味津々。たとえばミッキーマウスの着ぐるみの中にはやっぱり男性が入っているらしい。しかも数人いるのだが、ショーのミッキー役の方が、パレードのミッキー役よりも、格が上だそうだ。しかし、そのパレードのミッキーだって他の着ぐるみに比べると別格の扱いらしい。パレード開始前にバックヤードで出演者が準備をしていると、突然「メインキャストクルーの登場です」というアナウンスがあって、ミッキー役の男性がリムジンでやってくるという。もちろんお客にはぜんぜん見えない舞台裏での演出である。小説ではこのミッキー役は京大出のエリートが演じている。実際はどうなのじゃろ。知ってる方いたら教えてくれ〜。
小説はこのディズニーランドのシンボルであるミッキーの着ぐるみが紛失し、大問題へと発展していく。そこに派遣と正社員の確執がからんだりしながら、事件は思わぬ方向へ展開していく。おっと、この続きは述べたら野暮というものじゃ。まあ興味のある方は読んでみてくだされ〜。
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5月のお題「事実は小説よりも奇なり」
あっという間に桜は散り、東京は緑がまばゆいばかり。世間はめまぐるしく移り行く。尼崎のJRの大惨事により、フジテレビとライブドアのドタバタは既に過去のものになりつつある。あれだけ世間を騒がせたのに、結末はあっけないものだった。
「会長、ライブドアとの和解のきっかけはなんでしたか?」とフジテレビの会長がインタビューされていた。OH!なんとGOODな質問だ。質問者のセンスが光る。それなのに会長はまじめな顔でつまらぬ回答しかできず視聴者の期待を裏切った。会長殿、このときの答えはこれしかないじゃろ!「きっかけは〜、フジテレビ!」
今年の新入社員の理想の社長はホリエモンじゃそうな。ん〜、本当にわかっておるのかいな。わしなぞは人の心も金で買えると豪語するような社長の下では、怖くてよう働けんがの〜。札束で頬を殴られ会社の奴隷にされてしまいそうじゃ。
年功にとらわれず正しく能力を評価されたいという気持ちは分かるが、それは能力が自分が思っているほど高くないということも正しく評価されるということじゃ。また、そこそこの能力があっても周囲の人間がもっと能力が高ければ、低くしか評価されないということも忘れないでほしいの〜。
まあ、ホリエモンの経営者としての評価は歴史が決めることじゃろ。今の段階でとやかく言うのは時期尚早じゃ。歴史とはおもしろいものじゃ〜。そういえば最近、「遠いうた」(徳川元子 文芸春秋)という本を読んだ。美濃大垣藩の藩主の孫娘として生まれ、徳川吉宗の次男、宗武を祖とするご三卿の筆頭の家柄である徳川家に嫁ぎ、徳川伯爵夫人になられた方の自叙伝じゃ。
この元子さんの実の祖父母が鹿鳴館のダンスの会への参加を要請されたときの話がおもしろい。「好色の名の高かった伊藤博文は、三十歳という女盛りの美しい祖母に眼をつけて、仮装舞踏会が催されたある晩、祖母を一室に誘い、狼藉に及ぼうとしたのでした。祖母は驚いて開いていた窓から飛び降り、はだしのまま庭を駆け抜けて、辻待ちの人力車で逃げ帰ったそうです。この話は醜聞として有名になり、祖母はその生涯大迷惑を蒙りました」
歴史の教科書に載っている偉いお方にもこんな逸話があったとは・・・。しかし、さすがおひー様、その後の文章で次のように述べている。「孫の私は、千円札に博文の肖像を載せてその功績が顕彰されているのを見る時、祖母の語った事の真相を信じているだけに、ひとには語れぬ感慨が湧いてきます」
このほかにも大正時代の電車にも痴漢が多く苦労しただの、意外な面白い話も述べられている。まさに、事実は小説よりも奇なりじゃ。
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4月のお題「月光の夏」
桜の季節がやってきた。この桜が一斉に咲き始める頃になると、なぜか日本民族の血が騒ぐような気がするの〜。桜は一斉に咲いて一斉に散っていく、その散り際のよさから深い悲しみを秘めた凛とした美しさがあるのじゃ。
「月光の夏」(毛利恒之著 講談社文庫)という本を読んだ。
九州の鳥栖小学校のグランドピアノが廃棄処分されることになった。
それを聞いた初老の女性がそれなら私にくださいと教頭に言った。その女性は昔この小学校で代用教員として音楽を教えていた。なぜ、と尋ねる教頭にその元教諭はこのピアノにまつわる悲しい過去を語りだした。
話は昭和20年大東亜戦争末期、明日特攻出撃という日に二人の若者が小学校を訪ねてきた。ひとりは上野の音楽学校の生徒であるという。「死ぬ前に一度、思いっきり、ピアノを弾かせてください」という願いであった。その願いは叶えられ、沈んだ音色につつまれた幻想的なメロディーが、ゆるやかに流れでる。ピアノ・ソノタ第十四番嬰ハ短調「月光」第一楽章・・・・。
この悲しい秘話はマスコミに知られることなり、このピアノを残そうという支援者が増え、このピアノは残されることとなった。そして話はそこで留まらず、ひょっとしたら当時の若者も生存しているのではないか、ということになってきた。実際二人のその後の消息を調べると、どうやら一人は生き残っているらしい・・・。そこから話は意外な方向へ展開していくのだが、これ以上わしが述べるのは著者に失礼なのでぜひご一読願いたい。
物語は「月光」の調べが行間にリフレインし、美しいまでに悲しい物語として展開していく。といってもちろん戦争を美化した物語ではない。それは読んでいただければおわかりになると思うが、これは実際にあった話であるだけに余計悲しい。
この秘話を知った多くの人が感動し、ついに映画にまでなった。それはほとんど一般の人からの寄付によって完成された。残念ながらわしはぜんぜん知らなんだ。ぜひ、この映画を見てみたいものじゃ。
周辺国からはまだまだ日本人は反省が足りないといつまでも言われ、それが政治的手段にも使われているが、今から60年前に日本の国を思い、家族を思い、純粋に死んでいった若者達がいたということも忘れてはならないと思う。
今年も日本全国で桜の花が咲き誇ることであろう・・・。
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3月のお題「コタローがやってきた」
2005年1月、小太郎が家にやってきた。我が家の5人目の家族である。といっても小太郎は人間ではない。ロングコートのチワワ、別名アイフル犬ともいう。
我が家にはもともとライオンウサギがいたので犬を飼う気は毛頭なかった。ところがある日ウサギの餌を買いにペットショップに行った時、可愛いアイフル犬と出会ってしまった。本当はチワワのような小さな犬は好きではなかったのだが、店員さんの「ちょっと抱いてみませんか」という巧みなセールストークに乗せられてしまい、つい抱いてしまった。
生後3か月の子犬。CMのように小さな瞳に見つめられてしまうと、おじさんはクラクラ〜。あやうくその場で衝動買いしてしまいそうになったが、なんとかその場は踏みとどまった。サラ金から借金しないで済んだ。
家に帰り女房とインターネットで調べてみた。もっと可愛いのがいるかもしれないし、もっと安く売っている店があるかもしれない。驚いた。たくさんのチワワがネット上で販売されている。でも地方のシ