| 桃生町 |
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| 山田城(舘山城) (石巻市桃生町樫崎字山田) |
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| 所 在 |
![]() 山田城全体図 (南側、国道45号より撮影) |
調査中 |
| 歴 史 |
![]() 道路沿いにある標柱 |
葛西氏家臣山田氏の居城で永正合戦で滅亡した。 (標柱より) |
| 規 模 |
調査中 | |
| 如来山城(如来館・牛田城) (石巻市桃生町倉埣) |
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| 所 在 |
![]() 如来山城全体図 (南側より撮影) |
調査中 |
| 歴 史 |
![]() 県道81号線沿いにある 説明板と標柱 |
広さは東西約百メートル、南北約七十メートルで東西北側は巾五メートルの水濠で三重に囲まれた平城に属する。「永正合戦記」から山内首藤方の牛田典膳、「葛西真記録」からは葛伝入道の居城と解されている。 (説明板より) 室町期の一五一一年(永正八年)葛伝入道の居城とされている。 (標柱より) |
| 規 模 |
調査中 | |
| 安倍館 (石巻市桃生町太田字欠下) |
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| 所 在 |
安倍館全体図 (南西側より撮影) |
調査中 |
| 歴 史 |
県道30号線沿いにある説明板 |
日高見神社の背後高さ約八十米の中世山城で、東西二百米、南北百三十米である。山頂の平坦地本丸、西方一段下の開田が二の丸と推定される。東方断崖絶壁、北西に空壕が確認される。一説には、前九年の戦に関連があるとされている。 (説明板より) |
| 規 模 |
調査中 | |
| 神取山城 (石巻市桃生町神取字山畑) |
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| 所 在 |
神取山城全体図 (東側より撮影) |
調査中 |
| 歴 史 |
県道21号線沿いにある説明板 |
北上・江合の合流地点の東側に位置し、高さ約四十米の大地(原文ママ。「台地」か?)である。東西三百米、南北に百米の山全体が城郭と伝える。 城主は、岡野伊勢長満、鈴木山城守等葛西家臣と云われ、天正十八年には葛西総大将大原飛騨守胤重と精強七百騎が籠もり、最後の抵抗をしたと「葛西真記録」に書かれたことは有名である。 (説明板より) |
| 規 模 |
鹿島神社 (上:県道21号線沿いにある鳥居、 下:本丸跡にある社殿) |
調査中 |
| 壇ノ森館 (石巻市桃生町樫崎字高附) |
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| 所 在 |
壇ノ森館全体図 (東南側より撮影) |
調査中 |
| 歴 史 |
![]() 桃生公民館堅崎分館にある説明板 (壇ノ森館・黄竜渕館・陣ヶ峰館) |
【檀ノ峯館】 [位置] 樫崎山の山頂にあり、城内の嶺山と相対す。 山との間が、旧北上川の流路となっていたが、今はその跡はない。 [規模・構造] 山頂に平場が見られ、僅かに土檀の跡が残っている。ここは、割合に広く四方五十米位もあり、檀の高さは約一米で二〜三段程も見られる。 この辺りも、一面、開田造成がなされ、その遺構は明らかではない。 [歴史] 中世のものか、桃生柵時代のものか判定は難しい。 ともあれ、砦の一種と見て間違いない。 (説明版より) |
| 規 模 |
調査中 | |
| 黄竜渕館 (石巻市桃生町樫崎) |
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| 所 在 |
黄竜渕館全体図 (西南側より撮影) |
調査中 |
| 歴 史 |
案内板の画像は壇ノ森館を参照してください。 |
【黄竜渕】 [位置] 樫崎山の峯の中にある。この館は連山のほぼ中央部(部落の裏)の最高所に見られる。 [規模・構造] 現在、雑木林の中にその遺構が認められる。即ち、小規模の(上段が二十〜三十米四方)土檀、それを中心に高さ一米足らずの檀が三段にめぐっている。 [歴史] ここも、独立した城郭とは思われない。出城か、物見台に使われた所であろう。事実、ここからの展望は、東西南北ともに遮るものなく、まことに絶景である。 (説明版より) |
| 規 模 |
調査中 | |
| 陣ヶ峰館 (石巻市桃生町樫崎字陣ケ峯) |
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| 所 在 |
陣ヶ峰館全体図 (西南側より撮影) |
調査中 |
| 歴 史 |
案内板の画像は壇ノ森館を参照してください。 |
【陣ヶ峯館】 [位置] 樫崎部落の背後に連なる山の峯のうち、一番東側の最頂点の所を指す。 [規模・構造] 現在は開田がなされ、その跡は確認できないが、もとの形は規模のいたって小さな、十米四方の檀であったと伝わる。 [歴史] 詳細不明である。ここは、砦よりももっと小さな物見台であったと想像される。 むろん、城郭と呼べるものではない。往古桃生柵の時代のものか、戦国期の樫崎城に関連したものかは判定できない。 (説明版より) |
| 規 模 |
調査中 | |
| 太田館(太田館山城・館ヶ崎館) (石巻市桃生町太田字薬田) |
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| 所 在 |
![]() 太田館全体図 (西南側より撮影) |
調査中 |
| 歴 史 |
道路脇にある標柱 |
東西の両側に、西が本丸、東が二の丸と推定される。 風土記に、右は八幡太郎義家公安部貞任御征伐の節御住居の申し伝え候。云々とある。 (標柱より) |
| 規 模 |
調査中 | |
| 樫崎館 (石巻市桃生町樫崎字東館) |
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| 所 在 |
樫崎館全体図 (南側より撮影) |
調査中 |
| 歴 史 |
県道30号線沿いにある説明板 道路脇にある標柱 |
堅崎館跡群 東西に、ほぼ一列に並ぶ中世の館跡で、堅崎館の他は築城者、城主等は不明である。 陣が峯には狼煙台の遺(以降の文は不明) (説明版より) 北上川流路を望む独立丘陵上に構えた中世の城館跡である。 城主は葛西家臣男沢内膳と伝えられている。各所に空堀などの遺構がみられる。 (標柱より) |
| 規 模 |
調査中 | |
| 中津山城 (石巻市桃生町城内字館下) |
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| 所 在 |
![]() 中津山城付近 |
調査中 |
| 歴 史 |
![]() 民家脇にある標柱 |
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| 規 模 |
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| 沢山城 (石巻市桃生町城内字八幡山) |
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| 所 在 |
沢山城付近 (南側より撮影) |
調査中 |
| 歴 史 |
八幡神社脇にある標柱 |
藤原の武将西條氏、後世葛西一族の寺崎氏の居城 (標柱より) |
| 規 模 |
城跡にある八幡神社 (上:鳥居、下:社殿) 平場 |
調査中 |