ペルーは、多くの異質なものを内部に抱えこんだ国です。地理的にみても、それが言えます。海岸に沿って砂漠が帯状に伸び、そのとなりにアンデス山脈がそびえ、アンデスの向こう側には広大なジャングルが広がっているのです。海岸部の文化とインディオの住むアンデスの文化はだいぶ趣を異にするし、首都のリマと地方の農村とのあいだの文化的ギャップも大きい。リマはかつては美しい街並みを誇っていましたが、いまやテロやコレラや経済危機のためにだいぶひどい状態にあります。貧しさが国じゅうに蔓延してしまったって感じですが、もともとペルーには貧しい人々がいっぱいました。むろんその一方で、かなり裕福な階層もあったわけです。それからいろんな人種がいますよね。白人やメスティーソ(混血)やインディオや黒人や東洋人…… そうした雑多なものが錯綜して、ペルーではかなりテンションの高い社会がつくりだされています。バルガス=リョサが『都会と犬ども』で描きだしたのは、まさにそうした世界なんです。

 ペルーみたいな荒々しくてワイルドな場所で生き抜くためには、人間もまずタフでなければなりません。あそこにあるのはハードボイルドとピカレスクの世界なんです。腕力と悪知恵がモノをいいます。僕はそういうところで生まれ育って、十代のはじめに日本に来たんですが、最初はだいぶ戸惑いました。ペルーと日本とでは生きていく姿勢みたいなものがまったく違いますからね。僕はペルー人のメンタリティを持っていたのですが、むりやりに自分を日本の社会に適応させたところがあります。日本の社会では、みんなと同じように振る舞わなければならないというプレッシャーが強く働くし、流れに逆らわない方が楽だということもあって、僕は進んで自分のアイデンティティをカムフラージュしてきたように思います。もっともそんなことをしているうちに、いったい自分がどこにつながっているのかわからなくなってしまいましたが。いまもよくわからないですね。

 学生のころ大学の図書館で、リマを舞台にした小説を偶然に見つけて、懐かしさから読みはじめたのですが、それがバルガス=リョサのLa ciudad y los perros(『都会と犬ども』)だったんです。面白くて三回ぐらい読み返しましたね。かつて自分が目にした街や風景が、ダイナミックな言葉でいきいきと描かれていて、この本のおかげで、自分の精神の底にどういう世界が横たわっているのか、あらためて気づかされたように思います。


 ラテンアメリカにはスペイン語が話されている国が一九か国あります。しかしそこで書かれている小説がすべて一つのラベルのもとにくくられるわけではありません。カリブだとかアンデスだとかメキシコだとかいうふうに地域によってそれぞれ傾向性があるし、作家の素質や文化的バックグラウンドにも大きな違いがあったりします。ラテンアメリカというのは多様な社会ですから、日本の読者にとって、親しみやすい作品もあれば、そうでないものもあるはずです。翻訳するわれわれの立場で言うと、わりに日本語にしやすい作品もあれば、とても訳せないような代物もけっこうあります。

 翻訳作品の善し悪しと言うのは、けっきょく訳者の技量に大きく左右されます。原文の面白さが訳者のせいで、台無しにされてしまったような作品はいくらでもあります。まあ、いろんな作家がいて、いろんな文体があるわけですから、そのなかで訳者にとって、相性のいい作品もあれば苦手な作品もあるはずです。自分の感性に合い、自分の能力にあった作品だけを選んで訳したいですね。

 さっきも言いましたように、僕はペルーに生まれ育ったから、スペイン語でのセリフの微妙なニュアンスを、ときにはほかの訳者よりもわかることがあるかもしれません。でもだからといって、それだけでうまい訳文がつくれるわけではありません。反対に、きちんとした日本語になっているけれど、原文のニュアンスを正しく伝えていない訳文だってけっこうあります。だけど文学において、おかしな日本語よりも、少々原文の解釈は違っていても読ませる日本語のほうがはるかにましなのは言うまでもないことです。そんなわけで、僕がペルー生まれだから、うまい訳文がつくれるというようなことはないと思います。訳者の能力というのはもっぱら、その人の日本語の力にかかっていると思いますね。意味がわかっていたって、妙な日本語じゃ文学になりませんからね。

 ブームの作家たちの売りものの一つは、斬新なスタイルと新鮮なことばだったわけですが、このごろバルガス=リョサの作品から、彼の持ち味だった「言葉のエネルギー」がだいぶ薄れてしまったような気がします。正統的で格調高い文体に移行してしまったというか。ブームの作家たちの中で、コロキャルな言葉の面白さを最後まで追究し続けたのはプイグですね。けれど僕としては、学生の頃に受けたあの新鮮な驚きをもう一度バルガス=リョサの作品をとおして味わいたいですね…… そういう願いが強くあります。
BACK





ENTREVISTA