| 旧・牡鹿町 |
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| 鮎川浜唐船御番所 (宮城県石巻市鮎川浜黒崎) |
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| 所 在 |
調査中 | |
| 歴 史 |
![]() ![]() 御番所公園にある唐船番所の復元棟(上)と石碑(下) |
寛永一六年(一六三九)に三代将軍家光の命で鎖国令が発せられ、仙台藩でも八ヶ森(岩手県)泊浜(歌津町)、鮎川浜、大浜(鳴瀬町)、磯浜(山元町)の領内五か所に唐船御番所を置いて外国船の来航を厳しく監視した。 この御番所は、正保三年(一六四六)頃に置かれた。 (案内板より) |
| 規 模 |
![]() 御番所公園より望む太平洋と金華山 |
調査中 |
| 石森館 (石巻市大原浜字台町屋敷) |
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| 所 在 |
(西側・県道41号線より撮影) |
調査中 |
| 歴 史 |
県道41号線沿いにある標柱 |
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| 規 模 |
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| 十八成館 (石巻市十八成浜字中山) |
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| 所 在 |
十八成館全体図 (南東側・十八成浜より撮影) |
調査中 |
| 歴 史 |
神明宮境内にある標柱 |
この館は中山丘陵の南端部の自然地形を利用して、本丸を中心にいくつかの平場を配し、それらを通路で連絡したもので、本丸や平場には石塁や土塁がめぐらされている。本館跡では石塁を多用している点に特徴があり、中世のものとみられるが、館主は不明である。 (標柱より) |
| 規 模 |
神明宮 |
調査中 |
| 中沢館 (石巻市大原浜向山) |
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| 所 在 |
調査中 | |
| 歴 史 |
県道2号線沿いにある標柱と案内板 |
この館跡は中世の葛西系の館と思われ中沢峰山の西端を二重の空堀で区切り、三重の土壇を巡らす本丸と一部に石塁と三重の土壇を持つ南曲輪、土壇と犬走りおよび険しい崖と急坂に囲まれ、堅固な北曲輪から成っている。昭忠碑のある西側の、大原湾に向かって開く凹地が大手の登り口と思われる。 この館主は、天正十六年(一五八八)正月、葛西晴信が中沢左近之丞宛に、元南曲輪内にあった中沢神明社に対する「御立願之事」という願文を送った所からみて中沢氏であったと思われる。 (案内板より) この館は峰山の東端部を二重の空堀で区切り、二段の腰郭をめぐらした本丸を中心とし、南西に南郭、北西に北郭を配したもので、南郭と北郭を画する昭魂碑のある凹地が大手の登り口と考えられる。中世の館跡とみられるが、館主は不明である。 (標柱より) |
| 規 模 |
大手口付近 県道2号線から望む北曲輪付近 |
調査中 |
| 観音館 (石巻市給分浜字後山) |
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| 所 在 |
観音館全体図 (北東側・県道2号線より撮影) |
調査中 |
| 歴 史 |
持福院境内にある案内板 |
往古より、この丘一帯を「お城山」と呼びまた「坊山」とも呼んだ。寺坊四十八坊の後山寺があった為ともいう。館は東西八〇メートル、南北三〇メートルの平場を中心に南に長さ一三〇メートル程の三段の土壇がありその中程に観音堂境内から登る道跡がある。東側にも段差が二メートルもある二重の土壇があり弾劾で海と集落に面している。東北部の岬と西側には空堀と断崖および土塁と低い土壇で囲まれて独立した平場がある。北側には遺構らしいものは見当たらない。中央の平場の東縁部に崩れた石積が南北に走っている。築城主は不明であるが、三方断崖と海に囲まれた堅固な館である。 (案内板より) |
| 規 模 |
持福院観音堂(大悲殿) |
調査中 |