私たちは2002年10月より「内縁」で暮しています。二人とも「再婚」ですが入籍することができずにいます。それは同一姓でないという、ただそれだけの理由で入籍を認められないからです。
私たちにとって別姓のまま新しい生活に踏み出すことはとても大切な事です。それは「妻」が離婚した時に、子供たちの姓が変わることに配慮して旧姓に戻さなかったからです。子供たちは今の姓に愛着を感じており、私たちの「再婚」にあたって、まず心配したのがその事でした。子供たちは父親とも交流を持ちながら私を「菊地さん」と慕ってくれています。また別れて暮している私の子供たちも私の姓を名乗っています。私たちは子供たちの期待を裏切るわけにはいかないし、それぞれが親として名前を継承する義務があると思っています。ですから現在姓のまま法律上の夫婦になる事が私たちにとってごく自然なことであり、私たちにとっては夫婦別姓こそ家庭を創造することなのです。
憲法では婚姻について二人の意思のみによると明確に規定されているのにもかかわらず、民法において別姓使用の選択が認められていないため、実際には国の許可なしに結婚できない仕組みになっています。ですから民法はあきらかに婚姻の規定を定めた憲法に抵触していると思います。
夫婦別姓に反対する人たちの議論を見ますと、倫理的道徳的な立場や便宜的な立場からの感情的な反対論がほとんどで、民法の規定を合理的に擁護する議論は見あたりませんし、切実に別姓導入を求める人の事情を画一的に切り捨てているように思えます。なんでそれほどまでに同姓に固執するのですか?個人よりも家族よりも国や社会の建前が優先するということなのですか?それは村八分の論理なのではないでしょうか。
合理的な根拠のない法律は改正し、法律以前の慣習や風俗に任せるのが筋ではないでしょうか。もし民法の規定に合理的な根拠があるとするのなら、憲法の規定が間違っているということにもなりましょう。同一姓を選択しようと呼びかけ、運動することは自由ですし、それぞれの見解でもありますが、法律に合理的な根拠がない以上速やかに改正し、どちらを選択するかはそれぞれの運動の影響や 関心に従って当事者が決めるべきものだと思います。
ひとりひとりが別々の顔を持っているように、家庭の事情もそれぞれです。私たちのような事情はその一例です。法律がどうであれ家庭は家庭ですが、一日も早く法律的に夫婦と認められ、家庭と認められることを願いつつ、論議の行く末を見守り、微力を尽くしたいと思っています。