津山町


窪城(久保城・南沢城)
(登米市津山町横山南沢)



窪城全体図
(南側より撮影)
 国道45号線沿いにある横山地区の西側、久保集落にあります。



道路沿いにある標柱
 葛西氏の家臣横山右近之允高継の居城という。彼の姓から横山の地名が生じたとも伝えられる。
 城の構えは低くこじんまりんまりしている。

(標柱より)

 「仙台古城書上」に横山右近高継、「葛西真記録」には横山右近少輔の居城とあります。
 また他の書物には佐々木右近という人物の名もみられますが、一族と思われます。



 東西約200m、南北約500m、高さ約120mの山城です。
 本丸は南面寄りの山頂、100m四方の畑がその跡です。西側に池があったと伝えられ、水が切れたためしがなかったといわれます。
 二の丸跡は北面の杉林にあり、東に空堀、西に北側から登ってくる昔の道跡があります。
 
「仙台古城書上」には「山 窪館」として東西三十二間、南北三十間とあります。


苔ノ沢館(下小沢城・黄牛城)
(登米市津山町黄牛比良)



苔ノ沢館全体図
(南側より撮影)
 国道342号線沿いにある、黄牛集落の西にあります。



道路沿いにある標柱
 室町から安土桃山時代にかけてのもの 阿部壱岐が城主と伝えられる。阿部壱岐は葛西氏の部将である柳津参河(はじめ当地の館主と目せられる。天正十八年葛西晴信に従い佐沼城で戦死)と関係があったと思われる。
(標柱より)

 「仙台古城書上」「仙台封内風土記」は城主として阿部壱岐の名があり、「葛西真記録」には安部壱岐守とあります。



 山頂に東西約50m、南北約80mの細長い台地がありますが、ここが本丸と思われます。西側には城門から続く道の跡があります。
 二の丸は東西約30m、南北約100mで周りに4〜5段の土壇があります。
 本丸と二の丸の間には幅約10m、深さ約5mの二重の空堀があります。
 全体的なスケールとしては東西約120m、南北約250m、高さ約70mで、街道や南の平野部への備えとして山の突出部に造られたと考えられます。
 「仙台古城書上」「仙台封内風土記」には苔ヶ沢の「山 下小沢城」として、高さ八十間、東西二十一間、南北十五間とあります。


館ケ森館
(登米市津山町柳津入土)



館ケ森館全体図
(南側・津山入土農村公園より撮影)
調査中







柳津館山館
(登米市津山町柳津宮下)



柳津館山館全体図
(南西側・北上川対岸より撮影)
調査中









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