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         まやさき の 日常感情劇場vol.38(99/10/02)

 今日、34歳になった。大の甘党である私たち夫婦は、前々から予約をして、

ホテルニュー長崎の「10月のケーキ(月替わりのオリジナルケーキがあるのだ)」

を車で引き取りに行った。その帰りのことである。

「今夜、何食べたい?」

「うーーーーーん、何だろうなぁ」

「ご馳走作るよぉ。何がいい?」

「ご馳走ねぇ・・・ 今の俺にとってのご馳走って何だろう?」

という会話になった。

 子供の頃、間違いなくご馳走は存在した。たとえばカレーライスであったり、

ハンバーグであったり、フライドチキンであったり、あるいは街に出て外食したり、

そういうご馳走は間違いなくあったはずである。相方は東京育ちであるが、東京の

その頃の子供たちにとっては、デニーズで食事をするというのが一種のハレで

あったようである。そういうファミリーレストランなどというものがない土地で

育った私にとっては、そういう感覚が今ひとつぴんとこないが、高校1年生の

ときにはじめて入ったファミリーレストランを妙に高級な場所に思った記憶がある。

 あるいは、たとえば、私たちの世代であれば、ファンタオレンジが出てくる場は

ご馳走が出てくる場だという認識がないだろうか。ファンタオレンジは何か特別な

席にしか出てこない、そういう場でないと飲めないハレの飲み物であったはずである。

 今の子供たちはどうだろう。自動販売機がたいていの場所にあり、100円

(今の子供たちにとって大金なのだろうか?)ちょっとでいつでも冷たいファンタ

オレンジが手に入る。ファンタのみならず、今は本当に多種多様な甘く(甘くない

ものもある)冷たい飲み物が手に入る。ハレの時にしか口にすることができない

ものというのが今の子供たちにあるのだろうか?

 子供の頃のご馳走をもう一度考えてみる。大抵の場合そのご馳走は、品名である。

「カレーライス」「ハンバーグ」「フライドチキン」「すきやき」「しゃぶしゃぶ」

など。場合によっては「ケーキ」「クリームソーダ」などというものもありそうだ。

 大人になって、そういったものを簡単に入手できるようになった今、それでも

それらはご馳走だという感覚が今ひとつ抜けない。すきやきを食べに行くとなると

単純にうれしいし、テイクアウトで持ち帰ったKFCのなんともいえないいい

香りに幸せを感じる事もある。おいしいケーキ屋さんで好みのケーキを買った時は

食べるまでのわくわく感がある。

 ただ、大人になってのご馳走は、それらが細分化されているような気がする。

「長崎県佐世保市カレーハウスインディアのカツカレー」「北海道帯広市バイプレー

ンのかにチャーハン」「北海道帯広市六花亭本店の帯広の森(ケーキ)」「長崎県

大村市パティスリールフのレアチーズケーキ」「長崎県大村市シュシュの梨シャー

ベット」「長崎県大村市野の実のアップルパイ」「北海道中札内村花六花のけんちん

うどん」「福岡県福岡市オリオ・サントのコロッケとスペアリブ」「札幌市コーヒー

スタンドベルのオムライスと野菜炒め」「旭川市小しろの手羽餃子」「新宿区楽太朗

のゆずうどん」「陸上自衛隊福岡駐屯地売店の生シュークリーム」・・・

 皆様方の中にも、このような、店名付きの商品名での「ご馳走」が多く存在するの

ではないだろうかと思う。私もこの文章の冒頭で「ホテルニュー長崎のケーキ」と、

今日のメインイベントについて冠付きで記載している。ちなみに妻の誕生日には長崎

プリンスホテルの「今月のケーキ」を食べたし、去年の私の誕生日にはパティスリー

ルフのショートケーキを買った。

 ご馳走の質が変わってきたのか、自分の舌が肥えてしまったからか、そのあたりは

わからない。が、子供の頃に思っていた「ご馳走」と、大人になってしまって

からの「ご馳走」の間には微妙な乖離が生じているように思う。10円玉を握り

しめて駄菓子屋に走っていた頃と、ひとつのアイスクリームに250円を平気で

出せるようになった今とでは、価値観が違いすぎてしまっているのかもしれない。

 子供の頃、一日の小遣い10円でコリスガムの当たりくじを1回ひいていた。

ほとんどの場合末等で、小さなチューインガムだけをもらってくちゃくちゃ噛んで

いた。1等2等になると普通に売られていた大きなガム入りの箱(当時100円

だった)よりももっと大きなガムがあたる。毎日放課後に家の近所の駄菓子屋に

行っては、その大きな当たりがまだあることを確認してからくじをひいていた。

が、いつか誰かがその当たりは引き当てる。店に行ってそのガムがあったところに

ぽっかり空白ができていると、店のおばちゃんに誰が当てたのかいつ当てたのかと

しつこく詰問していた。大きくなったら絶対に何十枚も一度にくじをひいて絶対

1等を当ててやると意気込んでいた。

 その土地を離れ、一人暮らしをはじめ、初めてのアルバイトで副収入を得た私は、

その頃と同じような駄菓子屋をその土地で探した。駄菓子屋はあったが、その頃の

コリスガムはもうなかった。チロルチョコでさえ、当時のサイズのものは30円に

なっていた。口惜しいのでその30円のチロルチョコを一箱買った。持って帰って

封をあけた。整然と並んだあの頃と同じチロルチョコに感激もしたが、なにやら

虚脱感があったのを強烈に覚えている。あの虚脱感はいったいなんだったんだろう。

求めるものはそう簡単に得られてはいけないのだろうか。

 日本マクドナルドの社長の藤田氏の著作によると、人間は12歳の頃に食べていた

ものを自分の味覚として一生持ちつづけるのだそうだ。今の12歳は、コンビニ

エンスストアで売られている食べ物やファーストフードの味覚を自分の一生の

味覚として持ちつづけることになるのだろうか。画一的な味覚を持つことが悪い事

だとまでは言わないが、なんだかそういったところから没個性が始まっていく

ような気がしてならない。少なくとも私はマクドナルドの食べ物はおいしいとは

思わない(藤田氏によると、それはその人の味覚がおかしいからなのだそうだが)。

外国から日本に来た人がよくマクドナルドで屯(たむろ)しているのを見かけるが、

あれはマクドナルドがその国や地域の外食で一番おいしいものなのだからだ、と

ある国から来た人が教えてくれたことがある。日本にはそれよりももっとおいしい

ものがマクドナルドよりも安く手に入る場所があるにもかかわらず、である。

 結局、その日は、たまたまテレビでおいしそうなちゃんぽんの映像が流れてきた

ので、近所のおいしい中華料理店から長崎ちゃんぽんを二つ出前してもらった。

出前であってもしみじみおいしく、幸せな気分であった。シャンパンムースに

ココナツメレンゲのケーキに長崎ちゃんぽんというのも変な組み合わせなのかも

しれないが、それがウチの流儀だということにした。

 そう言えば、出前を取るという行為も、昔はハレであったような気がする。

                             CXS00705 まやさき

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