登米町


どうめき館
(登米市登米町日根牛古館)



どうめき館全体図
(北側・県道172号線より撮影)
調査中



道路脇に倒れていた標柱
 この館は日根牛道味木にある葛西氏の家臣小泉伊豆の居館と伝えられる、この館は小池館、舞鶴館、渦巻館とも伝えられている 東西約54米(30間)南北約32米(18間)館に上る通路や空堀が現存しており堅固な館であることがしのばれる。
(標柱より)



道路脇にある堀跡
調査中


保呂羽館
(登米市登米町寺池道場)



保呂羽館全体図
(北側・軍馬山遺跡より撮影)
調査中



道路脇にある標柱
 文治五年奥州総奉行に任ぜられ近郷七郡三十万石を領した葛西氏によって造られたとみられる山城である、標高百四米、東西一[米千]、南北二[米千]にわたり、県下有数の規模と称される、現在も本丸・二の丸・土塁・空壕・腰廓などの遺構が残っている。
(標柱より)



調査中


吾妻館
(登米市登米町日根牛入谷)



吾妻館全体図
(画面中央部:西側より撮影)
調査中



県道172号線沿いある標柱
 吾妻館は日根牛入谷にあり、入谷館ともいう。昔葛西の臣吾妻某の館跡である。この下に御花畑と称す往時の花園の跡ら(以下、標柱に絡まった蔦により判別不可能)
(標柱より)



調査中


小島館
(登米市登米町小島大野前)



小島館全体図
(南側より撮影)
調査中



県道15号線沿いにある標柱
 小島館は葛西氏の家臣岩渕某の館。後年伊達宗倫この地に別荘を建築中なかばにして病で卒した。そのため別荘の工をおえずしてやめた。
(標柱より)



調査中


軍馬山遺跡
(登米市登米町日野渡字軍場)



軍馬山遺跡全体図
(南側より撮影)
調査中



農道脇にある標柱
 軍場山は町の北西部に連なる丘陵地帯にあり坂上田村麻呂が蝦夷軍を破った館跡と伝えられる。源頼義が安部貞任と伊達政宗が葛西晴信と激戦を交した戦場跡である。
 また古代の石器なども出土した登米町最古の遺跡である。
(標柱より)



調査中



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