院長のひとりごと

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−− 最近の若い者は −−
 

「最近の若い者は...」などと言い出したらおじさんの証拠であろう。マスコミでもよく青少年の問題が報道されているが、実際はどうなのだろう。確かに世間を驚かせる凶悪犯罪はいくつかあるが、すべての青少年があのような犯罪を犯すわけではない。少年犯罪が起こるたびに評論家たちがいろんなことを言っているが、私の聞いた限りでははっきりとまとを得た回答を聞いたことがない。
しつけ、TVゲーム、携帯電話、学校教育、少年法、インターネット、等々、昔と比べて確かに少年犯罪に関与しそうな条件は多数あるが、これらが原因の全てではない。なぜなら、礼儀もわきまえず、携帯メールに熱中し、学校でも授業中は内職ばかりしている高校生は山ほどいるだろうが、彼らが全て犯罪を犯したということは聞いたことがない。
「最近の若い者は」という表現は4000年前のエジプトかどこかの古文書にも書いてあるそうで、従来からの枠を破ろうとするエネルギーは古今東西の若者に共通のものである。昔から不良といわれる奴は一杯いた。ならばなぜ最近は少年犯罪が増えたように思うのか。
これは、集約すると全て、戦後行われてきた誤った自由民主主義教育の結果だと思う。敗戦をきっかけに日本人はそれまでの、強固な型にはめられた秩序から米国式の全くの自由主義へと180度、精神構造の転換を余儀なくされた。ここで問題なのは、戦前の日本が良かったとか言う話ではなく、意図的にか無意識にか、自由主義の良い面だけが強調されて広まったことである。
自由、権利を主張するときには必ずそれに対する自己責任がつきまとう。自由主義の本場アメリカで、自由を制約する法律のいかに多いことか。そして法を破ったものには容赦なくペナルティーが課せられる。この「責任」が抜け落ちていては自由主義は利己主義、自分中心主義のみが強調される結果となる。青少年に対するしつけ、教育面で、この「自己責任」の部分が抜け落ちているのである。
戦後もしばらくは従来の日本的な秩序を保ちつつ、自由主義が浸透していった。しかし、いつのまにか個人の人権を声高に唱える人権擁護主義者のヒステリックな抗議が正当化され、自由主義の最も根幹である「自分の権利を主張するときには他人の権利も尊重しなければならない」というルールが隠されていった。
集団生活をするときには、必ずルールが存在し、それを守らないものにはペナルティーが課せられる。これは人間が住んでいる全ての場所に共通のルールであろう。人間だけではない。群れを作って生活する動物は、群れのルールに従わなければ群れを追われることもある。一頭のルール違反が群れ全体を危険に陥れることもあるからであろう。少なくともほ乳類は本能的にそれを悟っている。
なのに今の日本はどうか。「体罰がいけない」という意見が出ると、それを拡大解釈して全てのペナルティーがいけないという風潮になってしまった。学級の中に騒がしい生徒がいると、ほんの2〜30年前までは先生にコツンとたたかれたり、廊下に立たされたりした。最近ではこんな生徒を注意すると親から子供の個性だからとクレームが来るという。
ちょっと待て。個性も結構だが授業を静かに受けたい他の多数の生徒の権利はどうなっているのか。他人の権利を侵害するものは自分の権利を主張する権利が無いはずである。騒いで他の生徒に迷惑をかけたものはその責任をとらなければならない。最近の若者に共通しているのは、この「自己責任」の意識の無さではないかと思う。
以前はちょっと悪いことをすると非行とよばれ、非行少年というレッテルがはられた。そうなると世間の目も冷たくなるので、非行少年と呼ばれないように自ら行動を制限した。また、盛り場をうろついていると不良にからまれる、とも言われた。そうならないように注意したものである。
それが今ではどうか。個性の時代といわれ、髪を染めることも、変わった服装をすることも、繁華街に出かけることも、若者は「他人に迷惑をかけなければいい」と思ってやっている。その結果、犯罪者に目を付けられるかもしれないことを全く意識していない。
あるいは、染めた髪を嫌う人が一部にいることも事実であり、それが悪いかどうかの議論ではなくて、第一印象だけで初対面の人との非常に大切な出会いがフイになる可能性も、意識しているのだろうか。そういう外見的なことが原因で自分は他人から嫌われていると思いこんだり、それは個性を認めない世間が悪い、などと責任転嫁していないだろうか。
米国に自由があふれていると思いこんでいる人は多い。それは事実であるが、何もかもが自由、平等の権利の精神がある反面、それに対する責任、義務も全て個人にふりかかってくる。自由だと思われている米国で法律などで規制されていることのいかに多いことか。些細なことまで事細かに法律で定められている。
そして、堕落すること、貧乏になること、病気になること、もちろん個人の責任もあろうが、生まれ育った環境から自分の努力だけではどうしようもないことまで「個人の責任」で自由にどうぞ、と言われるわけである。
今、最も優先しなければいけないことは、TVゲームや携帯電話の制限や、服装の乱れを直すことではない。
そのような行動を続けていた結果、どのようなことが起こりえるのか、そしてそれが自分に不都合なことであっても、全て自分で責任をとらなければならない、ということを若者に教えることである。
若者だけではない。いい大人の無責任な行動がニュースをにぎわすことのいかに多いことか。
日本人全体が現代の日本人としての秩序、倫理観を考えるべき時である。


プライベートなこと:最近はこんなことをやっています。昔の趣味の再燃です。