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清い流れから美しいアユを釣り上げる。夏の玉川峡は友釣りを楽しめる美しい川です。 井奥恵三 毎年解禁日になると、玉川に架かる3つの吊り橋のひとつ、大柳橋の新田の爺さんが、柿の葉寿司の弁当やビール、もちろん養殖でない地鮎のおとりを用意し、大阪からきた我々を迎えてくれます。釣り場へ入る川原はきれいに草が刈られ、足の悪い爺さんは車椅子に乗りながら川辺に出て、水況や今日のポイントを親切に指導してくれます。私が鮎のおっしょはんに付いて友釣りを習ってからもう20年以上になりますが、私の鮎釣りの原点は今も玉川峡です。 友釣りは、絵になる釣りです。装束を調え、石を選び、水量、水温を考え、さらに釣り場の景観(聞こえるカジカの声、目の前の枝ぶりの良い松や山の景色)も楽しみながら、優しく友鮎を送りだす・・・。人の思いを託し釣りをする大人の釣りと言えます。釣友と楽しく語りながら、また闘志を燃やしながらの釣り、大きく釣果をあけられもうだめかと思っていた一匹の鮎が次々と友を連れてきて、追いつき追い越し竿頭になったときの感激、大げさに言えば人生をさえ感じる釣りです。 このアユ釣りも平成4年ごろより、どこの川でもアユが不調との声がつり雑誌に載るようになってきました。上流にダムができ、下流には井堰が設けられ、堰堤が土砂で埋まり落差がなくなり、追い討ちをかける水質の汚れ。これらが日本の川全体に広がり、ツケが、回ってきたようです。川を殺したら、アユも死ぬ。やがて日本の文化も死ぬのではとの予感がします。 私のよく行く川はどこも昔に比べ浅くなってきました。日高川は、渓谷美を誇った串本地区を水に沈めた椿山ダムができた後、川の流れが緩やかになり、日本3大美人の湯、温泉で名高い上流の竜神地区は水はきれいですが、流れが緩やかになり、上流部までも土砂が堆積し、昔のような荒瀬や淵がなくなってきました。またダム下は年中水の濁りのため、ホコリをかぶったような真っ白な石が続きアユのエサになる藍藻もつかず、かってのアユのメッカも台無しです。十津川の本流、さらに支流の神納川、旭川。更には秘境といわれた上湯川、西川等も同じです。昔はときおり大水が出て川底を掃除し海へ洗い流し、アユの好物の石アカを育て、それがアユを育ててきたのでしょう。そんな川がだんだん減って、どこも山紫水明の日本の景色からほど遠い川になってきました。 かって大阪の料亭に引き取られた誇り高い鮎を育てた玉川峡は、日本文化をも育ててきたのです。この美しい川をいつまでも、そして清い流れから美しいアユを釣り上げる楽しみがいつまでも続くこと、これらは私達の心が答えを出してくれるのです。 戻る アユの豆知識 清流の女王、西瓜の香りがする鮎は、香魚ともまた寿命が短く1年で一生を終えるため年魚とも呼ばれます。秋に生まれた稚魚が川を下り、温暖で栄養豊富な海で冬を過し、春3月川を遡ります。優雅な釣法は日本の夏の文化を創っただけでなく、かっての山村の貴重な蛋白源を供給した日本独特の淡水魚です。 「分類学では、一般にニシン目、サケ亜目、アユ科。英語では ayu sweetfish, Japanese samlet(サケの幼魚) 」 今年1月に「玉川峡の未来を考える」学習会が開催されましたが、その時の先生 松浦秀俊氏が最近出版された本「川に親しむ」(岩波ジュニア新書)には、興味深いことに、アユはキュウリウオ科の淡水魚と書かれています。(釣の本には昔サケ科と書かれていました。進化の過程からしてキュウリウオ科だと私も思います。) キュウリウオ科で沿岸部にいるワカサギが川を遡り、石についたコケをえさにするようになり進化し、アユになったそうです。ヤスリのような櫛上の歯が発達して大きな唇のようになり、石に付いたけい藻やらん藻を食べ、遡上時6〜8cmの体長が、数ヶ月で25cm位まで成長します。9月から11月ごろ下流部の人が立つと足が少しにえこむような砂利の瀬に夜集まり、集団で産卵します。 私も含め鮎釣士達は、この落ち鮎を狙って12月ごろまで川へ入り、漁をします。 平成21年度の玉川峡の鮎狩り (4回に分けて放流済み。生育は順調です。ご期待ください) |