十一月の歌舞伎座は、「吉例顔見世大歌舞伎」と題しての盛会だった。夜の部は、『ひらかな盛衰記・逆櫓』『忍夜恋曲者・将門』『らくだ』の三題で、それぞれが芝居の面白味を堪能させてくれる好演だった。中でも、『らくだ』の楽しさは、絶品だったと言えよう。屑屋久六を演じた菊五郎の可笑し味に、我を忘れて笑わせてもらった。また、遊び人半次を演じた八十助には、男の色気の真髄を見た気がしたものだ。 もちろん、雀右衛門の滝夜叉姫、団十郎の光国、吉右衛門の松右衛門も好演だった。今回は、その吉右衛門演じる松右衛門、実は樋口次郎兼光にとっての武士道について、考えてみたいと思う。 逆櫓とは、船の艫と舳の双方に櫓を設け、前後双方への航行を可能にするもので、八島の合戦を前にした梶原平三景時が、源義経に発案したものだという記述が、『平家物語』にある。この時、義経は、戦とは進んで進んで敵を打ちのめすものであって、前後に櫓を設けることで逃げ支度をするなど、武将の為すべきことではないと一喝する。梶原の船には何本でも櫓を設けて良いが、義経の船には、只一本の櫓があれば充分であると言うのである。 梶原はこれにもめげず、尚も良き大将とは引くべき時に引くもので、只前進するしか能のないのは猪武者であろうと諌めたが、義経はこれも却下。『平家物語』によれば、二人はこの時、「既に同士軍をせんとす」という状態にあった。梶原は義経を破滅に追いやった奸物という評価が定着しているが、この時点で既に義経には嫌われていたようだ。 松右衛門、実は木曽義仲の家臣樋口次郎兼光を演じたのは吉右衛門だが、船頭としての軽妙さ、名乗った後の武将ぶりの変化は見事であった。 吉右衛門の持ち味の色気が、もっと表現されていても良いのではないかと感じたが、多分それは、松右衛門が気の良い入り婿であるという枠組みから、樋口が良き家臣という枠組みから外れることがなかったからではないかと思う。何か腹の中に謀を持っているのではないかと、観客に勘繰らせるような眉毛の動きに、吉右衛門の色気や艶が見えるのではないだろうか。 梶原平三景時は、義経が最後の敵だと頼朝に讒言したことで知られている。これが判官贔屓の日本人気質に合わず、評判の悪い武将として後世に名を残すことになった。とは言え、『平家物語』にそういう記述があるというだけで、実際のところは、どうだったのかは分からない。 『逆櫓』で、松右衛門に義経の召し船の船頭を命じたのは梶原である。どうしても梶原が、主君義仲を失い、義経を仇討ちすることだけが生きる目的となった樋口を利用したのではいかと、松右衛門が義経暗殺を謀る義仲の家臣樋口だと知った上で、船頭を命じたのではないかという疑問が浮かぶ。この疑問が樋口を狂言回しに見せてしまうのだ。 義理の息子槌松が、駒若丸の身代わりとなって殺害されたことを、樋口は忠義であると言う。主君義仲の仇討ちを、樋口自身の忠義とし、駒若丸の安全を確認した上で捕縛されたのも、樋口の忠義の在り様だった。その後樋口は、義経の命により処刑されることになるが、樋口の武士道は、かくも哀しい。 樋口が生きた武士道は、武将としてなくてはならない指標だった。しかしながら、樋口に生きる目的を失わせたのもまた、武士道であったと言えるのではないだろうか。
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