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●はるか遠いできごとのように
ロドリゴ・レイローサ(Rodrigo Rey Rosa)は、先に英語圏で注目され、やがて90年代に入ると、スペイン語圏でも読まれるようになったグアテマラの作家である。ぼくの手もとにあるデビュー作『乞食のナイフ/静かな湖面』は、1992年にスペインで刊行された版だが、英訳はその数年前に出ており、訳者が米文学の巨匠ポール・ボウルズだっただけに、話題をよび、中米出身の、20代の無名の作家は、たちまち脚光をあびたのである。
レイローサは、20歳のころ、グアテマラをあとにし、ニューヨーク、ヨーロッパとわたり歩き、やがてアフリカのモロッコでポール・ボウルズに出会い、ながらくタンジェで住み暮らした。放浪生活や、国境をこえたコスモポリタンな生き方は、むろん作風にも影響しており、さまざまな人種や文化が交錯するその物語世界は、ふしぎな味わいにみちている。
ぼくがこれまで訳したレイローサの小説は、3冊――『その時は殺され……』『船の救世主』『アフリカの海岸』――だが、「久しぶりにラテンアメリカの作家らしくないラテンアメリカの作家の本を読んだ」という書評も出て、読者から少なからぬおどろきをもって迎えられたようだ。レイローサにはたしかにマルケスやリョサといった《ブーム》の作家たちとは、異なったおもむきがあり、その新しさが作品の大きな魅力ともなっている。
とはいえ、レイローサのえがく物語の背後には、まぎれもなくラテンアメリカの現実が脈打っているのもたしかで、たとえば『その時は殺され……』では、権力者の腐敗や血みどろの内戦、麻薬や殺戮といった「現実」が、いやおうなく登場人物たちの日常を浸食し、彼らをのっぴきならない状況に追い込んでいくのである。レイローサの新しさは、そうした暴力的な現実を、内側にいながら、なにかはるか遠いできごとのようにえがき出してみせるところだろう。
そうした傾向は、ポール・ボウルズが英訳した初期の短編群からも見てとれる。小さな物語は、どこか「夢の切れ端」のような印象をわれわれに感じさせる。現実的でありながら、そこはかとない抽象性をもちあわせており、多様な解釈を許容するのだ。モロッコを舞台にした最新作『アフリカの海岸』もそんな小説だ。コロンビア人の主人公は、道端で買ったフクロウと共にタンジェの町をさまよう。そしてコーランの祈りがながれ、拘束と自由の物語が展開していくのである……。
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RODRIGO REY ROSA●ロドリゴ・レイローサ
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デビュー以来ずっと使われてきたレイローサの写真がある。
何年もその写真だけが出まわっていたので、わりによく知られている。今度の邦訳でもそれを使うことにした。
起き抜けみたいに髪はぼさぼさで、どこかもの悲しげな目はまだ夢のつづきを見ているようだ。そしてその表情全体からは不思議な静かさが伝わってくる――。
レイローサの文章や小説世界も、写真のそのイメージに近い。
ロドリゴ・レイローサは、昨年の暮れに亡くなった〈アメリカ文学最期の巨匠〉ポール・ボウルズに見出され、ボウルズ自身が英訳した『乞食のナイフ』や『樹林の牢獄』で世界に押し出されたグアテマラの新しい作家だ。
『その時は殺され……』は、仏訳もガリマール社から刊行されたばかりで、つい先日のル・モンド紙にはレイローサの会見記が掲載されていた。
記者は冒頭でいきなり尋ねる――「ところであなたは何のために小説を書くのですか(Au fait, pourquoi ecrive-vous?)」
いじわるな質問だ。というか、緊迫した雰囲気をつくるための計算された質問だろう。
「そうだね、時間をつぶすためかな。何かしてなくてはいけないからね。何もしないでおこうと思った時期もあったんだけど、これがけっこう難しいんだな。それでものを書くことにしたんだよ。ほとんど何もしていないようなものだからね」
*
『その時は殺され……』の主人公のひとりは、イギリス人の老作家だ。八十代の半ばぐらいの年輩で、補聴器をつかっている。冒頭の場面ではイングランドの邸宅の温室にいて、椅子に腰をおろしている。そこへ妻があわてた様子で駆け込んでくる。スペイン語の中に英語が混じる。
《「Can you hear me?(聞こえる?)
彼は妻の唇の動きを読みとることができた。だが首を横に振った。妻の表情が苛立ちから怒りに変わるのをみてとった。おもむろにポケットから補聴器を取り出して、耳に入れた。(……)
「It's Emilia..., from London... says Guatemala...(エミリアなの……ロンドンからよ……あの子がいうには……グアテマラで……)
すべての言葉を読みとることはできなかった。だがその身振り手振りから、グアテマラで恐ろしいことが起きたのだとわかった。》
小説の後半で、われわれはグアテマラの山村でふたたびこの老作家に出くわす。無気味で野蛮な暴力の渦巻くグアテマラで――。
コスモポリタンな作風は、モロッコで生涯を終えたポール・ボウルズゆずりだろう。
小説ではときおり、補聴器をはずしたように音が消え、静かな画面だけが流れる。レイローサの透明な文体が遺憾なく力を発揮する瞬間だ。
あの静けさと切なさは、やはりこれまでのラテンアメリカの小説とは違う。ようやくカルペンティエルのバロックやガルシア=マルケスの魔術的リアリズムを越えていけそうな若い作家が登場したように思う。

