歌舞伎に登場するお姫様は、気の毒である。『菊畑』の皆鶴姫が恋慕う牛若丸は、素性が知れたと知るや、皆鶴姫を殺害することを躊躇わない。結果的に、皆鶴姫が殺害されることはないが、牛若丸の素性を知ったからには、自身が死ななければならないことは覚悟の上の、決死の恋であった。 恋われる牛若丸はと言えば、源氏再興のために皆鶴姫の父親鬼一法眼殺害と「六韜三略」の奪取を目論み、その手引きを皆鶴姫に要求する。父親殺害の共犯者になれと言うのである。そうしたからと言って、皆鶴姫の恋が成就するかと思えば、牛若丸はそんなことは言ってない。恋はいつでも、恋する方に酷い犠牲を強いるものらしい。 『妹背山女庭訓』においても、蘇我入鹿の妹橘姫は、皆鶴姫と同じような苦況に陥る。藤原淡海は自身の素性を知られていることを確認すると、橘姫の殺害を決意する。 しかしながら、この際も橘姫は結果的に殺害されることはない。淡海が橘姫を利用することを思いついたからだ。兄入鹿が秘蔵する十握の剣を奪えと、橘姫に命じたのである。兄を裏切れと言うのである。橘姫は、殺人者淡海から逃れるためにではなく、恋慕う淡海の意に添うために、兄入鹿を裏切ることを約束する。 皆鶴姫も橘姫も、片思いに身を焦がす。恋われる方の男たちは、さして差し迫った欲求を姫たちに感じていないため、その対処は冷酷なまでに客観的である。彼女たちは、恋する男のために身内を裏切り、結果自身は死を免れる。 男たちは政治的な大義のために、女を道具として使い、その恋心を利用することを躊躇わない。女たちは恋慕う男の意に添うことに、自身の大義を見い出し、父を裏切り兄を裏切る。裏切る価値のあるものを持って生まれたお姫様であったことが、彼女らを苦況に陥らせることになったのである。 彼女らの恋を犠牲として、牛若丸は源氏再興を、淡海は蘇我氏再興の大義を果たす。恋慕う男と添うことのみが、未婚の女の夢と希望の全てであった。お姫様たちは、自虐的なまでに、その道徳観を犠牲にしてきたのである。 『桜姫東文章』の桜姫は、吉田家に侵入した強盗犯にレイプされて妊娠、出産する。強盗犯権助が奪ったものは、吉田家の家宝「都鳥の一巻」と桜姫の貞操だけではなかった。この一夜で、桜姫は、権助に恋してしまうのである。権助との再会を果たした桜姫は、そのまま転落の道を辿り、遂に女郎に売り飛ばされてしまう。 権助は酔った勢いで、自身が「都鳥の一巻」を所有していること、桜姫の弟梅若を殺害したことを、桜姫に語った。桜姫は、吉田家の全ての不幸の原因が、権助にあると判断、権助を殺害し、自身が出産した権助との子供も殺害、吉田家の再興を誓う。桜姫の恋の過酷さは、他に追随を許さない。 『眠り姫』という物語がある。様々なヴァリエーションがあるものの、100年の眠りを強いられたお姫様が、キスで眠りから目覚めさせた王子に恋するという一点だけは、共通している。物語はお姫様が目覚めたところで終わっているが、果たして彼女に目覚めのためのキスをしたのは、当の王子その人だけだったのだろうか。 仮に、王子がお姫様の期待したような人物でなかったとしたら、例えば権助のような強盗殺人レイプ犯であったとしたら、彼女は桜姫のように、やはり権助に恋をしたのだろうか。キスで眠りから目覚めた時、相手が権助であったなら、眠り姫は、起きなかったのではないかと思う。 皆鶴姫も橘姫も桜姫も、恋する相手を選ぶことができなかった。彼女らを目覚めさせたのが、牛若丸であり、淡海であり、権助だったからである。しかしながら、ほんの少しだけ、目覚めるのを待っていれば、こうまで過酷な恋に陥ることは避けられたのではないだろうか。 狡猾であれと言うのではない。打算的であれと言うのではない。ただ、選択の余地がないわけではないということを、彼女らが知らなかったために起こった悲劇であったのではないかと思わずにはいられない。次の恋は、打破する障害が少ない恋であるかもしれないと、成就する恋であるかもしれないと、お姫様たちに教えてあげても良いのではないだろうか。思春期真っ盛りのお姫様たちが、果たして耳を貸すかどうか、定かでないことは言うまでもない。
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